第13回 マズルカ第14番(4つのマズルカ Op.24より 第1曲 ト短調)

1834~35年にかけて作曲され、1835年に出版。ペルトゥイ伯爵に献呈。 この頃ショパンはパリやドイツ各地で演奏会に登場したり(この後しばらく公の場には出ません)、メンデルスゾーンやベッリーニ、シューマンやクララ・ヴィークに出会ったりと充実した活動をしていました。しかし彼の心は祖国に対する愛惜の思いでいつもかき乱されていたのです。ただならぬ情勢を嘆き、憤り、遠い異国の地で祈ることしかできないことに辛く苦しむ...この作品は同じ頃に書かれたOp.26の2曲のポロネーズと同様、祖国に向けられたショパンの悲痛な叫びが聴こえてくる作品です。
Lentoと指示されたこの65小節(2ページ)の楽譜にも実にたくさんの情報が書かれています。フレージングの細やかさ、アクセントとスフォルツァンド、スタッカートとスラー・スタッカート、ルバートとリタルダンドなどの指示の違い、さらにダイナミクスの幅の狭さや休符の位置も含め、すべては繊細な心理を映し出した音の世界を実現するための作曲者のメッセージ。クーヤヴィアクの憂鬱さを演出する増2度音程や半音階下行、変ホ長調に転じた中間部のマズールに何気なく華を添える重音のメロディーなど、演奏にあらゆる種類のニュアンスを必要とします。
「わたしが満足してマズルカを演奏していると思いますか?とんでもない!そんなことは年に一度くらいなもので、後はただの練習みたいなものです!」
こうショパンが弟子にこぼすほど、マズルカの音楽は完全なる彼の言葉(表現)となっているのです。マンネリになって感覚が鈍らないよう、3時間以上の練習をしないように弟子に告げていたというショパン先生の思いを少しでも受け止めることができれば、と筆者も必死で願いながらピアノに向かう日々です。
今は、ショパンと親交のあった音楽家のマズルカに関しての批評やコメントを取り上げてみました。これらに対してショパンが一喜一憂することはなかったとか...
「時は今直最上の批評家であり、忍耐は最良の師である」―ショパン
「彼のマズルカには、本当に我が耳を疑いたくなるようなところがある。彼の演奏は極端なピアノで、ハンマーをかすかに弦に触れさせながら限りなく柔らかな響きを醸し出そうとする。聴いているうちに、森の精か、いたずらな妖精の演奏会にいるような気がして、ついピアノに近づいてみたくなってしまうのだ」
「われわれがマズルカのことを、画架にかけて描いた絵と呼ぶと、ショパンも満足げであった」
「ショパンのマズルカは、祖国を求めて夢の世界をさまよう彼の魂の旅の絵日記なのだ!ルイ=フィリップ治下のパリのサロンにありながら、彼はポーランドを夢の中に輝く祖国として表現していた」
「これらすべてはあまりにも感傷的に過ぎて、一人前の男や教養のある音楽家にはふさわしくないもののように思われる」
「がまんのならないほど気取った作品」
- 弟子から見たショパン...そのピアノ教育法と演奏美学/ジャン=ジャック・エーゲルディンゲル著/音楽之友社
- ショパン 瑠璃色のまなざし/荒木昭太郎著/春秋社
- 大作曲家 ショパン/カミーユ・ブールニケル著/音楽之友社

