第041回 イギリスへ傷心旅行
1.ロンドンへ
1837年夏、ピアノ製造業者でショパンの友人でもあったカミーユ・プレイエルがロンドンに用事があるというので、ショパンは気晴らしに一緒についていくことにした。
そのロンドンの印象を「巨大なモノまたモノ、でかいおまる、にもかかわらず、おしっこする場所もない」「何もかも尋常じゃない」というような冗談じみたショパンの手紙が残っている。
そのロンドンの印象を「巨大なモノまたモノ、でかいおまる、にもかかわらず、おしっこする場所もない」「何もかも尋常じゃない」というような冗談じみたショパンの手紙が残っている。
2.ブロードウッド
プレイエルと同じピアノ製造業者で、イギリスでは有名なピアノメーカーであった。
そのブロードウッド家での晩餐会に、プレイエルに連れていかれたときにショパンは「フリッツ」という変名で正体を隠したが、ピアノを弾いた時にばれてしまったようである。
そのブロードウッド家での晩餐会に、プレイエルに連れていかれたときにショパンは「フリッツ」という変名で正体を隠したが、ピアノを弾いた時にばれてしまったようである。
3.モシェレスモシェレスとはこの2年後の1839年秋にパリで会う。
モシェレスは、楽譜ではショパンの曲をよく知っていて、会いたがっていたようである。
そして、ついにその1839年の秋にショパンの自宅を訪ね、それから数週間の間、二人はあちこちのサロンで共演したり、王家一族の招かれて御前演奏した。
そしてモシェレスはパリを発つ前に、ショパンに練習曲を注文した。それは「3つの新しい練習曲」として後年出版されることになる。
モシェレスは、楽譜ではショパンの曲をよく知っていて、会いたがっていたようである。
そして、ついにその1839年の秋にショパンの自宅を訪ね、それから数週間の間、二人はあちこちのサロンで共演したり、王家一族の招かれて御前演奏した。
そしてモシェレスはパリを発つ前に、ショパンに練習曲を注文した。それは「3つの新しい練習曲」として後年出版されることになる。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ