ピティナ調査・研究

来日公演直前 ダニエル・バレンボイム氏 特別インタビュー

ピティナ後援 来日公演直前企画
ダニエル・バレンボイム氏 特別インタビュー

6月初旬に16年ぶりに日本でのピアノリサイタルを行うマエストロ、ダニエル・バレンボイム。世界的なピアニストとして、また、世界各地の主要なオーケストラや歌劇場を率いる指揮者として、その信じられないほど精力的な活動と新しい事柄への好奇心は、78歳を超えた今もとどまるところを知りません。
今回、来日公演を前に、マエストロがピアノ教育団体であるピティナのために特別に時間を割いてくださり、オンラインでのショート・インタビューが実現し、この貴重な機会には、新たな時代の音楽家として挑戦を続ける角野隼斗さん(2018特級グランプリ・ピティナ正会員)にも立ち会っていただきました。
6月初旬の来日公演を前に、単なるピアニスト・指揮者の枠にとどまらない巨大な芸術家・文化人として深い教養と思索を湛えた、バレンボイム氏の音楽観・教育観の一端を感じていただければ幸いです。

協力:株式会社テンポプリモ(6月来日公演招聘元)
聞き手:加藤哲礼(ピティナ育英・広報室長)
2021年4月27日 ベルリン「バレンボイム・サイード・アカデミー」のバレンボイム氏と結んでのオンライン取材


Special Interview

今日はとても貴重な機会をいただき、ありがとうございます。ピティナは音楽教育の団体ですので、今日は「教育」についてマエストロにいくつかの質問をさせてください。

まず、マエストロは、ご両親をはじめ多くの音楽家たちの指導や影響を受けて、今日の音楽活動をなさっています。印象に残っている「教育」あるいは「先生」のエピソードやアドバイスがありましたら、お聞かせください。

こちらこそ、このような機会をいただいて大変光栄です。最初のご質問ですが、実のところ、私の実質的な「ピアノの先生」というのは一人しかおりません。それは私の父です。父より前に、ほんの最初の段階では母に手ほどきを受けたのですが、あらゆる点で、本当の意味で私の「先生」であったのは、父でした。

父はとても知的な人で、哲学を学んだこともあって、教育やピアノ演奏についての自身の考え方を持っており、とても上手にそれを発展させていました。彼の思想の根幹は、人は音楽の「中」で、また音楽と「ともに」、考えることができるはずだというものでした。ただ、本能で音楽をするというだけではないのだ、というのです。

作品を勉強したり練習したりするときの基本的なプロセスとしては、まず頭で考え、それを心で感じ、それから指へと到達するべきなのですが、多くの人はそのことをきちんと理解していません。何となく指の訓練だけに終始しながら、膨大な事柄を整理するのに費やしてしまうのですが、それは不可能なことです。父からはそのようなことを学びました。

とても示唆に富む導きがあったのですね。 今度は逆に、ご自身についてです。マエストロは早くから、若い世代への教育や機会の提供も熱心に行ってこられました。「音楽教育」について、現在お感じになっていることを教えてください。

今日、音楽と音楽教育が直面している2つの問題を憂慮しています。

1つめの問題は、これは私がよく知っているヨーロッパの状況に限ってのことで、日本の事情はよく存じ上げませんが、一般大衆の教養のレベルがどんどん下がっているということです。音楽に関する教育も以前ほどなされなくなってきています。これは、未来に向けての大きな問題でしょう。

2つめは、若い音楽家たちが、文学や哲学といった他の精神的な分野に関する教育をきちんと受けていないことです。彼らは、ピアノやヴァイオリンや何か特定の事柄の「スペシャリスト」になろうとするのですが、それは良いこととは思えません。なぜなら、音楽の「内容」というのは、すべて思想や感情に結びついているものであり、すべては人間的なものでなければならないからです。スピードやパワーや音量の問題のみを追えば、音楽は、容易に表面的なものになってしまうでしょう。私は「専門化(スペシャリストになること)」の有効性というのを信じておりません。亡くなった私の友人、エドワード・サイードは「専門家がある物事を深く知れば知るほど、かえって理解からは遠のいていくものだ」という言葉を残しました。

挙げてくださった2つの問題は、日本の状況にも共通する、とても大切なものだと思います。 さて、ピアノを学ぶ子供たち、そしてそれを導く指導者にとって、音楽やピアノと一生良い関係を築いていけるように、心がけておくべきことは何でしょうか。

最初に子供たちに教えてあげるべきは、「芸術にとっての最大の敵はルーティン(習慣化)だ」ということでしょう。最悪なのは、機械的に繰り返すことです。

練習するときに大切なのは、機械的にならずに、良い集中力をもって行うということです。実に多くの人たちが、技術上の問題を解決しようと、機械的に繰り返すのですが、それはまったく役に立ちません。たとえほんの1つのパッセージであっても、もし機械的に練習すれば、音楽的な特性というものを得ることはできません。練習の際にはいつも「集中」がなければなりませんし、音楽への「意志」がなければならないのです。機械的に、習慣的になってしまうことに、いつでも注意深くあるべきです。

音楽において、前の繰り返しということは絶対にありえません。たとえ音符が同じであっても、いつも異なる新しいものが生まれなければなりません。何が前にあって、何が後に続くのか、すべてが関係性を持ってつながっている以上、まったく同じことが繰り返されるということはありえないのです。そのことを丁寧に導いていただきたいです。

コロナ禍においても、日本の音楽家たちは努力を続けています。日本で音楽に携わる人たち、音楽を学ぶ人たちにメッセージやアドバイスをお願いします。

新型コロナウイルスが、健康上の危害以外に私たちにもたらしたのは、全人類に対しての心理的なプレッシャーということでしょう。本来ならば前もって計画できたようなことを、1日ごとに少しずつ計画しなければならないような日々を、今、私たちは過ごしています。私にできる唯一のアドバイスは、そして私自身もそうあろうとしているのですが、例えば来シーズンや来年のことを考えるのではなく、毎日を一生懸命生きるということです。そうすることでしか、今の時代には心穏やかに過ごすことはできないでしょう。

今日は貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。6月の来日公演を楽しみにお待ちしております。

♪角野隼斗さんもインタビューに同席
分刻みのスケジュールをこなす世界的な巨匠と言葉を交わすことができる時間。バレンボイム氏と招聘元のご厚意で実現した特別な機会に、ユニークな発想とチャレンジ精神で新たなジャンルを切り拓いている角野隼斗さん(2018年特級グランプリ)にも急遽お声がけし、立ち会っていただきました。2人の年齢差はなんと53歳!画面越しにも世界を代表するマエストロと対話し、おおいに刺激を受けていました。

ダニエル・バレンボイム来日公演情報

チケット好評発売中、東京追加公演も決定![NEW]

2021年6月2日(水)19:00 サントリーホール(東京)プログラムB [追加公演決定!5/14NEW]
2021年6月3日(木)19:00 サントリーホール(東京)プログラムA
2021年6月4日(金)19:00 サントリーホール(東京)プログラムB
2021年6月7日(月)18:30 フェスティバルホール(大阪)プログラムB
2021年6月9日(水)18:45 愛知県芸術劇場コンサートホール(名古屋)プログラムB

プログラムA 「最初の4つのソナタ」ベートーヴェン:ピアノソナタ第1~4番
プログラムB 「最後の3つのソナタ」ベートーヴェン:ピアノソナタ第30~32番
ダニエル・バレンボイム(指揮・ピアノ)

1942年生まれ。5歳より両親からピアノを習い、7歳でピアニストとしてデビュー。1952年には10歳でウィーンとローマ、55年にパリ、56年でロンドンに相次いでデビュー、57年にはストコフスキーとの共演でニューヨークにデビューし、国際的な評価を確立した。54年にはフルトヴェングラーから「バレンボイムの登場は事件である」と評されている。60年代にはベートーヴェンの協奏曲全曲でオットー・クレンペラーと、ブラームスの協奏曲全曲でサー・ジョン・バルビローリと共演、レコーディングも行った。66年から69年にかけては、自身最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を行っている。また、68年には、ピンカス・ズッカーマン(ヴァイオリン)、ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)とともにトリオを結成。以来、フィッシャー・ディースカウ、イツァーク・パールマン、アイザック・スターン、ヨーヨー・マ、マキシム・ヴェンゲーロフ、マルタ・アルゲリッチ、エマニュエル・パユら時代を代表するソリストとともに室内楽にも取り組んでいる

レパートリーはピアノ・室内楽・指揮ともに多岐にわたり、バッハからベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーに至るドイツ語圏の作品の演奏はとりわけ圧倒的な支持を得ている。作品の細部のみならず作曲家や時代背景までをも俯瞰し理解したうえでの確信的な音楽が特徴で、ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ協奏曲・ピアノ・ソナタ全曲、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲といった集中的な演奏や録音が多く、いずれも好評を博している。2020年12月には自身5度目となるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音をリリースして注目を集めた。

指揮者としても精力的に活動し、パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、シュターツカペレ・ベルリン、ミラノ・スカラ座の音楽監督、ベルリン・フィルの楽団史上初の名誉指揮者などを歴任。22年1月には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートへの自身3度目の出演が予定されている。

現在は指揮とピアノの双方で精力的に活動を続ける一方、99年に文学者のエドワード・サイードとともに設立したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を率い、若手音楽家の育成や中東和平を希求する活動にも積極的に取り組んでいる。グラミー賞、大英帝国騎士勲章、レジオンドヌール勲章、ドイツ連邦共和国功労勲章、高松宮殿下記念世界文化賞など受賞歴も多い。


ピアニスト・バレンボイムを知る3枚

ピアニストとして70年以上のキャリアを持つバレンボイムの最新の録音から3枚をご紹介。いずれも、ピティナ会員で「ピアノ曲事典プラス」のオプションサービスに加入すると、「ナクソス・ミュージックライブラリー」で聞き放題です。(下記ナクソスへのリンクは、ピアノ曲事典プラスに加入している方に限り有効です。)

コロナ禍に生み出された、巨匠5回目(!)のソナタ全集。パンデミックによって生じた時間に、改めて楽譜と向き合い、ゼロからアプローチ。初心に立ち返って生誕250年のベートーヴェンに新たな光を当てた。

1~6番7~12番13~19番20~26番27~32番

聴き比べてみよう♪ ~演奏家人生の節目のベートーヴェン~
On My New Piano

バレンボイム考案の新しいピアノ(来日公演でも使用予定)で話題となった画期的な新録音。楽器に対しても飽くなき探究心を持っている。

ベートーヴェン:三重協奏曲

盟友ヨーヨー・マ、ムターと、バレンボイム自身がイスラエル・アラブ諸国の若い音楽家たちと創設したオーケストラとの共演。

共演:ヨーヨー・マ(チェロ)アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団

音楽家バレンボイムを知る3冊

バレンボイム自身の著作やインタビュー、対談などからも、多くの示唆を得ることができます。ピアノ、室内楽、オペラ、交響曲などクラシック音楽のジャンルだけでなく、哲学、文学など他の芸術分野にわたって広範な知識・教養を持つ巨匠ならではの思索を味わってみませんか。(※いずれも絶版につき図書館等でお探しください。)