ピティナ調査・研究

第39回「ヘラクレイトスとデモクリトス」

「ヘラクレイトスとデモクリトス」という今回の曲はコミカルでユーモアたっぷり。暗そうなヘラクレイトスのテーマと愉快なデモクリトスのテーマが登場し、最後には議論するかのように絡み合うという明快な構成です。しかしその中には、アルカンという作曲家に近づくための興味深い手がかりがいくつも隠されているように思えてなりません。

まず、この題材の選び方。ヘラクレイトスは紀元前500年ごろの、デモクリトスは紀元前400年ごろのギリシアの哲学者です。アルカンが古い時代、特にギリシャ時代に対して並ならぬ関心を抱いていたことについては前にも触れましたが、それが直接的に表れていると言えます。が、この人選からはそれ以上のものが読み取れる気がしてならない。彼はソクラテスでもアリストテレスでもなく、ヘラクレイトスとデモクリトスの2人に目をつけたのです。これは重要なことではないでしょうか。

いや、それほど大した意味はなくて、2人のキャラクターの対比が面白かったから音楽にしてみたかっただけなんじゃないか。そうとも考えられます。人嫌いで思想の内容も暗いというので、「泣く哲学者」などと呼ばれたヘラクレイトス。対して、元気な笑顔に過ごしてればぜったい幸せになれるよ、ってな前向き一辺倒、「笑う哲学者」と呼ばれていた快活なデモクリトス。確かに、対照的な存在として戯画化するにはうってつけだと言えましょう。

しかし、アルカンがこの2人のキャラクターの対比に目をつけ、面白がることができたのは、まずは彼らの語る哲学の内容に共感を覚え、研究していたからこそなのではないか。愛着のないものを曲の題材にするとは考えがたい。そして、古代の哲学者に対して愛着を抱くというのは、つまり彼らの言葉に共鳴したということに他なりません。

だから、ヘラクレイトスとデモクリトスの思想を少し紐解いてみると、さらにこの曲に隠された秘密が見えてくる......かもしれない。

ヘラクレイトスという人は、何より「ロゴス」を説いたことで知られています。曰く、この世界は絶え間ない変化を続けながら存在しており、その変化は万物の対立によって成り立っている。また、対立する物事とは――上り坂と下り坂、光と闇、生と死など――実はすべて同じ物の変化した姿に過ぎない。その対立や変化を司るものを神と呼べば良いのであり、神とはつまりロゴス(摂理)である。......とまあ、私なりの解釈ではこういった主張をした哲学者。

面白いのは、神というものを擬人化して捉えたりせず「ロゴス」という概念に当てはめ、対立する万物の姿や仕組みそのものを世界の基礎に置いた点です。これは現在も「万物理論」を追究している理論物理学に通じるものがあるように感じます。

対してデモクリトスは、「アトム(原子)」という概念で世界の成り立ちを説明しようとしたことで知られています。この世界にはまず「空虚」が存在し、その中を物質の最小単位たる「アトム」が動き回っている。「アトム」そのものは何の性質もなく、永遠不滅の存在であるが、これが何らかの法則によって組み合わさったり離れたりすることによって、この世のすべての物事が引き起こされている。......彼の主張はこんな感じです。

紀元前の世の中でよくもまあこれほどの思想を展開できたものです。「アトム(原子)」は後に物理学の中でも用いられる語となったわけですし(今では最小単位はクオークだ、いや超ひもだ、などという話になっておりますが)、20世紀の科学者が解き明かした世界の仕組みを驚くほどうまく言い当てていますよね。

この2人の思想は別々のものではあるけれど、どこか唯物論的という面では似ている気がします。すべての物事の奥底には何かの法則が隠れており、宇宙はその法則に則って運行されている。2人ともそのような発想をもとに理論を組み立てているのであり、それは科学に親しんだ我々現代人にとって身近に感じられる考え方でもあります。

アルカンも2人の思想の根底に何かしら重要な共通点を感じ取っていたのでしょう。まるで雰囲気の違うヘラクレイトスのテーマとデモクリトスのテーマですが、実は3度下がって2度上がるターンの音型が共通して出てくる。これを意図的なものと考えるのは、無理なこじつけではないと思います。

ユダヤ教徒でありながら新約聖書にも興味を抱いていた、というようなアルカンの独特の感覚を思い起こせば、こうした唯物論的哲学思想も彼の中では無理なく信仰と同居できていたのかもしれない、などと想像してしまう。思想家としても何か著作などを残していてくれれば、と夢想せずにはいられません。

また、譜面上の表記の前衛的な工夫もこの曲のひとつの見所で、左手が四分の二拍子で八分音符ひとつ弾くあいだに右手は四分の四拍子で四分音符をふたつ弾いている、というようなビックリするような場面が出てくる。こういう大胆な記譜は、近・現代の先取りとも言えるもので、アルカンの型破りな面がよく表れています。

とはいえ、演奏の際はあまり難しいことは考えず、2人の性格の違いをよく表現し、面白おかしく聴かせられればオーケー。せいいっぱい誇張するつもりでやりましょう。右手は2人どちらのテーマにおいても旋律と和音を同時に扱うので、そのバランスの取り方には注意せねばなりません。特にデモクリトスのテーマの八分音符は弾きづらいと思いますので、旋律を担当する外側の指にしっかり腕の重みをかけ、意識を集中して練習すると良いでしょう。

ではまた次回、『待ってても行かないよ』にて。


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