ピティナ調査・研究

5.編曲と創造性 その2 ―ベートーヴェンも認めていた編曲の創造性

5.編曲と創造性 その2 ―ベートーヴェンも認めていた編曲の創造性
編曲と作品番号 ― 編曲も独立した「作品」だった

 作曲家は、自作品の編曲をどのように捉えていたのでしょうか註1。編曲の出版は、この疑問を考えるために参考になる手がかりを与えてくれます。それは、編曲版の「作品番号」です。ある編曲が出版されるとき、オリジナルとは別の、編曲独自の作品番号が付けられていることがあります 。先ほど触れたハイドンの《十字架上のキリストの七つの言葉》の編曲は、ピアノ編曲が作品49と番号付けされている一方、弦楽四重奏ヴァージョンは作品51として出版されています。この事実はまず音楽社会において、編曲も一般的に独立した「作品」として通っていたことを推測させます。

註1:この疑問にただ一つの答えを当てはめることは出来ません。というのも、連載第1~2回で述べたように編曲には様々なタイプがあり、それぞれのケースに応じて、編曲の捉え方も変わってくるからです。

 さらに作曲家自身が編曲に新しい独自の作品番号を与えるのを明らかに認めていたと考えられる証拠もあります。ベートーヴェンの《七重奏曲》作品20のピアノ三重奏編曲がまさにそれです。このピアノ三重奏曲はオリジナルとは別の献呈先、つまりベートーヴェンの主治医のシュミット博士に捧げられています。出版譜は独自の作品番号作品38と新しい献辞を携えて世に出るのです。

巨匠に匹敵する巧みさと想像力

 作曲家が原曲だけでなく編曲にも芸術的価値を認めていたことは、作曲家の言葉にも読み取ることができます。ベートーヴェンの自作編曲にまつわるエピソードは、編曲に対する彼のプライドの高さを実によく表しています。彼がライプツィヒの出版社、ブライトコップフ&ヘルテル社に宛てた手紙を引用してみましょう。

[・・・] 編曲作品に関しましては、私はあなたがまさにそれ[ベートーヴェンの弟のカールが、ブライトコップフ&ヘルテル社に編曲の提供を提案したこと]をきっぱり拒否なさったことを、心から嬉しく思います。それもクラヴィーアのためのものを弦楽器に――それらはあらゆる点で互いに全く相反する楽器ですが――移したいという世間の異常な熱狂は、おしまいになって構いません。私は断固として主張致しますが、自分自身で[訳者注:自作品を]クラヴィーアから他の楽器に移し変えることが出来るはモーツァルトのみであり、ハイドンもまた同様です――そして自分をこの二人の偉大な人物に加えようというのではございませんが、私のクラヴィーア・ソナタについても同じことを申し上げます。[編曲するときにはオリジナルの]かなりの部分がすっかり省略されたり変えられたりせねばなりませんし、[その結果として省略、変更に応じて]それに付け加えねばならぬのです。そしてこの点に厄介な障害があります。これを克服するためには自分自身巨匠であるか、少なくとも巨匠に匹敵する巧みさと創造力がなくてはいけません  [・・・]

 編曲に関して、ハイドン、モーツァルトに劣らない手腕があることを仄めかしているところをみると、ベートーヴェンは自身の編曲能力にかなりの自信があったのでしょう。この手紙には、編曲にも優れた編曲とそうでないものがあり、生半可な能力では質の高い編曲は作れないのだというベートーヴェンの主張が強く現れています。そして、同時に彼が、編曲を一つの創作物として捉えていたこともよく分かります。

 編曲に対する彼の厳しい姿勢は、ベートーヴェンが、第三者の手掛けた彼の作品の編曲に目を通していたことからも明らかです。しかも彼は、他人の仕上げた編曲が気に入らなければ、自分自身で編曲し直しています註2。そしてチェックを通った編曲は幸いなるかな、出版に漕ぎつけます。面白いのは出版された楽譜の体裁です。先に触れたように、独自の作品番号が付けられるのみならず、「作曲者自身が校閲、修正」したことが明示されるケースもあるのです。一方で、編曲者の名前が表紙に記されていないこともよくあります。こうした第三者の編曲に関して、ベートーヴェンは出版社に宛てた他の手紙で、自分が校閲・修正した第三者の編曲を「ベートーヴェン自身による編曲」と出版譜に書いてくれるな、と釘を刺しています。ベートーヴェンにとっては、編曲も自分の能力を示す芸術的産物であり、他人が行うならばしっかりチェックして自分の眼鏡に適うほどの質の高い編曲しか世に出すことは許さない、という心持ちだったのでしょう。こうした一連の編曲監修や出版経緯も、編曲に独立した価値が認められていた証拠です。

註2:弦楽四重奏曲《大フーガ》作品133のピアノ連弾用編曲作品134やピアノ三重奏曲作品1第3番の弦楽五重奏編曲は、それぞれベートーヴェンが他人の編曲に不満を抱いたため自ら作り直したものです。ただしベートーヴェンがもともとの編曲者のアイディアをどれだけ採用したかは今後、詳しい研究が必要です。

註1:この疑問にただ一つの答えを当てはめることは出来ません。というのも、連載第1~2回で述べたように編曲には様々なタイプがあり、それぞれのケースに応じて、編曲の捉え方も変わってくるからです。

註2:弦楽四重奏曲《大フーガ》作品133のピアノ連弾用編曲作品134やピアノ三重奏曲作品1第3番の弦楽五重奏編曲は、それぞれベートーヴェンが他人の編曲に不満を抱いたため自ら作り直したものです。ただしベートーヴェンがもともとの編曲者のアイディアをどれだけ採用したかは今後、詳しい研究が必要です。