ピティナ調査・研究

第028回 リストVSタールベルク

ショパン物語
1.タールベルク 1812年生まれで、ショパンより2歳、リストより1歳若い、オーストリアのピアニスト兼作曲家。 ショパンはすでに1830年にウイーンで、タールベルクのピアノ演奏を聴いたことがあったが「上手いけど、彼の演奏は好みではない」と言っていたという。
2.リスト対タールベルク タールベルクの華々しいパリでの活躍を伝え聞いたリストは、スイスにいたが、タールベルクに挑戦するべく、わざわざパリに帰ってきた。しかし、その時すでにタールベルクはパリを後にしていて、直接対決(つまり競演)は翌年(1837年3月31日)に行われたという。判定は「タールベルグは世界一のピアニスト、リストは世界で唯一のピアニスト」というものだったらしい。うやむやな表現だが「タールベルグは上手いが、リストはさらに特別」「リストの勝ち」という見方ができる気もする。 ところでショパンはこのような「ライバル抗争」に関心はなく、一人超然としていたという。
3.タールベルグのその後 1863年に引退し、ピアノを弾くのをいっさい止め(自宅にピアノを置かなかったらしい)、イタリアで葡萄栽培に専念し、1871年に亡くなったという。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ