ピティナ調査・研究

9-10. 付録:サバネーエフ『スクリャービン回想』(1925)序文

スクリャービン:「神秘」の向こう側へ
9-10. 付録:サバネーエフ『スクリャービン回想』(1925)序文

ここに掲載したのは、山本明尚によるСабанеев Л. Л. 2022. Воспоминания о Скрябине. М.: Классика-ХХИ. С. 5–10 の全訳です。サバネーエフの『回想』には森松氏の既訳がありますが、この序文は訳出されていません。しかし、これはサバネーエフのあきらかな「態度表明」になっている点で興味深いばかりか、『回想』の読解に必須とも言える内容です。ここで訳出する価値は大きいと思われます。

なお、太字・下線で強調した箇所は原文による強調です。


今回刊行されたアレクサーンドル・ニコラーエヴィチ・スクリャービンに関する私の回想録は、主に5年間、つまり私がたまたま彼を非常に近くで知るようになってからの期間をカヴァーしている。しかし、私が彼を遠くからしか知らなかった時期のことも語っている。この回想録には、数行の導入文を書き加える必要があるだろう。

この本でのわたしの主な目的は、その後伝記的データとして用いることができるような、天才たる友人の人格――彼の会話、彼の計画、彼の言葉の端々に描き出されていたような人格――を全くありのままに紹介しているような、完全に正確で事実に基づいた素材を提供することだった。ごくエゴイスティックで「友好的な」理由であっても、何らかの純粋に「党派的な」偏見にそれを引き寄せながら誇張して書くには、スクリャービンの人格はそれ自体として輝かしすぎるし、特徴的すぎる。スクリャービンは、その活動、創作、人格によって自分自身を語っている。この個性は魅力的で全一的なので、そこに何らかの修正や歪曲を加えると、全体の印象を損なってしまうこととなる。まさしく情報の正確さこそが私の望みなのだ。実は、多くの友人達が、様々な理由でスクリャービンを何らかのある「方向性」の擁護者として見ようとした。そのような人々は、スクリャービンを――おそらく無意識のうちに――虚飾して描こうと考え、彼が有していなかった様々な特徴をいくつも彼に当てはめてしまっているのである。彼の名前の周りには、彼の本当の輪郭を本質的に変貌させていってしまうような伝説が形作られた。スクリャービンにはこの種の伝説は必要ない。同時代人や友人たちであった我々に、偉大な人物のたった一つの真実に興味を持つ権利があり、唯一の真実を要求する権限を持つのは、歴史的正確さなのだ。もちろん、私も完全な客観視ができていないかもしれない。だが、客観性を最大限に高めるためのデータは持っているし、持っていたと考えている。そのようなデータの中で何よりも重要なのは、私がスクリャービンのイデー、思考、計画の世界にどっぷりと浸かっていながらも、私自身はそれとは縁遠く、それらに感染することなく、比較的客観性を持ってそれらに接していたという事実である。スクリャービンに親しい人々の間で広がった「スクリャービニアーナ」という特別な「神秘主義」宗派が作られるほどにセクト主義は広がっていたが、私には全く影響がなかった。私はスクリャービンの人生における「観察者的友人」と呼びうるような存在だった。スクリャービンは天才的な人間で、個人として私の共感を呼んだだけではなく、私にとって普通でないほどに興味深い心理学的な観察対象だった。特に当時、そのような類を見ない共感ゆえに、彼の人格を過大評価する傾向が私にあったとしても、私は観察者・心理学者の客観主義的側面から見た事実の正確さにいつも気を配っていたし、彼の性格付けの不正確な記述を一つたりとも許すべきではないと考えてきた。

スクリャービンはその時代の、その世紀の、その環境の寵児だった。全ての天才的な個人がそうであるように、彼は環境に特徴的な存在であり、その環境のイデオロギーを特に明瞭に反映していた存在だったのだ。このような側面に関して、私が彼を文章的に描写する際に何かしらを変えてしまう権利はないと考えてきた。公平な観察眼が、ある環境の産んだ、イデオロギー的に非常に鋭く、ほとんど醜悪なまでに、神秘主義的・ロマン主義的なやり方で自らのイデオロギーを表現した息子としてスクリャービンを描き出してくれている。ロマン主義的なイデオロギーが今の我々にどのくらい「魅力的なのか」、それが我々と異質なのか、あるいは我々に必要なのか、ロマン主義芸術が我々の時代にどれほど「合致しているのか」、どれほど共鳴しているのか――このような点については、賛成する人もいれば反対するものもいるだろう。しかし、このスクリャービンのイデオロギーが、彼がまさしく「神秘的なロマン主義」のような存在であるようにみえるものであることは異論を唱えることは不可能だ。革命の色にスクリャービンを塗り直し、なにか予想だにしない、彼が生きた時代にはあり得なかった「プロレタリアートの歌」なるものを彼から抽出しようとすること――これは、彼が生きた時代に蔓延っていた、彼を「正教的な色彩で」塗り直してしまうのと同じくらい不適切である。さらに、スクリャービンが有していた、散漫で本質的にまったくごちゃまぜな抽象的思索に「首尾一貫した哲学」ぽさを与え、カント、ショーペンハウアー、さらにはニーチェすらとも並べようとし、スクリャービンが思想史に名を残す事のできる真の哲学者の一人であると考えている幾人か※1の願望も、同様に不適切だ。繰り返しにはなるが――創作を行った個としてのスクリャービン、偉大な作曲家としてのスクリャービンは、自分自身のことを語りすぎているために、何らか都合のいい方向性の疑わしい価値付けが彼の創作的知識になされるほどになってしまっているのだ。

スクリャービンは私のことをいつも変わらず「実証主義者」だと考えていた。そんな私が彼の思想について客観的に接することは容易なことだった。私はスクリャービンの思想を、麻酔の最中に人間が感じるのと同じような興奮状態に常に陥る、かなり珍しい一種の慢性的な精神的興奮だと考えていた。スクリャービンにとって、これらの思想自体が一種の麻薬だったのだ。スクリャービンがかくも愛し、自身が「酩酊」と呼んでいた精神状態に常に彼をとどめて、その種の思想は自己増殖していく、というわけだ。その思想に、理性や常識という基準を適用することは、彼以外の精神的興奮一般にそうするのと同様にリスキーである。そうしてしまうと、スクリャービンはまさしく実際、「客観的に」単なる精神異常者だったということになってしまうわけだし、こうすることで彼の創作全体に疑問符がつくことになってしまう。私が思うに、スクリャービンは完全に精神的に健全な人間だった。しかし慢性的に、自分自身の思想による「酩酊」の状態につねに自身を置き、意図的に、意識的にこの麻酔状態にいるようにし、スクリャービンが弱まると、彼はわざと人工的にその麻酔状態を回復させるようにしたのではないだろうか、と思うのだ。

私は、彼の神秘主義には全くかぶれていなかった。彼の神秘主義は、当時も今も私にとってはまったく異質なものだった。しかし、それにもかかわらず、彼の創作上の心理状態を「イデオロギー的な用語」で表現した極めて奇妙な刻印として、それに興味を持たないではいられなかった。もちろん、彼の芸術的創作のみを研究するのではなく、彼の思想もまた検討することで、スクリャービンの心理は我々にとってより理解でき、完全なものになるのだ。このような思考の構成を少しでも変えてしまえば、芸術史に対する罪であり、彼自身に対する罪にもなる。スクリャービンの神秘主義は、首尾一貫したシステムではない。むしろそれはこまぎれな意見であり、とぎれとぎれな思想の集合体であり、しっかりとした基軸を持っているようには見えなかった。それらは極めて急速に変動し、進化していった。この変動と進化というのが、自体をややこしくしている。スクリャービンについて語る際、場合によっては好きに彼のことを解釈しうる、という事情を大いに助長しているからだ。これはなぜかというと、彼が表明した揺れ動く思考のなかには、しばしばどの「方向性」にも結びつけて考えられるようなものがあり、しかも彼の他の主張と全く一致しないものすらあったからだ。

この神秘主義――正確に言うならば、この奇妙で幻想的なロマンチシズムの端緒は極めて明確で、私はそれについてはすでに語ったとおりである。スクリャービンは完全に、戦前のロシア社会の知識層の高みを支配していた環境の産物なのだ。彼は天才だったからこそ、敏感に鋭く、激しい芸術的反応を持ってして、この環境のイデオロギーを反映させたのである。彼がこのイデオロギーの具体的な詳細の一部分をあまりに先鋭的・激烈に反映させすぎたばかりに、彼が作り出したのがそれを呼び起こした環境をも驚かせたというのも、十分な根拠があることなのだ。世界の終わりを呼び起こす《ミステリヤ》についての思想が、当時の社会のブルジョワの頭脳の神秘主義的雰囲気から生まれたものであった。しかし、この思想は社会の中でとてつもない規模を持つことになったために、そこから作り出されたものは、その向こう側に、それを生み出したブルジョワジーの頭脳もまた行き着きえないだろうほどのものになっている。

スクリャービンの神秘主義のなかに、同時にあるいはややそれに先行して現れた詩や文学における象徴主義(社会学的に一世紀遅れた存在である音楽には、このようなことが往々にしてある)を呼び起こした社会的理由と同じものがあることを見て取るためには、さしたる洞察力は必要あるまい。我々は、スクリャービンの天才的な音楽を批判したいわけではない。スクリャービンの音楽には自律的な芸術的価値があり、当時のブルジョア社会に特徴的な飽食と不満の気分を芸術的に結晶化させたものとは、何らかのかたちで別なものであると言って差し支えあるまい。スクリャービンの芸術は飽食と不満の気分の中から生まれたのだが、ちょうど濁った泉が複雑に濾過されて清らかに輝く泉になるような形で生まれ出たのである。しかし、もしスクリャービンの音楽それ自体が澄んで輝いているとするならば、音楽にその全てを注がれ得なかった彼のイデオロギーは、芸術的な変様が行われていないもので、ゆえに全くと言っていいほどに濾過されておらず、そのイデオロギーの中には支配階級のイデオロギーの反映がより明白に見て取れる。「貴族階級の偉大なる芸術」の最後の代表者の一人であるスクリャービンの人格を育てたこの社会階級の飽食と不満の気分から、彼のすべての音楽が生まれたのである――このような様々な性質から、彼の幻想的な世界観が全て簡単に、また論理的に明らかになる。彼の世界観の中には、当時流行していたあらゆるものと共通する特徴を非常に多く持っているのである。すなわちそれは、サロン的な神智主義――「ご婦人たちの哲学」――であり、当時流行の悪魔崇拝や超人概念のニュアンスを帯びていたアマチュアの神秘主義である。端的に言えば、スクリャービンは音楽における象徴主義者以外の何物でもなく、詩と文学の象徴主義者たちに関して今や伝統的なものになった前提が、スクリャービンにも完全に、しかもはっきりと当てはまっている。スクリャービンの神秘主義は、ある本の1ページである。この本の他のページはバリモントであり、ブロークであり、ヴャチェスラーフ・イヴァーノフであり、メレシコーフスキイであり、ギーッピウスであり、ベルジャーエフであり、ブルガーコフであり、『新しい道』の編集部である(スクリャービンを支援していた人物が、まさにこの雑誌の支援者・出版者であったことは全く偶然ではない)※2。スクリャービンの特徴はたった一つだけだ。それは、彼が音楽家であるということである。これは珍しいことであると同時に、彼のイデオロギーが完全にその創作に伝えられ得なかったことの理由でもある。またこのことは彼の芸術を救った。沈みゆく階級的イデオロギーの影響をあまりにも強く受けすぎ、それにより今や奈落の底に引きずり込まれようとしている象徴派の詩よりも、スクリャービンの芸術は今こそまさに限りなく我々に近く、まったく古びていないのである。

この回想を編むに当たり、私はできる限りスクリャービン自身の言葉を引用するように心がけた。私は記憶力に優れているので、スクリャービン自身の言葉は彼の用いた慣用句に至るまでほとんど文字通りに引用できた。私は彼と知り合った最後の数年の間、彼の思想を記録していた。しかし、残念ながら、他の何よりも彼の言説や思考の意味そのものに興味があったので、私はこのメモ書きに発言の時間(日付)を書き込むことは殆どなかった。そのため、その点に関しての多くは記憶によるものである。些細な時系列のズレはありえるだろうが、それは私が毎日スクリャービン家を訪れ(一日何度か訪れる日すらあった)、それによって時間の輪郭が失われ、毎日の訪問の中でそれぞれの会話の時間的な意味合いは薄れていった。しかも、会話はいつも同じような形を取っていたからなおさらだった。いつも会話のテーマはスクリャービンの神秘的思想や、音楽の周りをぐるぐると回るばかりだった。スクリャービンに興味の中心が集中しているので、この回想の中では他の周辺的人物はスクリャービンの人生の背景を形成する際にのみ、概略的特徴を述べるのみにとどまっている。スクリャービンの人生に関する事実に基づいた資料を厳密なかたちで提供することで、私は環境とその影響を、さらにはこの環境以外のものから彼が孤立し閉じこもっていたこと、他の何らの影響力からも離れて、この天才の人生が流れていったこと――そのようなことを割合はっきりと描くことができたように思う。天才の創作に、あまり健康的でないものをもたらした本当の原因は、この極端な孤立状態なのである。彼は、その高踏な尊厳ゆえに「精神的に新鮮な空気」と我々が呼ぶものを誇示できなかったのだ。温室的で孤立したスクリャービンの環境は、同様に温室的な音楽を生み出した。その音楽の中では、いかに壮大なものであっても、必然的かつ不可避にサロン的な色合いが染み込んでいた。

私が描いたスクリャービンの世界の中で、多くの出来事や人物もが、自身の評価はどうだろう、記述してくれまいかと乞うてきたが、私は何ら評価を下さないことを心がけた。事実のみを伝え、読者が自身で結論を下してくれればいいと思ったからだ。今ではほとんど消滅してしまったスクリャービンの世界の生き証人である人々が、自分の思うように私の撮った集合写真に映り込めなかったとしても、私を責めないでくれるといいのだが。

レオニード・サバネーエフ

注釈
  • 原注:ルナチャールスキイ、ガガーリナ、レールモントヴァ、シリョーツェルの考え方に対して論争を吹っかけている。
  • 原注:マルガリータ・モーロゾヴァのこと。