ピティナ特級2021開催記念 スペシャルインタビュー第2弾「SEKAI NO OWARI」 Saoriさん(ミュージシャン)
2010年にデビュー以来、圧倒的なポップセンスと世界観で幅広い音楽ファンからの支持を得て活躍する4人組バンド「SEKAI NO OWARI」。「セカオワ現象」を巻き起こし、名実ともに日本を代表するグループとして活躍する新世代の才能。バンドでピアノ・ライブ演出・作詞作曲を担当するSaoriさんは、小説家・藤崎彩織(ふじさきさおり)としても活躍しています。
実は、幼少期からクラシックピアノを学んできたSaoriさんの恩師の一人は、黒田亜樹さん。今年の特級ファイナルの審査員としてもお迎えしている、ピティナではおなじみのピアニストです。
対談形式で進んだインタビューは、出会った頃を思い出す、懐かしくて楽しいあっというまの時間となりました。
構成:加藤哲礼(ピティナ広報部)
協力:TOKYO FANTASY
今日はZoomだけれど久しぶりに会えて、とても嬉しいです。お引き受けいただいてありがとう。いつもみたいに「Saori」で呼ばせてもらうね。Saoriとは、ピアノの先生だった叔母様が「姪っ子を一度見てあげて」と紹介してくださったのよね。私が、ちょうど今のSaoriと同じ歳くらいの頃かな~。
ピアノは5~6歳で始めて、小中学校時代はよく練習して、コンクールも受けたりしていました。音楽高校に進学して、8時間くらい練習したような時期もありましたね。
Saoriの第一印象は、「かわいい!」だった。よく覚えてる。初めて会ったときからキラキラしていて、おとなしいけど、話し出すとすごく感性が鋭いのね。「この子は何か持ってる」ってすぐ分かった。よく高校の帰りにレッスンに来ていたよね。
家がそれほど裕福でなかったので、レッスンをもうちょっと受けたくてもなかなか難しくて。アキさんにそれをこぼしたら、「じゃ、特別ね。楽譜の製本、掃除、料理、家のこと手伝ってくれたら、そのぶん余計に見てあげるわよ!ギブ&テイク!」と言われて、なんだこの先生は、と(笑)。あの時期、アキさんのお宅にずっと入り浸っていましたよね。あの時に教えていただいたことが今も生きているって、いつも思っています。
そんなこともあったね~! 最初の頃のレッスンでSaoriが「今まではとにかく魚を釣りなさい、と言われてきましたが、魚の釣り方を教えてくれたのは先生が初めてです。だから、やります。」と宣言したのね(笑)。そんなことを言ってくれた生徒は、私にとっても初めてで、嬉しかったな~。
音楽高校に入ったはいいものの、ここはクレッシェンドと書いてあるからクレッシェンド、ここはフォルテだから絶対フォルテ、という約束事に疑問を持ち始めて、「なぜここを弱く弾いたらいけないの?私のアイデンティティはどこで出せばいいの?クラシック音楽は楽しんじゃいけないの?」と悩んでいた時期だったんです。
アキさんは、「じゃあ、そこ、弱く弾いてみたら?どっちがいいか、実験してみようよ」と言ってくださって、むしろ私のほうが驚きました。
そうだったそうだった。よく議論もしたよね。「私はこう思う」「じゃ、論破してみなさいよ!」「ここをこうしたい」「でもそうしたら、この後、つじつまが合わなくなるんじゃない?」とか(笑)。本当にそうだろうか、他に表現の方法はないか、一緒にたくさん検証したよね。
そうやっているうちに、クラシックという「枠」の中にも自由があって、自分を表現する方法があって、こんなに色々なことができるんだと、初めて希望が見つかった気がしました。
実は、私が教えていた時期に、ピティナのコンペにも一度参加したことがあって。でも、コンペと演奏検定の申込区分を間違えてしまって、私もきちんとチェックしてあげなかったから、失格というか検定扱い(コンクールとして次選に進む権利がない参加の仕方)になってしまって。私、反省したな~。あのことがあって、指導者として生徒の申込書を気を付けてあげないとって学んだのよ。でも、あのころからSaoriは自立していて、申込も全部自分でやっていたよね。
それこそ、「特級」を受けるような専門の道に進んでいてもおかしくなかったと思う。バンドと並行しながら音大で選ばれてラヴェルのコンチェルトを弾いていたし、スクリャービンの2番のソナタとかも好きだったよね。SEKAI NO OWARIのファンの皆さんも、Saoriがそこまで本格的にクラシックの王道を勉強していたことは、もしかしたらご存じないかもしれないね。
スクリャービンはイタリアでリサイタルをしたときにも弾いた曲ですね。なつかしい!
クラシックのピアノをやっている人は、基礎を積み上げてきているから、バンドの世界に入ると実はスターになれるんです。初見ができたり、少しコードを変えてみたり、やれることがたくさんある。逆に、外に出て、色々な音楽に触れてみたり、他のジャンルの人たちと一緒にやってみたことで、クラシックがどんなに良い音楽かが改めて分かったとも思います。
自分が今、曲を作る側になって感じることもある?
はい。自分で5分の曲を苦労して完成させてみると、ラフマニノフが一瞬も退屈させない30分のコンチェルトを作ったのは本当にすごいことだって、身に染みて思います。あとは「楽譜に書いて伝える」ことの難しさも。例えば、ちょっとしたアレンジで、たった8小節のストリングスのスラーを「こう弾いてほしい」と、それ一つ伝えるのにもすごく悩みます。
それに、以前感じていた「クラシックの制約」のことも、別の感じ方をするようになりました。ポップスでは、流す媒体、用途、長さがはっきり決まっていて作ることが多いし、「十代の人たちには、この言葉は分かりにくいかな」と思えば別の言葉を探すこともあります。それも結局は不自由さ、制約で。クラシックでもポップスでも、ある種の制約のなかで、こうしたい、こうしたほうがいいって探していくのは一緒なんだなと思いましたね。
うちの息子もSEKAI NO OWARIの曲がすごく好きなの! そういえば、レッスンしたリストの「タランテラ」のモチーフが取り入れられている曲もあるよね。はっきりクラシックの和声が使われているところとか、クラシックの影響を受けているところも随所に感じます。冒険的なバンドなのに、世界が広くて豊かなのは、クラシック音楽の影響もあるのかしら。
クラシックの要素が入っている曲も、たくさんありますね。意識的に入れることもあるし、自然と出るものもあります。あとは、インスタで、たまにクラシックを弾いたりもしますね。忙しくて、なかなかきちんとしたピアノ演奏は披露できないけれど、今でも時々クラシックの曲は弾いています。たとえば、ツアーが始まって、ウォーミングアップに弾くのは、ショパンのエチュード Op.10-4。これはもう私の定番で、メンバーやスタッフはリハーサルで何度も聴いているから、クラシックを知らないスタッフも「あ~、Saoriがいつも弾いてる曲ね」と分かってくれます。でも、アキさんに聴いてもらうとなると、どうかな(笑)。
「Saoriさんのピアノのコンサートが聴きたい!」というファンの方の声もあると聞きます。そういう構想はないの?
お仕事を今の3分の1にしないと難しいかな(笑)。
とにかく、感性がすごく豊かで才能あふれる感じがあったのは、よく覚えてる。チェリビダッケ(※往年の巨匠指揮者)の「展覧会の絵」(ムソルグスキーの作品)のCDをちょっと聞かせたら、もう自分で買ってきていたし、読書家で、よくレッスン室の片隅で本を読んでたことも覚えてる。文章も上手で、将来は書く人になるんじゃないかなとも思っていたの。
アキさんのホームページに文章を書かせていただいたこともありましたよね。
もともと、表現する意欲がとても強い人だったんだと思う。意志の強さがあって、大学に入ってからも、自転車でレッスンに通ってきていたよね。節約して、自分たちの活動のための積立にしていた時期じゃないかな。まわりのみんなが反対するようなことをすべてやっていた。
よそへ行くと、私は「ダメ」な生徒だったかもしれません。でも、アキさんのところに行くと、対等に話をしてくれて、自分らしいものを一緒に探してくれた。居心地が良かったんだと思います。
自分たちのライブハウスを、リフォームして作るんだって話してくれて、すごいことをする子たちだなと。その頃から、少しずつお客さんが付いていったんだよね。音楽をやるときだけ集まるのではなくて、生活を共にして、一緒にご飯を食べて、そこで音楽を作りたいって考えて、それを実践してた。しかも大学に行きながら。友情とチームワークで、本当にやりきったんだよね。
一緒にいる生活そのものが音楽につながっているというのは実感していて、それはアキさんの影響も大きいと思います。
「クラシックだけやっていても弾けないわよ。どういう料理をするか、どう掃除をするか。製本の美しさにも音楽の美しさはあるのよ!」とか、教わっていましたから(笑)。
(※注 ちなみに掃除をした生徒はSaoriさんが特別なケースとのこと(黒田談)
我ながら強引だねー(笑)
住み込みバイトみたいな頃もありましたね(笑)。でも、あの頃があって、今があると思う。音楽だけを親に言われてやるのとは違う、私なりの考え方があの頃できていったような気がします。
Saoriから、ポップスの世界で1つのコンサートにかける制作費を聞いて驚きました。クラシックのコンサートなら1000回くらいできてしまうような規模で物事が動いていて、そんな世界で頑張っているのが、本当にすごい。
印象に残っている言葉があってね。「<才能>というのがどういうものか、よく分かっているつもりです。私たちのグループは、1人ひとりがソリストではない。だからグループでやっているんです。みんなで一緒にいるから、いいものができるんです」って言っていたよね。
クラシックの世界でピアノをずっとやってきて、ソリストとして舞台に立つことがどれだけプレッシャーが大きいことか分かっています。「ステージに出て、ピアノの前に座って、最初の音が分からない!」という夢を、いまだに見るんです。何よりも緊張するし、怖いことだった。1人で舞台に立つって、本当にすごいことです。そういう経験をしてきたから、私は今、バンドの中でけっこう肝が据わっていられるんだと思います。
音大時代のお友達とは今もつながっているの?そういえば、イタリアのマスタークラスで一緒だったグロリア(グロリア・カンパネール、イタリアの女性ピアニスト)がSaoriに会いたがってたよ!
はい、音大時代の友達とも今も交流がありますよ。グロリアは、日本ツアーのときにセカオワハウスにも泊まったんですよ! 初めて出会ったときは、お互い高校生だったかな。英語もイタリア語も話せなくて、音楽で、ピアノでしか会話ができなかった。ピアノの音だけでつながって、「あなたのピアノが好き」ってこともピアノで伝えようとしていました。
大人になって、お互いにピアノと音楽を仕事にして、私も少し言葉ができるようになって、改めて話をしてみると、同じ感覚をたくさん持っていて、私の家の電子ピアノで彼女が弾いてくれた演奏にすごく感動して、結局、音楽でつながっていたんだな~と思いました。
Saoriがポップスの世界でスターになって、グロリアもクラシックの世界で素晴らしい演奏家になって、今もそういうつながりが持てるって素敵だね。
昔やっていたことが役に立つというか、「点がつながっていく」瞬間ってあるんだなとすごく思います。「あなたの音楽が好きだよ」とグロリアに伝えたいから英語を勉強したというのもありましたし。
全部がつながっているんだね。今は色々なお仕事に挑戦しているけれど、どんなスタンスなの?
私は最初クラシックでまわりの友達のようにうまくいかなくて、バンドを立ち上げて頑張るようになりました。バンドデビューして10年経ってみると、そのなかで「1人じゃ何もできなかったのだろうか?」と思うようになって、それもちょっと悔しくて。バンドが大きくなってから、小説を書き始めたんです。1人でできることをやってみたいということかもしれません。
今は、バンドも大切、ピアノを弾く自分も大切、小説を書くのも大切、海外でも表現してみたい、とにかく時間さえあれば全部やりたいし、どれも楽しくて。色々やりたいことがあればあるほど、どれにもフラットに挑戦できて、心のバランスを取りながら頑張れているような気がしています。
最後に、このインタビューは「特級開催記念の特別インタビュー」ということになっていて、今年もたくさんの若いピアニストたちや子供たちがピアノに向かって頑張っているので、そういった人たちへエールをお願いできますか?
私は、コンクールで良い結果を出したことが一度もなくて、バンドをやりはじめてようやく、ピアノを頑張っていた頃の「点」がつながってきた感じがしたんです。まさかバンドで紅白に出ることになるなんて。ピアノやクラシックを頑張っていたあの頃の「点」が、人生の中でつながる瞬間があったんですね。本当に、びっくりするようなタイミングでつながっていきました。
私もピアノを勉強していたので、コンクールに挑戦すること、まして「特級」に出て膨大な課題曲をこなすことの大変さはよく分かります。今の努力が、後で思いもかけない形でつながってくる日がきっと来るので、頑張ってほしいです。
いつかクラシックのピアニストもSaoriにプロデュースしてほしい!
自分のアイデンティティを最初に作ってくれた場所なので、いつかクラシックやピアノには恩を返していきたいなと思っています。
楽しみ!今日は素敵な時間をありがとう。またゆっくり会いましょう。
SEKAI NO OWARI
6th オリジナル・アルバム 『scent of memory』
『ねじねじ録(藤崎彩織)』
発売日:2021年08月03日
発行:水鈴社
発売:文藝春秋
ジャンル:随筆・コミックエッセイ