1.私たちの音楽活動と編曲、歴史の中の編曲
「編曲」と聞いたら、何を真っ先に思い浮かべますか。書店の楽譜コーナーにずらりと並んでいる映画音楽やミュージカルなどのピアノ・ヴォーカルスコアでしょうか。吹奏楽をしていた方は、オーケストラ作品のブラスバンド編曲を演奏したことも多いのでは。いわゆるクラシック音楽注釈1を原曲とするものでは、例えば学校の音楽の時間などに、小編成の器楽合奏や、もとは混声だった作品を女声合唱や男声合唱で歌った経験がある方も少なくないでしょう。例えば筆者の出身小学校の音楽会では、全校生徒がベートーヴェンの第九交響曲を木琴、鉄琴、アコーディオンなどの器楽合奏と女声合唱で演奏するのが伝統でした。このように考えると「編曲」と私たちの距離は意外に近く、ともすれば意識しないところで「編曲」に触れているように思われます。
注釈1:「クラシック」と他のジャンルの線引きは曖昧ですので(ガーシュウィンの《ラプソディー・イン・ブルー》を思い浮かべて見てください)、あまり区分けをしたくはありませんが、一応解り易いよう慣習的な語用に則ります。
では「編曲」に対するイメージは、と聞かれたら、どうでしょうか。この問いには、肯定的、否定的、非常に様々な答えがあるでしょう。例えば、自分が好きな曲を手軽に楽しめるというプラスの思いもあれば、原曲の楽器編成ならではこその響きを壊されたくない、というマイナスイメージもあるようです注釈2。 確かに「編曲」には、原曲をオリジナル編成の「代わり」に別の楽器、編成で演奏するもの、管弦楽などの大編成を一人または少人数で演奏できるよう簡略化、リダクションしたもの、といった、「原曲の代用品」、「原曲の下位にある二次的産物」という、ややマイナスイメージを呼び起こす一面があります。しかし少し考えてみると、実に創意に富んだ編曲が見つかります。身近なものでディズニーや映画音楽などのポップアレンジはオリジナルとは別の面白みがあります。原曲をクラシック音楽からとってもそうです。有名な映画『天使にラブソングをSister Act 2』の劇中歌《Joyful Joyful》は、ベートーヴェンの第九交響曲の編曲です。《第九》にラップを混ぜてしまうという、意外な発想には驚かされます。「編曲」の多種多様な在り方や創意工夫豊かな「編曲」は何も現代のみ、ポピュラー音楽への編曲のみではありません。音楽史を紐解けば、ずっと昔から、様々なタイプ、実に多くの「編曲」が作られ、受容されてきました。
注釈2:ピティナの行ったアンケート(2016年12月実施)にも、編曲には原曲とは別の楽しみがある、生徒さんのレベルに合わせて曲が選べる、クラシックの編曲は好きではない、など、実に多岐にわたる意見が寄せられました。
上にあげたような「編曲」のマイナスイメージは、18世紀末に起こった「オリジナリティ」や「天才」を賛美する考え方にも原因がある、と考えられています。また特に20世紀に盛んに行われた、作曲家の自筆譜をはじめとする「オーセンティック」な史料注釈3に基づく学問的な「批判校訂版」編纂の動きが、楽譜の「オリジナリティ」や「オーセンティシティ」という考え方を下支えしました。これらの楽譜編纂においては、「作曲家の真の意図」による作品の姿を求める原典「Urtext(ウアテクスト)」が尊重されるので、「二次的な創作物」とみなされた編曲は、「オリジナル」よりも重視されませんでした。さらに20世紀後半、古楽演奏において、当時の演奏習慣を忠実に再現することを追究する風潮がおこったために、「編曲」の価値があまり考察されずにいた時期があったようです。これら「オリジナル」追究に応じた思潮に加えて、著作権法の制定も「編曲」の重要性に影を差す要因となりました。
しかし、一般的に「編曲」と訳されるこの概念は、「編曲」という一つの訳語では説明しきれない広い活動を含みます。この連載では便宜的に、ドイツ語Bearbeitungを原則として「編曲」という訳語で表しますが、「編曲」という一語では不十分だろうということを強調して置きたいと思います。
言葉の問題を踏まえた上で、本論に戻りましょう。「編曲」がより具体的にはどういった行為なのか、それに応じて、その意義や機能も多種多様です。学術分野でも、「批判校訂版」編纂が進められる一方で、こうした多様な「編曲」の在り方、意義に対する問いが投げかけられてきました。そして「編曲」に焦点を当てて西洋音楽史を振り返ると、様々な形の「編曲」が音楽活動に欠かせない重要な一部門を占めていたことが分かってきたのです。
さらに言うと、ある一つの「編曲」をとってみても――例えばオーケストラ作品をピアノ用に仕立てた「編曲」を考えてみましょう――誰が原曲を作曲し、誰がこれを編曲し、どのような出版社が編曲を販売し、どのような人々が編曲を買い求めたかなど、編曲を取り巻くどの事柄に焦点を当てるかによって、見えてくるものは変わってきます。「編曲」を捉えることはどうも一筋縄ではいかない試みに見えます。これは別の見方をすれば、一筋縄ではいかないからこそ、色々なことが見えてくる興味深いテーマが「編曲」であると言えるでしょう。
この連載では、特に18世紀末から19世紀の編曲活動に焦点を当て、実例を挙げながら、編曲の持つさまざまな側面を紹介していきたいと思います。
注釈3:「オーセンティック」とは「真正な」、「本物の」、「権威ある」といった意味です。この用語は、音楽の分野では一般的に、作品が書かれた当時の演奏習慣に則った奏法やピリオド楽器(作曲家と同時代に使用されていた楽器)を用いた演奏を指して用いられることがあります。また、偽作(実際には別の作曲者の作品であるにもかかわらず、「モーツァルト作」や「ハイドン作」などとして流布・伝承された作品)に対する言葉として、ある作曲家の本物の作品(真作)を指して使われる場合もあります。「オーセンティック/オーセンティシティ」という言葉が楽譜について用いられるときには、通常、作曲家の自筆譜や、作曲家がチェックないしは認知した筆写譜、出版譜など、作曲家と関係の近い史料ほど「オーセンティシティ」が高い史料と言われます。
注釈1:「クラシック」「ポップス」の線引きは曖昧ですので(ガーシュウィンの《ラプソディー・イン・ブルー》はクラシック、ポピュラー音楽どちらと聞かれたら、何と答えますか?)、あまり区分けをしたくはありませんが、一応解り易いよう慣習的な語用に則ります。
注釈2:ピティナの行ったアンケート(2016年●月●日実施)にも、編曲には原曲とは別の楽しみがある、生徒さんのレベルに合わせて曲が選べる、クラシックの編曲は好きではない、など、実に多岐にわたる意見が寄せられました。
注釈3:「オーセンティック」とは「真正な」、「本物の」、「権威ある」といった意味です。この用語は、音楽の分野では一般的に、作品が書かれた当時の演奏習慣に則った奏法やピリオド楽器(作曲家と同時代に使用されていた楽器)を用いた演奏を指して用いられることがあります。また、偽作(実際には別の作曲者の作品であるにもかかわらず、「モーツァルト作」や「ハイドン作」などとして流布・伝承された作品)に対する言葉として、ある作曲家の本物の作品(真作)を指して使われる場合もあります。「オーセンティック/オーセンティシティ」という言葉が楽譜について用いられるときには、通常、作曲家の自筆譜や、作曲家がチェックないしは認知した筆写譜、出版譜など、作曲家と関係の近い史料ほど「オーセンティシティ」が高い史料と言われます。