ピティナ調査・研究

4.編曲と創造性 その1 ―作曲家自身による自作品の編曲

4.編曲と創造性 その1 ―作曲家自身による自作品の編曲

この連載の初回で編曲の4つの代表的な意義を挙げました。その際、編曲にも芸術的価値が認められる場合があり、編曲が新たな創造の場となっていることさえある、と述べました。作品はひとたび完成すると、一見、これ以上変更の余地がなく、「閉じて」いるかに見えますが、編曲を通してその姿が更新されていくというのは、興味をそそられることです。オリジナルの作曲家ではない第三者が、オリジナルに様々な変更を加えながら編曲する場合なら、編曲者独自のアイディアがそこに加味されて作品が新鮮な姿を見せてくれることでしょう。この場合、オリジナルはいわば種苗のようなもので、そこに編曲者のアイディアという肥料を養分として、作品が新たに芽吹くイメージが浮かびます。

原曲に目新しさをまとわせる編曲あれこれ

クラシック音楽の作曲家の編曲には、オリジナルとは別の意味で創造的な編曲がたくさんあります。連載の初回で挙げた例の他に、メンデルスゾーンがバッハの無伴奏ヴァイオリンのための作品にピアノ伴奏を付ける(例えば《パルティータ第3番》BWV1006)など、部分的編曲と言えるような例もあります。

このような編曲は、オリジナルの作曲家と編曲者の共作というべきものですが、その一方で、時には作曲家が自分の作品を自ら編曲することもあります。実のところ、自作編曲という行為は、音楽史上、とりたてて珍しいことではありません。ヨハネス・ブラームスが《ハンガリー舞曲集》の一部を管弦楽用に編曲したのは有名な例です。またハイドンは《十字架上のキリストの最後の七つの言葉》を弦楽四重奏とオラトリオに編曲しています。これらはオリジナルに劣らないくらい、頻繁に演奏されています。
作曲家で出版社を経営していたイグナツ・プレイエルは、同時代の音楽需要や出版状況に応じて、自作を積極的に編曲していました(編曲の受容や出版に関しては連載の続きで詳しく取り上げます)。フルート四重奏曲のセット(Ben 387~392, Benは、プレイエルの作品目録番号[Benton番号]を指します)が良い例です。このうち第一番はピアノ三重奏曲(Ben468)としても出版され、同時に弦楽三重奏曲(Ben410)としても出版されているように、この曲集に収められた作品には、プレイエル自身の手による複数のヴァージョンが存在します。

「改作」・「転用」も編曲のうち

編曲の概念をもう少し拡大して「改作」・「転用」までを射程に収めてみましょう。ベートーヴェンの《やさしいソナタ》作品49第2番のメヌエットが良い例です。この作品のメヌエット楽章は、次のように繰り返し姿を変えていきます。まず、オリジナルのピアノ稿が1796年に書かれます。この後、彼はこのメヌエット楽章を大きく書き換え、《管弦楽のための七重奏》作品20(1799年成立)のメヌエット楽章に仕立て直しています。さらに数年後の1802年、この七重奏曲作品20は、ベートーヴェン自身の手によって《ピアノ三重奏曲》に編曲され、「作品38」として出版されます。それぞれの稿のメヌエット楽章は、演奏楽器の特徴を生かした姿を見せており、聴き比べると非常に面白いものです。

参考音源