第25回 マズルカ第26番(4つのマズルカ Op.41より 第1曲 嬰ハ短調)

1838~40年作曲、1840年に出版。エティエンヌ・ヴィトヴィツキ氏に献呈。
1838年から39年にかけて、ショパンはサンドと彼女の子供たちと共にマジョルカ島で3ヶ月あまりを過ごします。天候不順や生活環境の不備、住民の反感などによって困難を極めた滞在ではありましたが、お互いの精神の繊細な結びつきを保つ別天地となったことは、ショパンの創作の軌跡からも明らかです。サンドは、結核を悪化させながらも名作『プレリュード集』を生み出す彼の姿、その神がかり的な境地に感応し共鳴しています。F.リストは後に次のように述べています。
幸福のすべてのきらめきが、ショパンの生涯のこの時期に集中した。それらが彼の生命をよみがえらせたこと、そして彼の生命はこの期間にもっとも強いきらめきをもって輝いたこと、それは少しもおどろくことではない。
その後彼らはマルセイユ、ジェノヴァを旅し、1839年6月に美しい土地ノアンに到着します。このマズルカは、『バッハ作品全集』の校訂をしながら『ピアノソナタ第2番』『ノクターンOp.37』などと共に完成させた作品です。これら3曲についてショパン自身が「我が子のようにかわいらしく見える」と言っており、自然の中で愛情あふれる穏やかな時を過ごし、心身に活力が戻った時期であることが感じられます。
Op.41のホ短調はマジョルカ島のパルマで、他3曲はノアンで書かれたことが本人の手紙に記されており、自筆譜ではホ短調→ロ長調→変イ長調→嬰ハ短調の順序だったようです。ここでは、クライマックス的要素の強い嬰ハ短調が第1曲となっているパデレフスキ版を使用しておりますことを付け加えさせていただきます。(嬰ハ短調→ホ短調→ロ長調→変イ長調)
| 〔A〕 | a 1~16小節 嬰ハ短調 | マズール |
| b 17~32小節 嬰ハ長調 | クーヤヴィアク+オベレク | |
| 〔B〕 | a 33~48小節 嬰ヘ長調 | マズール+クーヤヴィアク |
| b 49~64小節 嬰ハ長調 | マズール | |
| 〔A´〕 | 65~104小節 | |
| 〔コーダ〕 | 105~139小節 | マズール |
1オクターヴ内で不可思議な音階(フリギア旋法)を紡ぎ始めたショパン。マズールのリズムを持つそれは転調と共に大胆に展開し、その後も気まぐれを装いながら様々な表情を見せ、聴く者を翻弄します。しかし音楽は主調を大きく外れることはありません。同主長調とを行き来(第3音である「E」と「Eis」を行き来)しながら、激昂し絶望するコーダへ向かってまっすぐに進んでいくのです。うつろいやすい思想を完全に音楽(ピアノ)に反映させようとした20代前半のショパン。その痛々しいまでに美しかった青年の葛藤とは明らかに様子が違っています。伴奏形には始終不気味な空虚5度が鳴っており、彼はそれに伴って体の奥底から突き上げてくる畏れや悲しみを剥き出しにしています。このマズルカは『プレリュード』同様、行き場のない彼の心の叫びがダイレクトに伝わる音楽だと思います。サンドはそこにショパンのすべてを見出し、その作品を創作する姿を「感動に満ち神秘的で美しい」とさえ言いました。常軌を逸しても決して野蛮にはならず、上品さを失わないところがショパンの魅力だったのではないでしょうか。
それにしても、2人の関係が始まって間もなく生まれたこの作品が、すでにその結末を暗示しているように聴こえるのは筆者だけではないと思います・・・

