ピティナ調査・研究

12. 「スクリャービンの伝記」という神秘:3-②

スクリャービン:「神秘」の向こう側へ
「スクリャービンの伝記」という神秘:3. ボリース・シリョーツェル『スクリャービン 第一巻 個人・神秘劇』(1923)②(出版・批評・記述の性質)

スクリャービンの死から8年、そしてボリースがロシアを離れてから3年後の1923年、スクリャービンの評伝の第一巻『個人・神秘劇』がベルリンの亡命出版社※1「グラーニ Грани」から出版されることとなります。実際巻頭の「著者より」に「ヤルタにて 1919年 冬」と記されていることから、本書は彼がロシアにまだ残っていた1919年には完成していたと考えられているようです(Шлецер 1923, x; Шлецер 2000)。
本書の執筆から刊行までおおよそ4年——なぜこれほどまでに時間がかかったのかについてはよくわかっていません。しかし、著者が1917年のロシア革命の混乱に揉まれ、国外脱出の準備に追われて出版作業が捗らなかったという状況は、容易に想像がつくでしょう。さらに、その間に彼の身の回りの悲劇も本書の出版を妨げたと言えます。スクリャービンと妹タチヤーナの一人息子・第二子、幼くしてスクリャービンの後期様式に似た作品を作曲していたとされるユリアーン・スクリャービン(1908〜1919)のわずか11歳での死※2、さらにはスクリャービンが最期に住んでいた部屋を博物館として開館する準備をしていた妹タチヤーナもひどく体調を崩した末、1922年3月10日に亡くなってしまうのです。
激烈なまでに変わってしまった祖国との別離、そして最愛の親類たちとの永遠の別れの悲しみの中で出版された本書は、亡命出版の例に漏れず、1918年以前の“かつての”ロシアで用いられていた旧正書法で綴られ、「妹であり友人 タチヤーナ・フョードロヴナ・シリョーツェル=スクリャービナの思い出に」捧げられています。

サバネーエフの『スクリャービン回想』がスクリャービンの周辺人物に不快感をもって受け止められながら広まったことはすでに述べました。では、本書の評価はいかなるものだったのでしょうか。実は、亡命出版だったこともあってか、本書がロシア国内でどのくらい広まったのかはあまりよくわかっておらず、本書に対する評論もあまり残されていません。
ただし、同じく亡命ロシア人の知識層は、彼の著書を概ね高く評価したようです。例えば著者と親しかった亡命哲学者レーフ・シェストーフ(1866〜1938)と音楽批評家ゲールマン・ローフツキイ(1871〜1957)はそのような人物でした。スクリャービンの周りに確かに漂っていた特有の終末論的な雰囲気、当時の文化的文脈をよく表現しているし、スクリャービンの完全かつもっともらしいイメージをなんとか伝えたいという誠意と欲求に満ちている、というのがローフツキイの言い分でした(Ловцкий 1923, 423)。
その一方で、サバネーエフはスクリャービンの死後、反シリョーツェルの論陣を張っていました。彼はシリョーツェルの思考体系について、『スクリャービン 第一巻 個人・神秘』から2年遅れて出版された『回想』で「常にかなりの支離滅裂であるという印象を受けた」(Сабанеев 2000, 196)と批判的に回顧しています。これはシリョーツェルの著書に対する直接的な批判ではありませんが、おそらくサバネーエフの記述にはそのようなニュアンスもまた含まれているように読むことができます※3
なお、本書は1987年にニコラス・スロニムスキーの手により、作曲家の娘のマリーナ・スクリャービナの序文とシリョーツェルによる後年書かれた論文によって本文を挟む形で、Scriabin: Artist and Mystic として英訳されます(Schloezer 1987)。すでに1970年代にスクリャービンの再評価が本格的に済んでいたアメリカ※4にあって、本書はスクリャービンのパーソナリティーと知識や感情について知り、スクリャービンをより身近に感じることのできる同時代の貴重な資料として扱われることとなります。

シリョーツェルはどのようにスクリャービンのことを論じようとしたのでしょうか。本書の内容は次の通りになっています。

  • 著者より
  • 短い伝記的記述
  • スクリャービンの作品一覧
  • 個人
    第1章:思想家
    第2章:芸術家
    第3章:神秘主義者
  • ミステリヤ
    第4章:オペラ
    第5章:ミステリヤ
    第6章:序儀

ここからある程度わかるように、シリョーツェルの残した本書には、作曲家の個性や思想、創作プロセスについて論じ考察する箇所はある一方で、具体的な音楽に関する記述を欠いており、譜例も見る限り全くありません。シリョーツェルはあえて、スクリャービンを愛好する読者に、音楽だけからは計り知れない彼の内面を知ってもらおうとしたのでしょう。

ところで、前回から本書のことを「第一巻」と読んでいますが、そうなると問題になってくるのは「第二巻」が存在するのか、ということです。実はどういうわけか、シリョーツェルの長い著述人生の中で第二巻は執筆・刊行されることなく、我々が現在読むことができるのは第一巻だけなのです。本来ならば上記の二部に続く第三部の「音楽創作」と譜例集が第二巻に収録される予定だったようですので、先に述べたように第一巻に欠けていた音楽に関する詳細な分析的記述はこちらに収録される予定だったのでしょう。

さて、次回からは第一部、第二部の記述の内容に踏み込み、スクリャービンの神話化に(著者の意図に反して)貢献してしまったサバネーエフの『回想』と比較して対立点を探しながら、本書を性格づけてみたいと思います。

参考文献
  • Свиридовская Н. Д. 2010. “Борис Шлёцер: введение в творчество.” Вестник Московской консерватории. Т. 1. Вып. 1: 137–153.
  • Шлецер Б. Ф. 1923. А. Скрябин. Том 1. Личность. Мистерия. Берлин: Грани.
  • ————. 2000. Секретный доклад. (пер. с франц., вступ. заметка и коммент. М. Гринберга) НЛО, № 6. (https://magazines.gorky.media/nlo/2000/6/sekretnyj-doklad.html)
  • Guenther, R. 1991. “[Review of Scriabin: Artist and Mystic, by B. de Schloezer & N. Slonimsky].” Notes, 47(3), 758–759. https://doi.org/10.2307/941882
  • Pople, A. 1989. “[Review of Scriabin: Artist and Mystic, by B. de Schloezer & N. Slonimsky].” Music & Letters, 70(1), 127–128. http://www.jstor.org/stable/735678.
  • Schloezer, B. 1987. Scriabin: Artist and Mystic. Translated by Nicolas Slonimsky. Berkeley: University of California Press.
注釈
  • 当時のベルリンでは、ロシアから亡命した知識人たちが自身の文章を発表する亡命新聞、亡命雑誌と、それを下支えする出版社が勃興していました。
  • 彼のことについては、本連載の附論で論じたいと考えています。
  • スヴィリードフスカヤはシリョーツェルの著書に批判的だった人物にサバネーエフに加えて哲学者のイヴァーン・ラプシーン(1870-1952)を挙げていますが、原文を読むと20世紀中盤のシリョーツェルの批評活動についての批判のようで、ここでの批判には当てはまらなさそうです。
  • このアメリカでの受容もまた、「スクリャービン神話」を生み出すファクターでした。このことについても今後、本連載で触れていきたいと思います。
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