ピティナ調査・研究

5.「スクリャービンの伝記」という神秘:1. 初期の伝記③(コプチャーエフ)

スクリャービン:「神秘」の向こう側へ
「スクリャービンの伝記」という神秘:1. 初期の伝記③(コプチャーエフ)

前回までに取り上げてきたのはスクリャービンが死んだ1915年の著作でした。今回から3回にわたって、その翌年となる1916年に出版されたスクリャービン本をもう一冊ずつ紹介して、その当時スクリャービンがどのように受け止められていたのかを検討してみたいと思います。

コプチャーエフ『スクリャービン:性格付け』(1916)

音楽学者・作曲家、アレクサーンドル・ペトローヴィチ・コプチャーエフ(1868〜1941)は、1893年にデビューして盛んに論文を発表しながら、ドイツの音楽論の翻訳家としても活動していた人物です。『リーマン音楽事典』のロシア語訳によれば、代表的な論文は『北方通知 Северный вестник』に掲載された「音楽における新しい楽派」(1896)、『ロシア音楽新聞』に掲載された「ピアノ作曲家としてのツェーザリ・キュイー」や1898年に出版されたヴァーグナー歌劇・楽劇のガイド本などで、同時代にロシアで盛んに演奏され流行していた新しい音楽を取り上げて進んで価値づけする立場をとっていたようです※1。また、彼はドイツの音楽論の翻訳を通してニーチェやショーペンハウアーの形而上学を知り、結果として当時ロシアの知識層で流行していたドイツ哲学への関心を強く共有し、それについて深い知識を得ていました。

コプチャーエフとスクリャービンとの関わりは、1899年の『芸術世界』に寄稿された「音楽的肖像:スクリャービン」に遡ることができます※2。その当時のスクリャービンは、ソナタを3曲、エチュードを12曲、前奏曲を50曲ほどしか書いていませんでしたから、コプチャーエフは駆け出し時代からスクリャービンに注目していた評論家と言えそうです。その後1910年代には《プロメテ》についての論考を雑誌に寄稿したのみで、スクリャービンと面識はあるものの、やや距離のある人物だったようですが、ともあれそのような文章の中ではスクリャービンをヴァーグナーよりも優れた存在として位置づけ、スクリャービンこそがかねてから待ち望まれた「音楽哲学者」だとするなど、生前の作曲家に一目置いていた人物だったと言えるでしょう。

そんな彼が著した『スクリャービン:性格付け』は、残念ながら先行研究ではあまり本格的に注目・検討がされていない本です。ただし、以下に示した目次からすでにわかるように、多種多様なトピックが詳細に論じられています。これもやはり1915年に出版されたいくつかの書物と同様、一気呵成に書かれた大著ではなく、それまでに書かれた原稿を寄せ集めて一冊にしたものという性格が強い著作ですが、これらの広範なトピックは、コプチャーエフの著書をユニークなものにしています。

第一部 第二部
スクリャービンの社会的評価 スクリャービンと宗教、《ミステリヤ》の構想
スクリャービンの敵たち スクリャービンの芸術への視座
半分だけのスクリャービニストたち、文壇のスクリャービニストたち 回想の中のスクリャービン
スクリャービンの創作におけるピアノと名人芸の役割 《神聖な詩》の管弦楽法に関する補足的手稿
スクリャービンの即興的要素 スクリャービンの書簡
スクリャービンの美学・哲学的世界観の根本としての名人芸的要素。ピアノに関係して作曲形を2つのグループに分ける スクリャービンの手書き原稿
スクリャービンの主題法 回想の続き
スクリャービンの表現のニュアンスの標示法 スクリャービン、モスクワについて語る
スクリャービンの小品の表題について スクリャービンに影響を与えた作曲家:スクリャービンとブラームス、シューマン
スクリャービンによる6つの主要なジャンル、交響曲と詩曲 ムソルーグスキイ、シュトラウス、フランク
スクリャービンの歌唱的アンダンテへの志向。詩への崇拝 リームスキイ=コールサコフ、グラズノーフ、ボロディーン、リャードフ
交響曲 チャイコーフスキイ
練習曲、即興曲 ヴァーグナー
前奏曲 ショパン
ソナタ リスト
スクリャービンとベートーヴェン あとがき
ソナタと《プロメテ》の和声 2つ目のあとがき
新しい和声とスクリャービンの神秘主義。協奏曲、《アレグロ・アパッシオナート》、《演奏会アレグロ》、幻想曲  
ポロネーズ、マズルカ  
ワルツ、立て続けなしのライトなジャンル、スケルツォとノクターン、奇想天外な小品の名付け  
声楽とテクストへの否定的関係  
民族性の欠如、熱情と様式  
スクリャービンの創作における感覚的宗教。ユーモアの欠如  
スクリャービンの音楽の類型と技法  
時期を分ける  
スクリャービンとニーチェ  
音楽の革新性に関するスクリャービンの哲学的観念  
スクリャービンの主要な観念。創作のエクスタシーの無目的性。エクスタシーと遊び  
自身の創作に関するスクリャービンの哲学的観念。スクリャービンのエクスタシーは次第に宇宙的性格を帯びる  
バッカス祭的な、また神聖な原理  

実に多様なこれらのトピックをここですべて通観することは難しいですので、まずは「あとがき」に目を通し、そこからコプチャーエフが主眼としていた要素を抽出してみましょう。

「あとがき」から見えるもの

著者曰く、彼の本の第一のテーマは、彼は「どんなにスクリャービンが強大か」を示すことでした。スクリャービンに影響を与えた作曲家がどれほどいたとしても「彼の意義や名声は損なわれることがない」(Коптяев 1916: 84)と彼は断言しており、そのような主張は本書でどんなに「スクリャービンに影響を与えた作曲家」を列挙しても不変のものだ、と言います。

もちろんこのテーマも非常に興味深いものですが、それが本連載が中心的に扱う「神秘」という観点から特に注目すべきは第二のテーマ、つまりは「スクリャービンの観念的性格」の追求でしょう。観念という曖昧模糊としたものを追求するにあたっての彼の態度は、あとがきによれば至極慎重なもので、先入観ではなくて確固たる証拠に基づいてスクリャービンを論じたいという立場を表明しています。「スクリャービンによる実在する傑作よりも、音にならなかった神秘に取り組んで『取らぬ狸の皮算用』をする者共に加わりたくない」(Коптяев 1916: 86)という一文は、当時《ミステリア》を中心にスクリャービンを論じたかった人々に向けた強烈な宣戦布告のように響きます。

では、この本の中でスクリャービン作品の観念的性格はどのように表現されているのでしょうか。

スクリャービンの「神秘性」

前提として、概してコプチャーエフは、スクリャービンが神秘主義者であると考えています。そう考えることで、スクリャービン作品は、作曲家の神秘主義者としての思念の具現化だと論じたいわけです。後期ソナタ論から少し引用しましょう。

スクリャービンの手から生み出されるソナタは、精霊たちとの親密な対話となる。スクリャービンは闇に催眠術をかけ、そこからイメージを浮かび上がらせる(「夢が形をとる」と第6番のソナタで彼が書いたとおりだ)。まさしくスクリャービン氏は降霊術を行っているのであり、結局彼が書き留めることによって、待ち望んだイメージが浮かび上がるのである。
ローデンバッハ、スヴェーデンボリ、ブラヴァーツカヤを読むと良い。そうすれば、彼による奇妙なソナタ群が、それらの「神秘的な呼びかけ」とともに理解できるはずだ。(Коптяев 1916: 31)

スクリャービンの《ミステリヤ》を(作曲家本人の否認を乗り越えて)ニーチェとの影響関係にあるとするこの考え方は、今日の目からも正鵠を得ているように見えます。というのも、スクリャービンはおそらくニーチェの『悲劇の誕生』(1872)と『ツァラトゥストラはこう語った』(1883)を読んでいたからです※3。実際、スクリャービンが国外生活を送っていた1900年代、彼は当時西欧で流行していた様々な思潮に親しんでいたとされており、近年の研究でもニーチェとスクリャービンを比較検討するものはよく見られます(例えばDownes 2022)。スクリャービンの本棚には、1905年に出版された『新哲学の歴史、新哲学と文化全体、各学問との関係:第2巻 カントからニーチェまで』が収められていたようです。このことに鑑みると、コプチャーエフの主張は説得力を持って響きます。

スクリャービン神話の礎の形成

このように、スクリャービン作品を主に観念的な側面から捉えているコプチャーエフの立場は、以上に概観したように、とても興味深いものです。しかしその一方で、ある意味で今日まで続くスクリャービンに関する神話の礎を作りだすものだったとも言えるでしょう。スクリャービンが神秘主義者だったという主張と、彼の考え方が作品にどれほど浸透しているかという問題は、よくよく考えてみるともう少し慎重に考慮すべきものです。ペテルブルク(ペトログラード)に住み、スクリャービン・サークルからやや離れた場所にいた彼がこのような神話形成に強く働きかけたのではないかという仮説は、あるいはもう少し本格的に検討し直してもいいのかもしれません※4

参考文献
  • Downes, Stephen. 2022. "Scriabin's Miniaturism." Demystifying Scriabin. ed. Kenneth Smith and Basilis Kallis: 99–114.
  • Mitchell, Rebecca Anne. 2011. "Nietzsche's Orphans: Music and the Search for Unity in Revolutionary Russia, 1915–1921." PhD diss., University of Illinois.
  • Ключникова (Лобанкова), Е. В. 2010. "Рецепции творчества А. Н. Скрябина после 1917 года." Обсерватория культуры. № 4: 86–93.
  • Коптяев, А. П. 1916. А. Н. Скрябин. Характеристика. М.: Юргенсон.
  • Лобанова, М. 2012. Теософ. Теург. Мистик. Александр Скрябин и его время. СПб.: Петроглиф.
  • Риман, Г. 1904. "Коптяев." Музыкальный словарь Римана. т. 2: Донской — Оратория / пер. Ю. Д. Энгель. М.: Юргенсон: 671.
  • Ямпольский, Н. М. 1974. "Коптяев." Музыкальная энциклопедия в 6 тт. т. 2. М.: Советская Энциклопедия: 940.
注釈
  • ちなみにソ連期、彼の没後に刊行された『音楽事典』では、「評論家としては、評価・判断のいくらか表面的な性格がある」という注記が伴ってはいますが、「非常に博識で知られていた」(Ямпольский 1974: 940)と評価されています。
  • そこでコプチャーエフは、当時「ショパンをあまりにも模倣しすぎていて、独自性がない」と、今では信じられないようなスクリャービン評を踏まえて、彼を擁護しつつも「才能の点では偉大な先駆者に大きく劣っているが、いくつかの点でその後継者と言える」(Коптяев 1899: 68)と評しています。なお、後に見るように、この評価はスクリャービンの後期作品を踏まえて180度転換したと言えます。
  • Ballard et al. 2017: 20には、「スクリャービンは自身をニーチェの超人のように、人類の歴史を帰る特別な力を持っていると考えていた。」とありますが、この問題とコプチャーエフが論じたニーチェとスクリャービンの類推はまた異なる問題だと言えるでしょう。これについては本連載でも後々考えてみたいと思います。
  • Ключникова 2010では、短くはありますが、コプチャーエフの著書にみられるヴァーグナーとの比較、「国民性」に関する記述が論じられています。