ピティナ調査・研究

第021回 亡命芸術家 

ショパン物語
1.チャルトリスキ公 ワルシャワ蜂起で一時樹立された国民政府の首相だったため、蜂起失敗後はパリに亡命した。パリには他にもロシアの弾圧から逃れてきたポーランド人が大勢いた。チャルトリスキ公はそのポーランド人亡命者社会の総帥であった。 ショパンとチャルトリスキ一家とは後年も親しく付き合い、ショパン人生最後の数ヶ月、最後の日々まで共にすることになる。
2.ロシア皇帝付首席ピアニスト ショパンが自ら「亡命者」であることを選択したさらに数年後、さらに有名な芸術家として名声を高めていたショパンを、ロシア側は手に入れたがった。そこで「ロシア皇帝付首席ピアニスト」の地位と様々な特典(当然帰国も許可する)をショパンにあたえようとした。 しかしショパンはそれを断り、ロシアには絶対に屈しないという意志を貫き通したのだった。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ