ピティナ調査・研究

課題曲をとりまく作品を聴こう!

今年のピティナ・ピアノコンペティションソロ部門のA2級からF級までは「課題曲チャレンジ」へと衣替えすることになりました。コンペティションのように予選通過や順位といった競争の要素はなくなりましたが、それもまた一つの学びのチャンスです。もともと音楽とは、音楽そのものとの対話です。自問自答しながら一つの曲を磨き上げることは自分を磨くことにつながります。
この3月に、音楽学者の今関汐里さんからコンペティションに参加される方々や指導者の方々へのエールをお寄せいただいていました。今関さんは音楽大学のピアノ科を経て音楽学への道を進まれた方です。この記事からは一つの曲から興味を広げるためのヒントを読み取っていただきたいと思います。(ピティナ編集部)


課題曲をとりまく作品を聴こう!

3月1日に課題曲が公開されてから、コンペティションに向けて練習を重ねられていることでしょう。ここでは、いくつかの課題曲を例に、その曲と関連のある作品を取り上げてみます。数か月の付き合いになる課題曲。いつもとは異なる角度から、いつもの曲に向き合ってみるというご提案です。
 必要と思われる部分に譜例を加えてありますが、ぜひ実際に音楽を聴いてみることをお勧めします。お手元の楽譜やこのページの最後に挙げたリンク先の楽譜もご覧ください。

今関 汐里(音楽学)

ショルツ編〈走れ、こうまよ、ギャロップで〉

ショルツ編〈走れ、こうまよ、ギャロップで〉は、A1級の課題曲(バロック)になっています。ギャロップgallopとは、馬術用語で馬の最も速い走法のことです。この作品はカノンになっており、比較的ゆっくり演奏されますが、それがこうまのギャロップを表しているとも考えられますね。

では、その他の音楽作品で馬はどのように表現されているのでしょうか。まずは、B級の課題曲(ロマン)であるブルグミュラー〈貴婦人の乗馬〉をみていきましょう。ピアノ教育者としてフランスを中心に活躍したブルグミュラーは、《25の練習曲》作品100を1851年に出版しました。曲集の最後に置かれた〈貴婦人の乗馬〉の冒頭では、音価の短い音符、スタッカート、前打音が多用されていて、躍動感あふれる乗馬の風景を連想させます【譜例1】。

【譜例1】ブルグミュラー《25の練習曲》作品100 第25番〈貴婦人の乗馬〉

「馬」の音楽的な描写は、ピアノ作品に限ってみられるわけではありません。シューベルトドイツ歌曲《魔王》を取り上げてみましょう。この歌曲は、ゲーテの同名の詩に付曲したもので、シューベルトの代表作のひとつとしてもよく知られています。夜遅くに子供を抱きかかえた父親が馬を走らせていると、魔王が現れて子供を言葉巧みに誘い、家に着くころには子供は息絶えてしまう、という恐ろしい情景を描いた作品です。歌手は、語り手に加えて、父、息子、そして魔王の登場人物を歌い分け、物語を進めます。一方で、ピアノ・パートは三連符の連打を主とする伴奏音型を絶えず繰り返しており、馬が駆け抜ける様子を表現しています。時折、左手には、風のうねりや、あるいは少年に忍び寄る死の影を思わせるような不気味な音型が現れます。【譜例2】。

【譜例2】シューベルト 《魔王》

このように、「馬」という題材に注目してみると、ショルツ、ブルグミュラー、シューベルトがそれぞれの形で馬が走る姿を音楽的に表現しようとしていたことがわかるでしょう。そのほかにも、ヴァーグナー楽劇《ヴァルキューレ》の第3幕冒頭の〈ヴァルキューレの騎行〉では、北欧神話の戦いの女神ヴァルキューレが馬に乗って登場する場面が描かれています。ここでは、管楽器の音色、付点リズムが、馬が勇敢で威勢よく駆けるさまを見事に表しています。

フランスの歌〈月のひかり〉

では次に、同じA1級の課題曲であるフランスの歌〈月のひかり〉を取り上げてみましょう。素朴な旋律が特徴的なこの作品は、18世紀のフランス民謡として現在に至るまでよく知られています。特に19世紀以降には、多くのフランス人作曲家がこの民謡を引用し、作品を残しました。

まずは、サン=サーンス《動物の謝肉祭》(1886)の第12曲〈化石〉をみてみましょう。この作品には、サン=サーンスのオリジナル作品である《死の舞踏》の旋律に加えて、多くの民謡旋律が用いられています。25小節目からは、モーツァルト変奏曲でも有名な「きらきら星」の旋律がカノン風に複数の楽器に引き継がれていき、30小節目になると、クラリネットが〈月のひかり〉の旋律を奏で、2つの民謡旋律が重なります。この民謡旋律は、グロッケンによる《死の舞踏》の旋律のグロテスクな性格と対照的に、素朴で穏やかです。

 ドビュッシーもこの〈月のひかり〉を、自身の《前奏曲集 第2集》(1910)の第7曲〈月の光がふりそそぐテラス〉に引用しています【譜例3】。ドビュッシーは、この民謡に基づくモチーフを冒頭に置くことで、当時の人々がすぐに民謡を連想できるように工夫したと考えられます。このモチーフの後には、高音域からの下降旋律が奏でられ、月の光が降り注ぐ情景を描いているかのようです。

【譜例3】ドビュッシー 《前奏曲集 第2集》より〈月の光がふりそそぐテラス〉

ドビュッシーと同じころに、サティもこの民謡のモチーフを使って作曲しました。《スポーツと気晴らし》(1914)より〈いちゃつき〉です。この曲集は、ピアノ独奏のためのものですが、作曲者自身が楽譜に、その音楽外の情景をイメージさせるようなコメントを書き込んでいます。この〈いちゃつき〉では、女性を口説く男性と、口説かれる女性とのやり取りが描かれています。民謡〈月のひかり〉のモチーフは、女性が「月にいたいの」と無理難題を言って男性を追い払う場面で現れます【譜例4】。

【譜例4】サティ 《スポーツと気晴らし》より第21曲〈いちゃつき〉

このように、フランス民謡〈月のひかり〉は、様々な作曲家によって引用されてきました。ドビュッシーやサティのように、読者(奏者)に月を連想させるために、この民謡を効果的に用いた作曲家もいたことが判ります。

まとめ

 ここまで2つの課題曲を例に、それらの作品と同じ対象(馬)を描写し、同じモチーフ(民謡)が用いられている作品を比較しました。こうしていろいろな作品に触れてみると、それぞれの作品の独創的な面や作曲家の工夫がみえてきますね。また、4期の作曲家や作品を、音楽史の流れの中で捉えることもできるのではないのでしょうか。ぜひ、その感覚をもとに、もう一度課題曲に向き合って、生徒さんと一緒に演奏表現を探ってみましょう。

 ここで言及した作品はごくわずかにすぎません。その他の課題曲でも同じように、関連する作品を探すこともできるでしょう。ぜひ様々な作品を聴いて、より広い視点で音楽について考えてみてはいかがでしょうか。