ピティナ調査・研究

第053回 マジョルカ島を出る

ショパン物語
1.道のり 1839年2月11日にヴァルデモーザを出発しパルマまで18キロの道をスプリングの無い荷車で下り、パルマに着いたとき、ショパンは激しく喀血したという。13日までフランス領事の家においてもらい、午後3時にパルマを出港した。
スペインの法律では結核患者が使用したベッドは焼却しなくてはならない決まりになっていたので、船でもショパンは一番悪いベッドしか与えられず、そこでもショパンは大量の血を吐いてしまった。
翌日14日にバルセロナに入港、サンドは停泊していたフランス軍艦に助けを求め、ショパンはそこの船医の手当てを受け、ホテルまで送ってもらった。そのホテルでも、ショパンが使用した寝具や家具を焼却するためその買い換えの代金を支払わせられたという。
それからはショパンもいくらか快方に向かい、2月22日ごろ、フランスの蒸気船 フェニシアン号で、バルセロナを出港し、2月24日、マルセイユに到着した。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ