ピティナ調査・研究

第050回 立ち退き命令

ショパン物語
1.結核の療法 当時の結核の療法は、瀉血(メスで腕または足を切り、かなり大量の血を抜く)をしたり、下剤をかけ断食させるという、間違ったやり方がまかり通っていた。それで多くの結核患者は命を縮め、命を落としていったという。
結核の診断を信じなかったサンドは、瀉血や断食を勧める医者を拒否し、ショパンに栄養をとらせるようにし、これがショパンにとって幸いしたようである。もし、この時点で、瀉血や断食を繰り返しさせていたら、ショパンはここで命を落としていたかもしれない。
栄養を十分にとるという結核の正しい療法は19世紀後半に入ってから確立されたという。
2.忌み嫌われた結核患者 当時、スペイン領のマジョルカ島では、結核は悪事を働いた者への天罰だと忌み嫌われ、不治の伝染病として恐れられていた。
スペインとイタリアではすでに、結核は伝染性があるとされ、患者の使用したモノは焼却・消毒するよう法律で定められていたという。
一方、フランス、イギリスでは、結核は伝染病でなく遺伝病とされており、伝染性を認めるようになったのは19世紀後半に入ってからだという。
3.「風の家」の家主からの請求 ショパンの結核のウワサが広まり、ショパンとサンドが滞在していた別荘「風の家」の家主は、家の消毒代とショパンが使用したベッドを焼却し買い換える代金を請求し、直ちに家から立ち退くように言ってきたという。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ