ピティナ調査・研究

第035回 リストとジョルジュ・サンド 

ショパン物語
1.親友リストと交流 ジョルジュ・サンドは以前からリストとサロンなどで交流があった。また、リストが逗留しているスイスにサンドが遊びに行ったり、サンドのノアンの館にリストとその愛人であるマリー・ダグー夫人を招いたりして、3人は、この頃はまだ仲良く交流していたようである。 そしてマリー・ダグー夫人の催すサロンで、サンドはリストの手引によってショパンと出会うのである。 しかし、その後、マリー・ダグー夫人のサンドへの嫉妬心から、サンドはマリー・ダグー夫人との仲が悪くなり、それに伴ってリストとも疎遠になり、3人の交流はなくなってしまったようである。そして、さらにその後、マリー・ダグー夫人とリストも別れてしまうのであった。
2.ジョルジュ・サンドについて 本名はオロール・デュパン。 「ジョルジュ・サンド」はペンネームである。サンドにはすでに2人の子供、兄のモーリスと妹のソランジュがいた。サンドが18歳の時に結婚したデュドヴァン男爵との間の子供である。が、そのデュドヴァン男爵との結婚生活はすでに破局しており、男爵とは別居していて、サンドは自由に男性遍歴を重ねていた。1836年7月末には法的にも別居の協定が成立し、子供たちの親権は裁判でサンドが勝ち取ったという。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ