ピティナ調査・研究

第5回 二つの悲愴

素顔のアンティーク楽譜
ベルガーソナタ 表紙

今回は日本でほとんど知られていない珍しい楽曲の紹介です。具体的には Louis = Ludwig BERGER(1777-1839) 作曲のピアノ・ソナタです。多色刷りの美しいものです。ベルガーと言えば日本ではメンデルスゾーンのピアノの先生として名前が通っていますが、彼の作曲となると全く知られていません。あえて言えば無視されているのが現状です。さてそんなベルガーですが、同じ名前のベートーヴェンより7年遅れてベルリンで生を受けました。1804年に最初のロシア演奏旅行から戻ったクレメンティにその才能を認められ、彼の弟子になります。翌1805年に師と連れられてペテルスブルグへ行きジョン・フィールドと知己になり、彼の演奏スタイルに心酔したとされています。その後は主にロンドンで活躍しますが、1817年にナポレオンの失脚を機にベルリンに戻り、作曲と後進の指導に専念します。彼が輩出した弟子のリストを見ると錚々たる名前が連なっています。少々例を挙げましょう。メンデルスゾーン姉弟、アドルフ・フォン・ヘンゼルト、オットー・ニコライ、グズタフ・ノッテンボーム etc。そんなわけで日本ではメンデルスゾーンの先生と言うわけです。ピアニストとしても活躍し、とりわけベートーヴェンの演奏で高い評価を受けていたそうです。

作曲家としては歌曲が中心で、当時はミューラーの詩に作曲した"美しき水車小屋の娘"がもてはやされました。同じ詞をもとにシューベルトも1822に有名な歌曲を作っていますね。さて彼のピアノ・ソナタですが、"グランド・ソナタ・パテティーク"作品1として1804年にペータースから初版が出てお師匠であるクレメンティに献呈されました。今回紹介するのは1840年にライプチィッヒのホフマイスターから出された改訂版で、作品7となっています。但し表紙ページを見ればおわかりのように" Pathétique = パテティーク"の文字は見当たりません。これは日本語にすると『悲壮な(悲愴な)』、つまり人を感情的に動かすというフランス語の形容詞ですが、ギリシャ語が語源でベートーヴェンも1899年に出版された作品13のタイトルに用いています。このソナタは若きベルガーがベートーヴェンに影響されて書き上げたことは明らかです。当時はベートーヴェンの悲愴があまりに斬新で人気を博したことから、アカデミズムにどっぷり浸かっていた音楽院などからはけしからんソナタの刻印をおされ、生徒達に演奏禁止令が出たほどです。最初のページを見てください、アダージョの壮大な序奏が1ページ展開されています。2ページ目はアレグロ・コン・フォコで曲は進んでゆきます。

ベルガー ソナタ1ページ目
ベルガー ソナタ2ページ目

ベートーヴェン 悲愴 表紙

さてそろそろ今回の2曲目の楽譜に話をうつしましょう。こちらは本家本元の『悲愴』です。これは初版ではなく1820年頃のものでボッテ・ボックから出版されました。初版はウィーンのエーダーから1799年に出版され、リフノフスキー公爵に献呈されています。この版は現代の我々には横長で不思議な感じですが、当時はまだこのような、まるでチェンバロの楽譜のようなものはよくありました。私事ですが以前からベートーヴェンが具体的にどの曲にヒントを得てこの『悲愴』を創るに至ったか興味がありました。
クレメンティの短調のもの、とりわけト短調ソナタ作品50~3が序奏をともなっていて『見棄てられた(カルタゴの)女王ディドーネ)』というタイトルがあり、「悲劇的情景」という第1楽章でることから、これが直接の手本であるとされています。これに異論はありませんが、同時代の周囲の他の作曲家、例えばデュセックやフンメルのソナタに序奏を伴ったものがあるので、これらが全てベートーヴェンにインスピレーションを与えたに違いないと確信しています。そういったソナタを一同に並べて聴き比べたら楽しいとは思いませんか。というわけで今回は『悲愴』つながりで二つのソナタの古い版を並べて紹介しました。当時のもので音符が読みづらいとは思いますがどうかじっくり味わってみて下さい、時空を超えて何かを訴えかけてくるはずです。

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