ピティナ調査・研究

3.編曲=「大編成」から「小編成」?

3.編曲=「大編成」から「小編成」?

さて、おそらく多くの人が聴いたり、演奏したりしたことがあり、第一に頭に浮かぶ編曲のタイプは、「大編成」から「小編成」の編曲かもしれません。例えば書店でよく見るようなピアノ・ヴォーカルスコアがそうですね。この連載で扱うクラシック音楽分野でも、有名な編曲でまず挙がってくるのはフランツ・リストによるベートーヴェンの交響曲のピアノ・ソロ編曲などではないでしょうか註1

註1:ピティナで行ったアンケートは、回答者にピアノ指導者や生徒さんが多かったのも原因の一つとは思いますが、編曲のイメージに関して、やはり「大編成を小編成で弾けるようにしたもの」という回答を選んだ方が多くいらっしゃいました。

「拡大編曲」とは?~ピアノ曲から室内楽・管弦楽曲へ
「手軽に演奏できるように」だけが編曲じゃない?!

大編成を小編成に編曲して手軽に演奏できるようにする、というのが編曲の代表的な役割のひとつといっても間違いはなさそうです。しかし、実のところ逆の例、「小編成」から「大編成」へという編曲もけして少なくないのです。今回は導入として、原曲の演奏媒体を拡大した編曲例を取り上げ、一般的な「編曲」イメージから一歩踏み出してみたいと思います。ここでは、この編曲形態を「拡大編曲」と呼ぶことにします。
まずは大編成の原曲→ピアノ独奏編曲、の逆をとって、ピアノ独奏を複数の奏者用に編曲するケースを見てみます。現在、よく演奏される作品にはムゾルグスキーの《展覧会の絵》が思いつきますね。ドビュッシーの《ダンス》(スティリー風タランテッラ)をラヴェルがオーケストラ編曲したケースもあります。

ピアノ独奏曲を拡大!18世紀末~19世紀初頭の編曲

さらに18世紀末から19世紀初頭まで遡って、ハイドンやベートーヴェン、シューベルトの作品を考えてみましょう。例えばベートーヴェンのピアノ曲はどうでしょうか。20世紀には、ヴァインガルトナーが《ピアノ・ソナタ第29番》作品106をオーケストラ編曲した例がありますが、このような「拡大編曲」は、実はすでに作曲家の生前にも行われていました。では、ベートーヴェンの生きていた頃に、ベートーヴェンの作品はどんな編成に「拡大編曲」されていたのでしょうか。

ベートーヴェンのピアノ曲の「拡大編曲」

1830年、つまりベートーヴェンがこの世を去った三年後までに出版されたピアノ作品の編曲のうち、作品全体を編曲したもので(なぜこのような言い方をするか、下に少し触れますが詳しくは別の機会に述べます)圧倒的に多いのは、弦楽器のための室内楽編曲です。中でも弦楽四重奏への編曲は特に目立ちます。ベートーヴェン自身も自分の《ピアノ・ソナタ》作品14第1番(第9番)を弦楽四重奏に編曲していますが、もしかすると編曲のアンサンブルは時代の需要に応えたものだったのかもしれません。そのほか、五重奏、三重奏用に編曲したものもちらほら見られます。
もっと数は減りますが、管楽アンサンブルへの編曲もあります。《ピアノ・ソナタ》作品7(第4番)は管楽五重奏、《悲愴ソナタ》作品13はハルモニームジーク(管楽九重奏註2)に編曲されています。ピアノ独奏曲が吹奏楽になったらどのような響きになるのか、興味深いものです。
ピアノからずっと演奏媒体を拡大して、オーケストラに仕立てた編曲もあります。例えば《ピアノ・ソナタ》作品2(第1番~第3番)、《バガテル》作品33などがあります。ベートーヴェン自身も、《ピアノ・ソナタ》作品26(第12番)の葬送行進曲を舞台作品《レオノーレ・プロハスカ》用に、《独奏主題による6つの変奏曲》作品76の主題を《アテネの廃墟》作品113のために編曲しています(これらは全楽章ではなく作品の一部の編曲であり、また現代の感覚からすると少し変わった編曲に思えるので、のちのち取り上げましょう)。
ところでピアノ独奏からピアノと他の楽器、という組合せの編曲はほとんど見当たりません。その理由は、ピアノ・ソロが原曲であるため、それにもう一つ声部を加えるのは編曲者にとってもなかなか難しい上に、必要ともされなかったからだと考えられます。例外的に《ピアノ・ソナタ》作品101(第28番)のみ、ヴァイオリンとピアノ用に、初版出版年に程近い1820年に出版されています(ミラノ、リコルディ社)。

註2:グローヴオンラインGrove Onlineによれば、ハルモニー(独Harmonie)とは、狭義には18世紀半ばから1830年代までの時代における、ヨーロッパ貴族お抱えの管楽バンドおよびそれらのための楽曲を意味します。加えて、これらを模倣した市井の管楽バンド、ないしは重い金管楽器または打楽器を含まない小規模な軍楽隊もハルモニーと呼ばれています。

「編曲」を通して、様々な響きの可能性を

これらの例から、大編成の作品を小編成で手軽に演奏できるように、という利便性だけが編曲の主な目的ではけしてなかった、ということが分かります。弦楽器への室内楽編曲などからは、作品を家族や友人たちと合奏してみたいという興味が、貴族らに好まれたハルモニームジークからは、自邸のお抱え音楽家らのレパートリーに加えたいという思いが窺えます。18世紀ないし19世紀当時の編曲には、作品を別の編成で、オリジナルとは違う響きで聴いてみたい、自分たちが普段、好んで演奏している媒体で楽しみたい、という欲求が感じ取られます。
オリジナルの響きを大きく変更する編曲例が、作曲家の生前からたくさん流通しているという事実を目の当たりにすると、「原典Urtext」のみが作品の唯一絶対の姿であるとする考え方に対して、疑問を投げかけたくなります。作曲家が作品(原曲)を書くとき、対象とする演奏媒体に細心の注意を払っていただろうということはもちろん否定できません。しかし、作曲家自身がそれ以外の演奏媒体を認めなかった、と考えてしまうのは、ちょっと待ってみた方が良さそうです。実際、当時の編曲流通情報を研究すると、必ずしもそうとは言い切れないケースが見つかります。例えばハイドンやベートーヴェンら、作曲家自身も自作を別媒体に編曲していたように、編曲はあるモデル(オリジナル)の別の可能性を具現するチャンスでもあったのではないでしょうか。

註1:ピティナで行ったアンケートは、回答者にピアノ指導者や生徒さんが多かったのも原因の一つとは思いますが、編曲のイメージに関して、やはり「大編成を小編成で弾けるようにしたもの」という回答を選んだ方が多くいらっしゃいました。

註2:グローヴオンラインGrove Onlineによれば、ハルモニー(独Harmonie)とは、狭義には18世紀半ばから1830年代までの時代における、ヨーロッパ貴族お抱えの管楽バンドおよびそれらのための楽曲を意味します。加えて、これらを模倣した市井の管楽バンド、ないしは重い金管楽器または打楽器を含まない小規模な軍楽隊もハルモニーと呼ばれています。