第019回 ピアニストよりも作曲家
演奏会 ショパンはパリに来た当初はピアニスト兼作曲家として身を立てるために1832年から35年にかけては、けっこう舞台に立っていたが、ほとんどが賛助出演で、自分が主役だったのはプレイエルホールでのデビュー演奏会の時くらいであったという。
名声が上がりピアノ教師として収入がかなりあり、作品も次々に出版されるようになると、ピアニストとしての活動に重きをおかなくなっていく。
なにより、自分の繊細な演奏は大きな会場では効果が上がらないことも痛感していたらしいショパンは次第にステージ恐怖症になっていったという。
林 倫恵子(はやしりえこ) 漫画家・ピアノ指導。ホームページ