ピティナ調査・研究

6.編曲と作品の受容・普及・出版利益(1)

6.編曲と作品の受容・普及・出版利益(1)

前回まで、編曲の意義や種類、自作編曲と作曲家自身の編曲に対する考えなど、主に「オリジナルと編曲」という視点から、編曲をめぐるトピックを取り上げてきました。今回は音楽そのものから少し社会的な問題に話を広げて、編曲の実利的な側面に光を当ててみましょう。

楽譜市場に溢れる編曲

 これまでにもたびたび触れてきたように、編曲が果たす重要な役割の一つは、作品の普及にありました。録音メディアの無かった時代、音楽はつね生演奏を通して聴くしかありませんでした。中でもオペラや交響曲のような大規模な作品は、お抱えのオーケストラを持つ貴族などでなければ、劇場やコンサート会場に赴かない限り、オリジナル作品を聴くことは出来ません。音楽市場でオーケストラ・パート譜が販売されたとしても、演奏するためには何人もの奏者を集めなくてはいけませんから、一般の人々がそれらを買って演奏するというのは、想像しがたいことです。そうした状況ですから、小規模編成への編曲は作品の普及に欠かせないメディアでした。
18~19世紀の史料を紐解くと、作品の普及、受容において編曲がいかに重要であったかを示す様々な証拠が見つかります。例えばヴィーンの出版社、トレーク社の商品カタログ(1799年刊)を見てみると、編成、ジャンルごとに項目が設けられて、取扱商品が一覧化されています。そこで興味深いのは、五重奏や四重奏の項目の中に「オペラ、バレエからの編曲」という下位区分があったり、ピアノ曲の中に、「ピアノのためのドイツ語のジングシュピール、オラトリオ、カンタータ[編曲譜]」という下位区分があったりすることです。同時代の出版社カタログを見ていると、交響曲など大規模な管弦楽曲の小編成編曲も頻繁に出てきます。
ヴィーンのカッピ社は、オペラやバレエからの抜粋曲目のピアノと歌唱声部用編曲を「音楽週刊誌Musikalisches Wochenblatt」と題したシリーズで刊行していました。こうしたシリーズの存在も、小編成編曲が同時代の愛好家の間でいかに人気が高かったかを物語っています。

編曲による演奏レパートリーの拡大

作品を受容する側に目を向けてみると、演奏者の「レパートリーの拡大」も編曲の存在理由のひとつだ、ということがわかります。とりわけオリジナル作品が少ない楽器や、オリジナルではソロ声部になる機会に恵まれない楽器の奏者は、自身のレパートリーを広げるために、編曲に頼るところが大きかったのです。ギターやヴィオラはその代表例でした。ベートーヴェン作品の編曲出版をざっと見渡すと、ギターを含む編曲は、そこここに現れます。

 より多くの演奏者の需要に応えるよう、一部のパートの演奏楽器を奏者が自由に選べるようになっているケースも珍しくありませんでした。例えばピアノ・トリオの場合、作曲家が第一に想定した編成がヴァイオリン、チェロ、ピアノという編成だったとしても、ヴァイオリンをフルートに替えて、フルート、チェロ、ピアノという編成でも演奏できるようになっているということです註1。出版時には、代替可能なふたつの楽器のパート譜(上のケースならヴァイオリン・パートとフルート・パート)の両方が販売されます。このように自由に楽器を選べるように作られた(あるいは、編曲者の意図に関わらず、出版社が追加の楽器パートと一緒に出版した)編曲は珍しくありませんし、オリジナル作品そのものが代替楽器のパート譜と出版されることもありました。後者の場合、そもそもオリジナルの作曲者自身が一部のパートだけに編曲を施すこともあります。また、代替楽器のパート譜が、時を違えて出版されるケースもあります。有名な例としては、ベートーヴェンの《ヴァイオリン協奏曲》Op. 61のピアノ協奏曲ヴァージョンが挙げられます。これはロンドンの作曲家兼ピアニストであり、出版業も手掛けていたムツィオ・クレメンティの薦めで作られ、オリジナルのヴァイオリン協奏曲ヴァージョンよりも先に出版されています註2

編曲が経済を回す

このように作品受容の面において、オリジナルの知名度を上げるという意味でまずもって作曲家のメリットになる「作品普及」、演奏機会や作品の楽しみ方を広げるという意味で演奏者や聴衆に嬉しい「レパートリーの拡大」という編曲の役割は、出版社ないし編曲者の「収益増加」という経済的側面と切っても切り離せない関係にあります。そして、編曲は必ずしもこのうちのいずれかを目的として出版されるのではなく、むしろ編曲出版から得られる様々なメリットが同時に絡み合っているのでしょう。当時、編曲は提供者(作曲者/編曲者と出版社)と受容者の両方の需要を満たし、それゆえにこそ、音楽市場経済を動かすキー・ファクターの一つだったと言っても過言ではないのです。

註1:たとえタイトルページに代替パートが可能と書いてあっても、代替編成が編曲と言えるかどうかは、オリジナルとの異同がどの程度かあるかによるでしょう。例えばモーツァルトのピアノ・トリオKV 10--15の編成はピアノ、ヴァイオリンまたはフルート、チェロですが、初版には個別のフルート・パート譜はありません。したがってフルート奏者自らがヴァイオリン・パート譜の記譜のうち、重音奏法などフルートでは演奏不可能な部分をフルートで適するように調整して演奏しなければなりません。こうしたケースでは、オリジナルの「ヴァイオリンまたはフルート」の代替編成を一般的な編曲に入れられるでしょうか。少なくとも、フルート演奏者自身がヴァイオリン・パートをフルートに合わせて変更したものを、広い目でみて編曲と言えても、代替フルートをタイトル・ページで許可したこと自体を作曲家による「編曲」とは言えません。

註2:ベートーヴェンのホルン・ソナタOp. 17はオリジナルがホルン・パートに代わるチェロ・パートと同時出版されています。このチェロ・パートがベートーヴェン自身による編曲かどうかの確証はありませんが、少なくともベートーヴェンは代替声部の出版を認知していたと推察されています。

註1:たとえタイトルページに代替パートが可能と書いてあっても、代替編成が編曲と言えるかどうかは、オリジナルとの異同がどの程度かあるかによるでしょう。例えばモーツァルトのピアノ・トリオKV 10--15の編成はピアノ、ヴァイオリンまたはフルート、チェロですが、初版には個別のフルート・パート譜はありません。したがってフルート奏者自らがヴァイオリン・パート譜の記譜のうち、重音奏法などフルートでは演奏不可能な部分をフルートで適するように調整して演奏しなければなりません。こうしたケースでは、オリジナルの「ヴァイオリンまたはフルート」の代替編成を一般的な編曲に入れられるでしょうか。少なくとも、フルート演奏者自身がヴァイオリン・パートをフルートに合わせて変更したものを、広い目でみて編曲と言えても、代替フルートをタイトル・ページで許可したこと自体を作曲家による「編曲」とは言えません。

註2:ベートーヴェンのホルン・ソナタOp. 17はオリジナルがホルン・パートに代わるチェロ・パートと同時出版されています。このチェロ・パートがベートーヴェン自身による編曲かどうかの確証はありませんが、少なくともベートーヴェンは代替声部の出版を認知していたと推察されています。