第38回「あなたに常に天の恵みのありますように」
音楽はそれ自体がまるで生き物のように自己組織化する能力がある。その過程に人間の脳が介在しているに過ぎない。そんな風に考えることがあります。......なんじゃそりゃ?
創作するということは、工事よりむしろ発掘作業に似ている――そんな意味のことは、音楽に限らず色々な分野の人が述べているのではないかと思います。創作に携わる人の多くは、自分が何かをイチから作り出しているのではなくて、既にどこかに埋れている理想形をいかに理想形のまま上手に掘り出せるか、という挑戦をしているに過ぎない、と感じてしまう(ことがある)ようなのです。
作品は作品として勝手に成長していくので、作者にできるのはその手助けをすることだけ――といった表現もあちこちで聞かれますが、これも先ほどの感覚と似通ったものでしょう。何か作者の意思を超えた力が、作品の理想形を規定してしまう。
音楽には体系的な理論や法則があって、パーツさえ用意すればある程度は自動的に組み上がっていきやすい。つまりこれが自己組織化ということです。作曲家が果たすのは、その曲を組み上げる際に利用するルールを選び、組織化の道筋を示す役割、ということになりましょうか。
音楽が音楽自身として組み上がるというのはおかしい、そもそも音楽理論は人間が作り上げたもので、平均律みたいな根本的な仕組みさえ人工的な体系ではないか。そう思う人もいるかもしれない。しかし、音楽に関する理論は総じて、経験則をあとづけで言葉や形に表したようなところがあるのです。
たとえばクラシックの和声法や対位法の理論と、バークリー風ポピュラー和声やアヴェイラブル・ノート・スケールの理論は互いに援用可能で、多くの曲はどちらの理論を用いても分析することができます。しかし実のところ、それらは同じ和音や旋律を、まったく違う観点から捉えているのです。
たとえばクラシックの理論では「導音へと解決するための短2度下の倚音」という位置づけになるであろうメロディー中のある1音が、アヴェイラブル・ノート・スケールの考え方を用いて説明すると「9thのオルタード・テンション」だったりするわけです。
まるで宇宙の仕組みを解き明かそうとして次々に理論を考え出す物理学の世界みたいです。同じ音楽を説明しているはずなのに、解釈は何通りにもなりうる。音楽理論というのは、音楽の仕組みを解き明かそうとして考え出されるものに過ぎない気がします。
作曲というのは基本的に知識と経験を要する、試行錯誤を伴なう作業です。あの偉大なるバッハだって、曲を納得いく形で完成させるためには何度も推敲を重ねていました。しかし、その努力は、埋まっている音楽を壊さずに、完全な状態で掘り出すためのものなのかもしれません。あるいは、より面白い埋蔵物を発見するための。
曲が長大であれば、頭で考えて調整せねばならない部分も増えるし、試行錯誤を重ねる必要もあるでしょう。しかし、経験を積んだ作曲家が短くて簡潔な音楽を作るときというのは、まさに発掘作業に近い状態になるのではないか。しかも、楽々と完全に近い形で発掘できたりするのではないか。そんなことを思うわけです。
この『エスキス』には、割れたり欠けたりの一切ない「掘り出し物」が詰まっているような気がいたします。
今回の『あなたに常に天の恵みのありますように!』は弦楽四重奏スタイルで書かれた曲。スタイルを決めて書くというのは、音楽が自己組織化するための道筋をスッキリさせるための手として使えます。たとえば雪の結晶が6角形に成長するのは、水分子同士がくっつける角度が決まっているおかげ。4本の弦楽器が弾ける形で、という決まりごとがあればこそ、音楽は迷わず結晶してくれるというわけです。
演奏の際には、弦楽四重奏らしい4つの声部の絡み合いを心地よく感じてください。特に終盤の追いかけ合いはすべてのパートをよく歌うこと。全体に同じような音型、リズムが繰り返される音楽なので、転調する場所でいかに色合いを変えられるかが大事になります。12小節と13小節の境目など、十分に間を取って表現しましょう。
ではではまた。次回は「ヘラクレイトスとデモクリトス」です。
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