ピティナ調査・研究

番外編11 ワルシャワ音楽院

ショパン物語
1.ユゼフ・エルスネル 1769年生まれ。1821年創設されたワルシャワ音楽院の初代院長。ポーランド国民楽派の始祖と呼ばれ、宗教音楽やオペラの作曲家でもあり、当時のポーランド音楽界では最高レベルの指導者だった。フレデリックは音楽院に入る前から、12歳で個人的にエルスネルに作曲の指導を受けていた。後の一部の音楽研究者は、このエルスネルを「ショパンに器楽編成法を教えなかったから、ショパンの協奏曲のオーケストラは貧弱で、ショパンは交響曲も作れなかった」と批判した。それに対し、「ショパンはピアノを際立たせるために、あえてオーケストラを薄くした」という意見もある。エルスネルは、フレデリックに「ポーランド国民歌劇」を創ることを期待したが、結局、フレデリックは生涯、オペラを創ることはなかった。
2.エルスネルのショパンに対する評価 ワルシャワ音楽院エルスネル院長は、文部大臣に学生達の勉学の状況を報告しなければならなかったが、この報告書のフレデリック・ショパンの欄には「格別の才能・音楽的天才」との書き込みがされていたという。
3.音楽以外の講義 フレデリックは、父二コラの希望でワルシャワ大学にも通い、ポーランド文学の講義に熱心だったという
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ