はじめに
- 日本のピアノ演奏の歴史を語る連載の開始宣言です。
- 今、日本のピアノ演奏史を今語る理由は何か?
- 20世紀末の日本ピアノ演奏史研究の動向を振り返ります。
筆者が日本のピアノ演奏史を調べをはじめたのは四半世紀ほど前のことだ。日本が好景気に酔っていたころ、予備知識のないまま昭和前半期の音楽生活を記録した文献史料に触れた。その内容が示唆するかつてのピアニストたちの充実した活動は、筆者にとって意外であり驚きであったので、さらに日本ピアノ演奏史に関する文献を参照するとともに史料を検討した。
当時すでに久野久子や幸田延を論じた中村紘子氏の著作(中村1988、1992)が広範な読者から注目されていて、堀成之氏の貴重な『日本ピアノ文化史』(堀1882-84)も存在したが、これらの文献も1930年以降の日本ピアノ演奏に重点を置いたものではなかったから、すべてが手探りだった。
文献・史料の調査のみでは充分でなく、すばらしいレコード・コレクションをつくりあげたクリストファ・N・野澤氏の協力を得て蓄音機で録音を聴き、昭和初期日本で活動したピアニストがおさめた成果を痛感して感銘を受けた。野澤氏は昔日の音楽家が正しく記憶、評価されることを望まれて、多くの後進に惜しみなく所有するSPレコードを聴かせてくださった。日本洋楽史研究の偉大な導き手であり、すべての壁が天井までレコードに覆われた部屋で教えを受けた研究者は多い。氏の努力がなければ日本洋楽演奏史の研究はほとんど不可能になっていたはずだ。
日本ピアノ演奏の大家・重鎮を訪ねてお話もうかがった。未熟な筆者と出版の見込みも立たない書籍のため丁寧に想い出を語ってくださったことに感謝するしかない。若き日に鳴りひびいた音楽を回顧するとき、かれらの目が輝いた様を今も思い出せる。そこには少年、少女の面影があった。
筆者に話をしてくださったピアニストたちは自分のことでなく、恩師、先輩を語りたがった。亡き人々の事績が充分に理解されていないと心を痛めていたからだ。日本ピアノ演奏の歴史を築いたのは愛情と共感に不足しない音楽家だった。
長岡延子(1928-45)は巨匠園田高弘が「僕よりよほど才能があった」(園田2005:36頁)と書く力量を持ちながら1945(昭和20)年5月の東京空襲により防空壕で逝き、ほとんど足跡を残さなかった。この少女ピアニストについて生涯最後の日の思い出が様々な人から別々に語られて、ひとつの物語となったときには驚いた。私は超自然的なものをあまり信じないほうだが、このときばかりは故人が天から私を忘れないでと語りかけてくるように思えた。
その後、筆者は雑誌『ショパン』に『昭和洋琴物語』(1994年)と『昭和洋琴夜話』(1998年)を連載、さらにいくつか歴史的ピアニストを主題とする記事を発表した。この時期には日本ピアノ演奏史研究の気運もすこしずつ高まり、1999年には青柳いづみこ氏の重要な安川加壽子評伝が出版されている(青柳,1999)。
昭和初期のピアニストについて書く過程で、筆者は在日ユダヤ系ピアニストの重要性を強く意識するようになり、2004年にレオ・シロタの伝記を、2年後にレオニード・クロイツァーの伝記を上梓した(山本2004、2006)。ふたりの業績は昭和ピアノ演奏史を理解するための鍵となるものだ。
近年では歴史的ピアニストを扱った研究がしばしば発表されて注目すべき成果も少なくない(たとえば津上2011)。しかし、私見では今日に至っても当時のピアニストとピアノ演奏が論じつくされたとはいえない。
悲しいことに昔日の日本ピアノ演奏について筆者に語ってくださった音楽家の多くはすでに鬼籍に入られて、クリストファ・N・野澤氏も逝去された。かつて筆者が取材で得た知識も失われかねないものとなっている。かれらが伝えてくださった時代の空気はほとんど筆舌に尽くしがたいものだが、それでも一端なりとも後世に伝えたいと思う。なによりも、筆者はあのころ協力してくださった方々にいつか日本ピアノ演奏の歴史を書くと約束した。
ここに日本ピアノ演奏の歴史を綴って、多くの方々との約束を遅ればせながらも果たすことにしたい。時代と伝統に定められた運命を担いながら、なお自由な意思をもって信じるもののために格闘する芸術家の肖像を描くことになるだろう。
本連載の内容は筆者のみが責任を負うものだ。以下敬称は略する。なるべく出典、典拠を示すつもりだが、連載の形式上限界も存在するので、この点につき読者のお許しを請う。旧字体や旧仮名遣いを改める場合もある。
当初、筆者が集中的に調べた昭和戦前期を中心に、日本に住んだ外国人ピアニストを軸としてピアノ演奏史を概説しようと思っていた。それは在日ユダヤ系音楽家を中心とした当時の日本楽壇の構造に応じてもいる。しかし、調べているうちに東京音楽学校で1909(明治42年)年に起こった紛糾の重要性とベルリン音楽大学教授ハインリヒ・バルトが日本に与えた影響について書く必要があると考えるようになった。
- ハインリッヒ・バルト(独:1847-1922);
- 久野久子(1886-1925);
- 幸田延(1870-1946);
- 安川加壽子(1922-1996);
- 園田高弘(1928-2004);
- 長岡延子(1928-45);
- 中村紘子;
- 青柳いづみこ
- 中村紘子『チャイコフスキー・コンクール──ピアニストが聴く現代』(中央公論社、1988年)
- 中村紘子『ピアニストという蛮族がいる』(文藝春秋社、1992年)
- 青柳いづみこ『翼の生えた指──評伝安川加壽子』(白水社,1999年)
- 園田高弘『ピアニストその人生』(春秋社、2005年)
- 津上智実「『神戸女学院仕込み』のピアニスト小倉末子」(『神戸女学院大学論集』第58巻第2号、2011年)
- 堀成之「日本ピアノ文化史」(『音楽の世界』1982年10月号より1984年12月号まで連載)
- 山本尚志『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シロタ』(毎日新聞社、2004年)
- 山本尚志『レオニード・クロイツァー その生涯と芸術』(音楽之友社、2006年)