ピティナ調査・研究

第27回「リゴードン」

フランス近代音楽には「温故知新」という言葉が似合う。古い音楽を参考にして、その要素を時代に即したやり方で取り入れることで、新鮮な響きをつくり出そうとしている。たとえば前回触れた教会旋法はその最たる例と言えるでしょう。また、後期バロック時代の「クラヴサン楽派」と呼ばれる先達への憧れや誇りといった感情も見逃せません。

クラヴサンとはチェンバロのフランス名。クラヴサン楽派というのはその名の通り、クラヴサンを自分で弾きこなしつつ、クラヴサンのための曲を書いた人々のことです。フランス人のコンポーザー・チェンバリストたち、とでも言い換えるとわかりやすいでしょうか。ちなみにチェンバロのイギリス名はヴァージナルなので、イギリスのコンポーザー・チェンバリストたちはヴァージナル楽派と呼ばれている。わかりやすいネーミングですね。ややわかりやすすぎるくらいだ!

クラヴサン楽派の音楽にはお洒落な小品が多い。ほかの国のチェンバロ曲に比べて、やはり上品さや「エスプリ」が段違いであるように感じられる。近代フランスの作曲家たちも、そうした先達の作品に触れて「これぞフランス!」といった感情を呼び覚まされ、オマージュを捧げたい気分が沸き起こったのに違いありません。

ところで、ラヴェル『クープランの墓』という作品があります。本人の手でオーケストラ編曲もされているので、そちらのバージョンでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、これはもともとはピアノ組曲。タイトルの「クープラン」は、クラヴサン楽派の大家であったフランソワ・クープランのことで、楽曲のスタイルもクラヴサン楽派を偲んだものとなっています。

この作品、ラヴェル自身にとって思い入れの強い作品であったことは間違いありません。たとえば収められた6曲はひとつずつ、6人の戦死した友人たちへと捧げられる形になっています。そして何より、これがラヴェルの残した最後のピアノ独奏曲でもあって、彼にとって、自身のピアノ音楽の集大成としての意味も持っていたと思われます。

そんな気持ちのこもった作品を『クープランの墓』なるタイトルで書き上げたという事実を見れば、ラヴェルにとってクラヴサン楽派がどれだけ大切な存在であったかを窺い知ることができる気がしますよね。クラヴサン楽派の精神は、バロックと近代をつなぐ、フランスのピアノ音楽の支柱であり続けていたのだ、と言うこともできそう。

さて、アルカンのこと。彼はクラシックの本流から少しはずれたところにいたように思われがちですが、見ようによっては、クラヴサン楽派から連なるフランス系ピアノ音楽の正統的な継承者として位置づけることもできると思うのです。

ロマン派の時代、「フランス系」ピアノ音楽はどうも存在感が薄い。パリが音楽界の中心となっていた故、逆にフランスの特徴が薄れていた、ということもありましょう。ショパンリストのように、よその出身でありながらフランスを中心に活躍した人が目立つので、生粋のフランス音楽の伝統は逆に埋没してしまった感もあります。

だから、ラヴェルらの見せるクラヴサン楽派への敬意や温故知新の姿勢は、近代フランス独特のものであり、伝統を再発見する新たな動きとして受け止められてきた。しかし、実はその流れの上流にはアルカンがいて、彼はロマン派の時代にフランス近代の温故知新への先鞭をつけていたわけです。前回の教会旋法もそうでしたし、クラヴサン楽派への敬意に関しても同じく。

今回のタイトル「リゴードン」は舞曲の形式のひとつですが、これはまさにバロック時代、クラヴサン楽派の舞曲組曲にしきりに用いられた形式です。ちなみに先に述べたラヴェルの『クープランの墓』の第4曲もリゴードン。アルカンは舞曲をあまり書かなかった、と前に書きました。周りの作曲家たちがたくさんのワルツを書く中、たまに舞曲を書いたかと思ったらいかにも古風なリゴードンであった......、というのがアルカン流なわけですね。彼は時代の本流からは確かにはずれていた。けれども実は、彼こそがバロック時代と近代のフランス鍵盤音楽をつなぎあわせるミッシング・リンクなのかもしれません。

演奏に際しては、とにかく歯切れよく、楽しく弾くことを心がけましょう。ディナーミクの指示はmf以上しかありませんが、その中でもきちんとメリハリを出せると良いですね。

それではまた次回、「強情」でお目にかかりましょう。


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