ピティナ調査・研究

2.編曲の定義とは?

2.編曲の定義とは?18~19世紀の「編曲」の種類、意義

先に少し触れましたが、それではそもそも、
「編曲Bearbeitung/Arrangement」とは何を指すのでしょうか。
文献を引いてみると、この概念規定はなかなか難しそうです。

きわめて広い「編曲」の定義

音楽学の分野で権威的な事典、グローヴ音楽事典(Grove Online)やDie Musik in Geschichte und Gegenwart 第2版(MGG2)では、オリジナルを何らかの形で変えたものが総じて「編曲」に属するとの考えが示されています。例えばオーケストラ作品をピアノスコアにするような演奏媒体を変える行為だけではなく、聖歌コラール編曲(J.S.バッハのマタイ受難曲など)、パロディ、パスティッチョ(台本に応じて異なる作曲家による様々な作品、素材を繋ぎ合わせて仕上げられたオペラのこと)から、コントラファクトゥム(楽曲に付された歌詞テキストを変えること)、さらには改訂や変奏、即興までもが「編曲」に属する、とされています。つまり、グローヴの説明に則れば、「既存の素材に基づいて作られた音楽、ないしは既存の素材を取り入れて作られた楽曲」全てが「編曲」に該当する、ということです(音楽学者ジルケ・レオポルトは「編曲Bearbeitung」について、「あり得うる、あらゆる種類の楽曲の変更」、と述べています)。

このように定義を見てみると、Bearbeitung / Arrangementを日本語で表すには、「編曲」という一語ではまったく不十分だ、ということが分かります。では、他にどのような言葉が考えられるでしょうか。例えばヘンデルはオラトリオ《時と悟りの勝利Il trionfo del Tempo e del Disinganno》で使ったアリア『薔薇は摘んでも棘摘むなLascia la spina, cogli la rosa』(Cogli la rosa e lascia la spinaとは、「物事はまず最良のものを目標とすべきだ」、という意味の諺)をのちのちオペラ《リナルド》の有名なアリア『私を泣かせてください』として再利用していますが、これは「編曲」ではなく、「転用」の方が適切です注釈4。また、バレエ音楽を演奏会組曲にする行為を例にとれば、舞台用の音楽を「原曲、オリジナル」と呼ぶことはあっても、演奏会組曲を「編曲」と呼ぶケースは少ないのではないでしょうか。この場合、むしろ「改稿」の方がしっくり来る気がします注釈5

注釈4:旋律転用の典拠:Anthony Hicks. "Rinaldo", in Oxford Music Online , last accessed 9. Feb. 2017.

注釈5:土田英三郎氏は、各々のBearbeitungのタイプを日本語訳と共に説明しています。土田英三郎「『いっそうの普及と収益のために』編曲家としてのベートーヴェン」国立音楽大学『音楽研究所年報』14号、2000年、75-95頁。

さて、このように一口に「編曲」と言っても、それは一体どこからどこまでを指すのか、はっきりした線引きが難しいほど広範囲にわたる行為だということが分かりました。この連載ではしかし、一般的に「編曲」という語が適用される行為、すなわち「原曲を別の演奏媒体用に変えたもの」を中心に、論を進めていきましょう。注釈6

注釈6:この狭義の編曲概念はグローヴ・オンラインの「編曲」の項目(Malcolm Boyd, "Arrangement," in Grove Online, last accessed 3.1.2017)に示されています。

「編曲」がもつ、さまざまな意義

多様な「編曲」の在り方があるのに応じて、その意義も実に色々です。ここでそれら全てを説明するのはあまりに複雑すぎるので、ここではひとまず、大まかな区分を挙げてみます。先に挙げた二つの権威ある音楽事典を参考にすると、(とりわけ18世紀以降の)「編曲」の代表的な意義は、次の点にあると言えそうです。

  • 学習例) 曲の構造を知る、作曲法/オーケストレーションの実践訓練
  • 経済的意義例)楽譜販売市場の拡大
  • 演奏実践の広がり例)作品の演奏用途の変更、レパートリーの拡大、多様な演奏媒体での普及・受容可能性
  • 芸術的価値、新たな創意工夫の機会として

上に挙げた四点は、編曲の一側面であって全てをカバーするものではありませんし、各々の点に関して挙げた例もごく一部です。また、ある一つの編曲に上記のどれか一点が該当する、というわけでもありません。芸術作品の多くがそうであるように、編曲も唯一の目的のためというよりは、複数の意義を同時に担っていると言えます。どんな編曲があるのかに合わせて、編曲が担う様々な社会的、経済的、芸術的側面にも光を当てていきたいと思います。

注釈4:旋律はオペラ《アルミーラAlmira》でも使われています。(Donald Burrows, Cambridge Companion to Handel, Cambridge:Cambridge University Press, 1996, p. 213.)

年、75~95頁。

注釈5:土田英三郎氏は、各々のBearbeitungのタイプを日本語訳と共に説明しています。土田英三郎「『いっそうの普及と収益のために』編曲家としてのベートーヴェン」国立音楽大学『音楽研究所年報』14号、2000年、75~95頁。

注釈6:この狭義の編曲概念はグローヴ・オンラインの「編曲」の項目(Malcolm Boyd, "Arrangement," in Grove Online, last accessed 3.1.2017)に示されています。