ピティナ調査・研究

6.「スクリャービンの伝記」という神秘:1. 初期の伝記④(サバネーエフ その1)

スクリャービン:「神秘」の向こう側へ
「スクリャービンの伝記」という神秘:1. 初期の伝記④:サバネーエフ『スクリャービン』(1916) をめぐる悪評

レオニード・レオニードヴィチ・サバネーエフ(1881〜1968)は、スクリャービンについて語るときに避けて通ることのできない存在です。モスクワ大学で教鞭を執った数学者・自然科学者でありながら、モスクワ音楽院でタネーエフに学び、音楽学者、音楽評論家、作曲家、ピアニストとしても活躍したサバネーエフは、1909年から1915年までの間、スクリャービンと親密な交際を結び、「スクリャービンの親友」の一人として扱われるようになります。また、新聞や雑誌に同時代の音楽、またスクリャービンに関する論考を寄稿して盛んに筆を振るい、音楽学者・評論家としての実績を積み重ねていきました※1
このように彼のキャリア形成をたどってみると、サバネーエフの生涯の中でスクリャービンとの親交は非常に重要な要素だったように思われます。また、彼の今日に至るまでの知名度も、スクリャービンに負うところが大きいと言えるでしょう。というのも、彼の作品の中で最もよく知られているのが、1925年に出版され、日本語訳も出ている『スクリャービン回想 Воспоминания о Скрябине』(邦題『スクリャービン:晩年に明かされた創作秘話』)だからです。実に興味深いこの回想記についても後の回で取り上げるつもりです。
しかし、ここではひとまず、1915年のスクリャービンの死去直後に出版された伝記を取り上げてきてきた流れを引き継いで、今回は1916年の春に出版された『スクリャービン』について検討することにします。
本文に入る以前に今回は、サバネーエフに対する本書をめぐる批難を紹介し、サバネーエフはスクリャービンについて論じる際の「信頼できる語り手」たりえないのではないか――少なくとも我々は、彼のスクリャービンに対する特筆すべき態度を考慮に入れながら、サバネーエフのスクリャービン像を語る必要があるのではないか、と主張したいと思います。

サバネーエフ『スクリャービン』の内容をめぐる議論

1916年の春に出版されたサバネーエフの『スクリャービン』で描かれるスクリャービン像は、生前の彼に近しい人々にとっては、ひどく歪曲されたものに映ったようです。そのような状況に、生前のスクリャービンに親しく、死後その家族と創作を保護するためにモスクワとペトログラードで立ち上げられたスクリャービン協会 Скрябинское общество の面々はすぐさま対応しました。『ペトログラード・スクリャービン協会通信』の第二号は、その29ページの紙面が全てサバネーエフ本への書評とサバネーエフへの公開書簡に割かれており、序文に記された次のような出版の経緯からは、誤りをすぐにでも訂正せねば、という協会全体の使命感が見て取れます。

サバネーエフの『スクリャービン』は、スクリャービンの親友たちやスクリャービンに精通した崇拝者に大きな動揺を巻き起こした。なぜなら、素晴らしいページもある一方でこの本は、サバネーエフ氏が自著の中で引用している話題について、幸運にもスクリャービン氏と語り合うことができた人々にとって許しがたい間違いを含んでいるからである。[……]我々ペトログラード・スクリャービン協会も、サバネーエフ氏の本が事情に精通した人々からの然るべき解説なくしては、スクリャービンの哲学の間違った解釈を読者の方々に引き起こしかねないと考えた[……]。(Скрябин, Попков 2022: 413-414)

序文に続いてサバネーエフ批判の先陣を切るのはスクリャービンの後妻で未亡人、タチヤーナ・シュリョーツェル。短く端的な文章ですが、それだけに彼女の怒りが伝わってきます。

この本にはたくさんの不正確な点があり、スクリャービンを知らない人々には、彼の精神が歪曲された形に映ることになりかねません。サバネーエフは例えば、スクリャービンは自らを自然の力を支配する存在で、嵐を呼び起こす力があると考えていたとか、自作のオーケストレーションをする際には『手本』を用いた(最初はグラズノーフ、その後はシュトラウスとドビュッシー)であるとか、またスクリャービンは自作をもっぱら恐怖を呼ぶような形で演奏されると非常に喜んだとか、最後の偉大なる献呈を行う準備ができていると考えていたとか、9番のソナタに凄まじいまでの愛着があったなどなどと主張しています。間違った説明によってスクリャービンの姿を伝えたいと考えているサバネーエフが、故意に事実を歪曲していることを、私は許しません。ほとんど浅薄に近い故・スクリャービン個人への軽はずみで不注意な態度を非難せずにはいられません。(Ibid.: 414-415)

続く、旧姓トゥルベツコーイ姉妹――音楽活動家のニコラーイ・セルゲーエヴィチ・トゥルベツコーイの娘、著名な宗教哲学者のセルゲーイ・トゥルベツコーイの妹――ヴェーラ・レールモントヴァと、マリーナ・ガガーリナの連名の公開書簡でも、サバネーエフへの遠慮のない非難が見て取れます。もちろん彼女らの目線や立場を通してのことではありますが、スクリャービンの創作や理念に対するサバネーエフの態度が非常によくわかる文章ですので、少し長いですが引用しておきたいと思います。

あなたが『アレクサーンドル・ニコラーエヴィチ・スクリャービンの思い出に』と私にくださったご本を読み、読み返しています。実際のところ、あなたが奇妙な喜びを持って、彼のことを暴露し、――あなたの意見によれば――致命的なまでに彼を破滅させたという、彼の悪魔的で罪深い計画をこの世へ明るみに出そうとしている恐ろしい箇所を読むときほど、スクリャービン氏の愛おしい、高潔な姿が私の魂の中にかくも鮮明に浮かび上がったことはありません。私にはわからなくなっています――もしあなたが本当にあのような形でスクリャービン氏のことを思い出していたのだとするならば、なぜあなたが彼の情熱的な友人で崇拝者というイメージを纏っていたいのでしょうか。思わず疑問が浮かぶのです。このような箇所を書こうとあなたを駆り立てたものは何なのか、と。あなたにとって親友だった人物についてもこの種の暴露はすべきだ、とあなたをそそのかした、あなたの個人的な敬虔さからでしょうか? それとも、あなたが確信犯的悪魔主義者で、偉大な魔法使いの崇拝者で後継者だからでしょうか? この問題は、あなたの個人的なものではありますが、私達の多くのあいだでスクリャービン氏の名前と思い出の周りにこの数年間育まれてきた、毎日の会話、兄弟愛ある同盟に鑑みれば、私にとっても重大な意義があります。[……]
スクリャービンの詩作の独自性のなさについてや、《序儀》のテクストの詩的な価値の相対性についてのあなたの判断、スクリャービンが自らの様式を創造せず、人並みの技術すら備えていなかった交響楽作曲家だったというあなたの判断、《法悦》の可笑しみのある演奏効果や《プロメテ》の大混乱を引き起こす響きについての記述――こんなものは私にとってはなんでもありません。説明の必要がありませんし、「聞く耳のある者は聞きなさい」、ということです(ここで指摘しておかねばならないのですが、生前のスクリャービンの交響楽作品の肯定的価値を広く公衆の中に打ち立て、普及させることに尽力させたのは、誰よりもまずあなたなのですよ。そしてもちろんあなたの本を読む者は、その事を忘れることができませんでした)。
私が動揺させられたのは、あなたがスクリャービンさんに近い人物であるという立場、ずっと前から常時、親密な会話を交わしていたなどという立場から主張している諸々の思考です。互いに言葉を交わしあったスクリャービンの友人たちは、いまだ出版する時機ではない《序儀》のテクストについて語ることも書くこともありません。ですが、あなたは《序儀》の自身の評価を市場に流通させるのみならず、――あなたの言葉を借りれば――スクリャービンが重大な秘密として、言葉少なに、声を低めてあなたに語った内容を書いても構わないとお考えなのですね。あなたがこうした会話についての記述の際、あなたが思い出したことを伝達・説明することで、どんなにひどい嘘が生まれていることでしょう! それに、スクリャービンを知らず、あなたのプリズムを通してだけで彼の望みを知るような読者の方々が嘘か本当か調べることができない恐ろしい悪辣な嘘に対して、私達は戦わなければならないのですよ。永久に私達の元から失われた素敵な友人、自らの命を捧げて人間を神のもとへと連れ戻すことを燃えるように夢見た偉大なる天才の、愛すべき明るい姿を知っている人間として。[……]
なによりもあなたが認めざるをえないことでしょうが、スクリャービンは一般に通ずる言葉や表現に、全く特別な、自分自身による意味合いを加える人間でした。そのような表現を引用して解釈する際、あなたは一般的に通ずる意味のまま解釈していますが、それはそれらの言葉の意味を全く歪曲することにほかなりません(「悪魔」についての理解そのものについても、スクリャービンは何度となく「悪魔」の名を持ち出していた一方で、その存在については否定していましたよ)。(Ibid.: 415-416)

この公開書簡に続くのが、ヴラディーミル・ノセーンコフによる書評(「[サバネーエフによるスクリャービンの判断]すべてが軽薄に、表層的に、ときに全く浅薄になされたものだ」(Ibid.: 417))、スクリャービンの主治医だったヴラジーミル・ボゴローツキイによる、スクリャービンの生前と没後でサバネーエフが変節したのかを具体的な論文を引きながら示す書評、その次に匿名者の書評が続き、そのどれもがサバネーエフの態度を弾劾するものです。ボゴローツキイの書評は現代の目からも的を射ているもののように見えますので、次回、サバネーエフの本の内容に触れる際に翻訳を掲載したいと思っています。
生前スクリャービン・サークルに集った一人だった著名な象徴派詩人ヴャチェスラーフ・イヴァーノフも、スクリャービンの《序儀》および《ミステリヤ》についての自身の解釈を述べながら、晩年の数年間しか付き合いがなかったサバネーエフが「スクリャービンのすべてを[……]ゆりかごから墓場までを、彼の意図を、熱望を、誘惑を、彼の内的生活の決定的な瞬間を、悪魔たちの彼への接近、天使たちによる悪魔たちへの弱々しい反論、彼の生における悪魔の勝利を知っているのだ」(Скрябин, Попков 2022: 424)と皮肉を述べ、「サバネーエフは、自由な精神的な創造への不信感を呼び起こしたいがあまり、スクリャービンのみならず、あらゆる神学を悪魔崇拝なのではないかと疑っている」(Ibid.: 425)と断罪しています。 まだまだこの種の批判は続きます※2が、ここで一旦要約しておきましょう。スクリャービン協会の人々は全体として、サバネーエフの書籍はスクリャービンの本質を捉え損ねていると鋭く非難しました。特に強い口調で否定されているのは、サバネーエフがスクリャービンの創作の一部(特に詩作や交響楽)がディレッタント的で深みのないものだったと考えている点、スクリャービンが悪魔的なものに耽り、精神的な堕落に陥ったと記している点、彼による「超個人主義的(エゴセントリック)」で誇大妄想狂的なスクリャービン像……といったところでしょうか。

まとめ

残念ながら現状を見るに、サバネーエフによる「神秘」にまみれたスクリャービン像は――のちの『スクリャービン回想』の助けもあってかなり人口に膾炙しており、彼らの努力はあまり功を奏したとは言い難い状況のように思われます。また、実際彼の記述を読んでみると、そこに含まれている記述は興味深いもので、スクリャービンの謎めいた、一聴しただけではその意味を判断しかねるような作品を解釈するための手がかりになるようなものも多く見受けられます。現代の学者たちであっても、「いかにもそれがほとんど一次資料であるかのように、サバネーエフの判断に依拠した記述を行うことが多い」(Ibid.: 488-489)現状も、彼のスクリャービン論の興味深さの証左でしょう。しかし、サバネーエフと同様に生前のスクリャービンに近い関係にあった人々から異口同音に発せられた彼に対する非難からは、サバネーエフ本の信頼性を今一度疑う必要があることが窺えるのではないでしょうか。
私個人にとっては、ストラヴィーンスキイにとってのロバート・クラフト、ショスタコーヴィチにとっての『証言』のように、サバネーエフの『スクリャービン回想』は、音楽学者にとってはその内容の真偽について、注意深く検討しながら、あくまで「一次資料ではない」と留保を入れながら扱わなければならない書物であると考えています※3

参考文献
  • Сабанеев Л. Л. 1916. Скрябин. М.: Скорпион.
  • サバネーエフ、レオニード 2014『スクリャービン:晩年に明かされた創作秘話』東京:音楽之友社[Сабанеев, Леонид Леонидович. 1925. Воспоминания о Скрябине. М.: Классика-XXI]
  • Скрябин А. Н., Попков В. В. 2022. «Природу в звуки претворил…»: А. Н. Скрябин глазами современников. М.; СПб. Нестор-История.
  • Ballard, Lincoln, Matthew Bengtson. 2017. The Scriabin Companion: History, Performance, and Lore. Lanham, MD: Rowman and Littlefield Publishers.
注釈
  • ただし、批評家としてのサバネーエフのいい加減な仕事ぶりを示す有名なエピソードもいくつか残っています。例えば、1916年にサバネーエフがプロコーフィエフの《アラとロリー》の批判的な初演評を掲載したことがありました。しかし、実はサバネーエフが論じた演奏会ではオーケストラの大半が徴兵されていた都合で《アラとロリー》の演奏自体がキャンセルされていたのです。つまり、サバネーエフは実際に行ってもいない演奏会の批評を書いて、しかも演奏されてもいない曲の批判をしていたということになります。当然プロコーフィエフは怒り、公開書簡でサバネーエフに謝罪を要求し、彼は赤っ恥をかかされることになりました(Прокофьев 1917: 5参照)。このような事実も、ある意味で今回と次回触れるようなサバネーエフの悪い意味で「無碍」な書きぶりの詳細になっているように思われます。
  • 特にボリース・シリョーツェルの態度については、彼が著した伝記について述べる際に詳しく見ていきたいと思います。
  • 同様の意見を、アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・スクリャービンも述べています(Скрябин, Попков 2022: 431)。