ピティナ調査・研究

第062回 パリでの生活

ショパン物語
1.生活 ショパンはピアノを教えることに励み、1日に5、6時間、8人教えることもあったという。「青白い顔で、咳をよくしていた」「それでも熱心に教えていただいた」という、その頃の弟子の日記が残されている。サロンにも熱心に通っていた。
もちろん、サンドが友人を呼び、もてなすことも多く、画家のドラクロワなどがよく遊びにきていた。ドラクロワはショパンと「芸術について」議論するのを楽しみに訪れたという。ほかにサンド家の常連はグジマワ、バルザック、歌手のポーリーヌ・ヴィアルド(ショパンもその才能を認め、進んで歌の伴奏をしたり、オペラに一緒に通ったり、親しくつきあっていた)がいた。
しかし、華やかな生活に思えるが、サンドは「暮らしを維持するのに、切り詰めて生活しなくては」と考えていたらしい。
2.ドラクロワ サンドの息子モーリスが画家を目指すために、ドラクロワに弟子入りしていたという。
ところで、ドラクロワのほうは、ショパンの天才を認め、その音楽、芸術性を愛していたが、ショパンのほうは、ドラクロワの画はあまり好みではなかったようである。
3.モシェレス ショパンがパリに帰ってきて、程なく(10月半ば)、イグナーツ・モシェレスがショパンのもとへ訪ねてきた。このとき初めて2人は会うのである。
(ショパンがマリヤに振られてイギリスへ傷心旅行した時に、モシェレスのピアノ演奏会を聴きに行ってはいたが、そのときは会わなかった)
そこで、ショパンは自分のアパートでパーティを開き、最新作「ソナタ変ロ短調」を披露したという。
モシェレスは日記に「ショパンはピアノ演奏の世界でも稀有な存在だ」と書き記している。
それから、数週間の間、モシェレスとショパンは、サロンで競演したり、王室に招かれて御前演奏をしたりして、一緒に時を過ごした。
そしてモシェレスは、パリを発つ前にショパンに練習曲を3つ注文した。後年、それは「3つの新しい練習曲」として出版される。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ
調査・研究へのご支援