ダニエル・バレンボイム 16年ぶりのピアノリサイタル 「マーネ・ピアノ」を調律して
世界的な巨匠ダニエル・バレンボイム氏が来日し、6月2日から9日にかけて、16年ぶりの日本でのピアノリサイタルが東京・名古屋・大阪の3都市で実施されました。今回のツアー全体でバレンボイム氏のために作られた特注のピアノ「クリス・マーネ・ストレートストラング・グランドピアノ」の調律を担当した調律師の倉田尚彦氏(ピティナ調律会員)にお話を伺いました。(聞き手:加藤哲礼)
バレンボイムさんのツアー、大変お疲れさまでした。今回の依頼はどのように?
無事に終わってホッとしています。今回のお話は、主催のテンポプリモ様からご依頼いただきました。私は25年ほどマルタ・アルゲリッチさんの来日公演を担当させていただいていますが、ちょうど、残念なことにアルゲリッチさんの6月公演のキャンセルが決まった時期にご連絡いただき、お引き受けすることになりました。実はアルゲリッチさんが懇意にしておられ、私も彼女から紹介していただいたことがあるコンセルトヘボウ(オランダの名門ホール)のハウスチューナー、ミシェル・ブランジェス氏が、今回のクリス・マーネ作の平行弦ピアノの開発にも関係しておられ、私の名前を出してくださったそうです。とても光栄なことで、アルゲリッチさん・バレンボイムさん・ブランジェスさん・マーネさんと連なる不思議なご縁を感じます。
お引き受けに不安はありませんでしたか?
もちろん手慣れた楽器と異なる点で心配はありましたが、私たちの役割は「良い音楽」を作るお手伝いをすることで、それはいつでも変わりません。ただし、特殊な楽器で、通常の部品とは違う部品がが破損する事も想定し、予備の部品を楽器と共に送っていただけるかどうかは事前に確認しました。幸い、ベルリンでこのピアノの調整を担当している方からもすぐにメールをいただき、この楽器の基本的な仕様や、ベース弦は同梱してくださること、通常のスタインウェイの部品で代用できる部分も多数あることなどを事細かにご説明いただきました。
いつ「マーネ・ピアノ」と<初対面>されたのでしょうか。最初の印象はいかがでしたか。
楽器は5月末には到着しており、東京公演初日の前日、6月1日にスタインウェイ・ジャパンさまの本社で開梱しました。バレンボイムさんもその日に事前の下見をされることになっており、まずそこまでに調律だけしました。アクションはスタインウェイそのもので、鍵盤の幅が少し狭く、鍵盤全体にすると3~4鍵分くらいの差があったと思います。普段はドからかろうじてレまで(9度)しか届かない私の手で、10度届きました。もっとも、バレンボイムさんはホテルでは普通のピアノで練習していたようですから、交互に弾いても大丈夫なほど、既に慣れておられるのですね。
倉田さんが感じた「マーネ・ピアノ」の特徴はどのようなものでしょうか。
まず、ベースの巻線が銅製でなく、19世紀のピアノのような真鍮製で、良い意味で硬くて振動しにくく、派手さはなく深みのある渋い音が鳴りました。また、交差弦の現代ピアノではベースのハンマーが1センチ弱くらい長いわけですが、平行弦のピアノではハンマーは同じ長さです。たしかに迫力ある低音ではありませんが、チェンバロやフォルテピアノを思わせるようなシンプルですっきりした低音が鳴ります。このようなベースの音が基礎にあるので、高音部も派手でなくてよいという楽器の設計思想を感じました。絶対的なキャパシティは現代ピアノより小さいのですが、そのぶんキャパの中でのグラデーションがあり、表情豊かに聞こえてきました。
「マーネ」の特許のひとつである響板の木目の向きも印象的でした。この楽器では、木目が弦と平行になるように置かれた中低音部と、斜め45度に置かれた高音部と、2方向の木目が組み合わされています。私たち調律師も演奏家も、ついつい「弦を鳴らす」ことを
考えてしまうのですが、実際に私たちが聞いている音は共鳴板、つまりピアノのボディが鳴っている音ですから、響板に独自の画期的な工夫を加えたマーネ氏の発想の斬新さは衝撃でした。
現代のピアノを調律しておられる立場から考えることがたくさんあったのですね。
私たちが扱っている現代のピアノは、20世紀までにスタインウェイに代表されるピアノメーカーが研究を重ねて作り上げた素晴らしい性能を持っており、現在、ピアニストや私たち調律師は、「モダンピアノ」というこの楽器の中で、良い音、良い演奏を追求しています。ただし、それはピアノの歴史からすると、ほんの先端のことにすぎません。たとえばオーケストラでも、昔は、使っている楽器の仕組みに「ウィーン式」「フランス式」といった違いがあり、演奏家も地域ごとに演奏方法に個性がありましたから、それらが組み合わさって各地のオケ独自の音を作り出していました。今は、良い意味でも悪い意味でも、楽器の種類もプレーヤーも「標準化」されている傾向にあり、世界各地のオケで「共通言語」はできましたが、「多様性」は失われたのかもしれません。同じことが、ピアノにも言えると思います。今回の「マーネ」に触れて、むしろ現代ピアノの発展によって失われたものが戻ってきたようにも感じられましたし、「ピアノって何だろう?」「ピアノらしさって何だろう?」と
いう疑問を改めて問いかけられたように思いました。
バレンボイムさんは、調律に対して何かリクエストを出される方なのでしょうか。
いいえ、具体的なリクエストはほとんどありませんでした。確かに、最初に開梱した日に試弾して、「uneven(不揃い)だね、修正しておいて」などと言われはしましたが、どこの音がどのようにという具体的なご指示は一切ありませんでした。ピアニストの中には、調律師に付きっ切りで事細かに指示を出す人もいますが、バレンボイムさんはそのようなやり方ではないようでした。ただ、それが楽かというと、かえって難しさもあるわけで(笑)、「いかに全体の雰囲気を変えずに、昨日より良くしていくか」を考えながら慎重に調律に当たりました。特に、東京の最初の3日間は微調整に留めて演奏家にも大きな負担を掛けないようにし、名古屋・大阪と場所もホールも変わるタイミングで、少し大きな修正を試みました。
ちなみに、アルゲリッチさんも調律に対して細かいリクエストはなく「見ておいて」とだけ言われることが多いです。もちろんアルゲリッチさんやバレンボイムさんのレベルになれば、ほんの一回スケールを弾けば、楽器のことは一瞬でお分かりになります。何か注文がないからといって鷹揚だということではないのです。むしろ、書道の達人が最初に筆を置いたときのかすれや滲みを一瞬で感じて、次の運びで一気に素晴らしい作品にしてしまうように、その日の楽器の状況に応じた芸術を生み出せるということですね。「出てきた音に対してどのように反応するか」こそがピアニストのスキルの本質であり、ピアノ演奏は究極の「リアクション芸術」といえると思いますが、まさに彼らはその点において最高のピアニストたちです。
改めて、倉田さんにとって今回のお仕事はどのようなものでしたか。
このツアーの後、すでに元の日常に戻り、通常の現代ピアノの調律もいくつか行いました。元のピアノに戻ってきて安堵感を感じるかなと思ったのですが、むしろ、今回の経験を通じて音の聴き方や音への価値観が変わったように感じています。ピアノという楽器が、その進化の歴史のなかで捨ててきたもの、脇に置いてきたものに、今一度もう少し向き合ってみてもよいのかなと思っています。つまり、ピアノという楽器に、弦楽器的な要素(きれいに並んだ倍音を重ね合わせることができる)と打楽器的な要素があるとしたら、私はもともと前者の魅力を感じている人間ではありましたが、さらに色々できるのではないかと考えさせられました。このことは、ピアノ学習者の皆さんにも大きなヒントになります。ピアノの響板は音のパレットです。様々なタッチを使って、パレットのうえに一人ひとりが独自の色を見つけていくことを楽しんでいただきたいと思います。私たちは、そのお手伝いをするために調律をしているのです。
私たち調律師の仕事は、ピアニストと一緒に「良い音とは何か」を考えていくことです。そして、「良い音」は単体で存在するわけではなく、そこで鳴っている「音楽が美しい」と感じられた場合に「良い音」だったといえると私は考えています。「上手な調律」と言われることが目的ではありません。例えばバレンボイムさんの演奏を聞いて「ピアノが上手だった!」という声はなかったですよね。バレンボイムさんを通じて表現されたベートーヴェンの音楽に対して、何かを感じた、勇気をもらった、涙が出たという感想が聞こえてくるわけです。そこには必ず「良い(音楽が伝わる)音」があったはずなのです。バレンボイムさんが演奏で証明してくださったとおりです。私も、良い演奏、良い音楽のために努力を重ねていきたいと改めて感じさせていただいた今回のお仕事でした。
貴重なお話をありがとうございました。