ピティナ調査・研究

第034回 その後のショパンとシューマン 

ショパン物語
1.失礼なショパン シューマンがショパンに「クライスレリアーナ」を献呈し、その返礼にショパンは「バラード2番」をシューマンに献呈したが・・・ショパンは、その頃ほかにも献呈する友人プレイエルがいたので、プレイエルに好きな曲を選ばせ、残った「バラード2番」をシューマンに献呈したという内容の手紙が残されている。
2.ショパンが書いたシューマンの名前の綴りについて ショパンは「Schumann」を「Schuhmann」と「h」を余計につけて書いていた。 このことについて、ショパンが間違えたという説がある一方で、ドイツ語には当時「h」をつける旧正書法というものがあり、間違いとは言い切れない、という説もある。 ただ、シューマン自身は手紙などでは「Schumann」と書いており、生涯一貫して「h」は余計につけずに自分の名を綴っていたので、ショパンがちゃんとシューマンがサインしたものや手紙を注意深く見ていなかった、とも言える。
3.プレイエル カミーユ・プレイエルはピアノ製造業者でショパンと親友でもあった。 「プレイエル」はショパンお気に入りのピアノであった。
4.友人達への献呈 プレイエルはプレリュード集Op28を、フォンタナ(ワルシャワ時代からの親友)は2つのポロネーズOp40を献呈された。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ