第8回 祝祭の鐘と音楽 ②
「正教会の鐘とロシア音楽」連載も8回目を迎えました。今回は、前回に引き続き、祝祭の鐘にまつわる音楽を紹介いたします。ロシア正教会の様々な鐘の音の中で、ブラガヴェストと同様、信徒が日々耳にしていたトレズヴォンは、ロシアの人々にとって信仰と直結する特別な音として捉えられていました。奉神礼の開始を告げるトレズヴォンの音は、非常に音楽的であり、多くの作曲家たちに影響を与えました。今回はラフマニノフ、メトネル、リムスキー・コルサコフの作品についてお話しいたします。
ラフマニノフ《6つの小品》Op. 11より第6曲<スラヴァ>(栄光(光榮))
1894年に作曲された《6つの小品》Op. 11はラフマニノフが21歳のときの作品であり、連弾のための6曲の作品が含まれています。第6曲<スラヴァ>はロシアの伝統的な旋律と祝祭の鐘を思わせる楽想を特徴とします。
冒頭で提示される旋律は祝いの歌として非常に有名です。この旋律は18世紀末にニコライ・リヴォフ(Nikolai Aleksandrovich Lvov, 1751-1804)とイヴァン・プラーチ(Ivan Prach [Johann Gottfried Pratsch], 1750-1818)によって編集された『旋律付きロシア民謡集』(1790年出版)に収録され、ロシア国内外で知られるようになりました。1806年にはおよそ50曲が追加された第二版が出版され(計150曲)、その後も内容の見直しが行われた上で、重版されました。1806年に作曲されたベートーヴェン《弦楽四重奏曲》第2番Op. 59の3楽章、ムソルグスキー《ボリス・ゴドゥノフ》の戴冠式の場、チャイコフスキー《マゼッパ》、ストラビンスキー《火の鳥》などでこの旋律が使用されています。
以下、リヴォフ・プラ―チ編『民謡集』における祝祭の歌の楽譜です。
ラフマニノフの<スラヴァ>のユニークな点は、この古い旋律が引用されるだけではなく、この旋律の様々な要素が断片化されたうえで、鐘の音が描き出されていることにあります。
冒頭でこの旋律が複数回単調に示されます。この旋律は独特なリズムの伴奏に乗ってニュアンスを変えながら反復され、徐々に情感を高揚させます。69小節目からがらりと曲調が変わり、第1パートが主旋律を断片的に奏でながら、鐘の音を思わせる音型を早いテンポで繰り返します。
このように第1パートが主題のバリエーションを煌びやかに、落ち着きなく展開する中、第2パートが重厚なオクターヴと躍動的な主題の断片によって、大・中の鐘を模倣します。
主題は断片化し、バリエーション的に曲調を変えながら何度も繰り返され、作品を壮大なクライマックスへと導きます。
このロシアの古い祝いの旋律は、実際、教会の鐘の音が鳴り響く中で歌われたとも考えられます。ロシアではザペフカと呼ばれる音頭取りが旋律を繰り返し歌い、その後、民衆が加わり大合唱を繰り広げるというのが、民謡の一般的な歌唱法でした。
この作品の構成は、この伝統的な民謡の歌唱を思わせます。単調な旋律が繰り返された後、低音部が加わります。鐘の音が聞こえ始め、やがてその場を圧倒するような華々しい鐘の音に満たされます。
ラフマニノフはこの祝祭の歌が歌われる中で教会の鐘が響き渡る場に、実際に遭遇したことがあるのではないでしょうか。この歌は同じく祝祭の歌である《ムノーガヤ・レータ》(いくとせも)などと共に婚礼などで歌われることが多いとされますので、それもあり得ない話ではありません。
祝祭の鐘と関連する音楽は、この他にも数多く存在しますが、ここでは2曲ほど紹介します。
ニコライ・メトネル(Nikolai Medtner, 1880-1951)はラフマニノフやスクリャービンとほぼ同世代の作曲家。生涯14のピアノ・ソナタを作曲しており、1902年に作曲された《ピアノ・ソナタ第1番》Op.5は第1作目に当たります。1楽章と4楽章がソナタ形式で書かれており、その第2主題に「アンナのテーマ」と称される愛を表す旋律が用いられています。アンナとは後にメトネルの妻となる女性です。
メトネルは祈りや神のイメージ、鐘の模倣など、ある種の宗教性の感じられる作品を書き残していますが、《ソナタ第1番》もそうした要素とは無関係ではありません。この作品において、鐘の模倣は4楽章の最後――楽曲全体を締めくくるフィナーレにおいて登場します。
1883年から94年まで帝室礼拝堂合唱団の副監督を務めたリムスキー・コルサコフは、この時期に参加した荘厳な奉神礼に感銘を受け、この作品の着想を得たとされます。1888年に作曲され、同年初演されました。この作品についてリムスキー・コルサコフは「受難土曜日の陰鬱で神秘的な気分から、復活祭日曜日の朝の思いきり楽しい集いへの気分の移り変わり」を表現したと述べています。
本作品の楽譜には、聖書の言葉(詩編68、マルコによる福音書16:1-6など、イエスの復活を願う聖句や復活を示す内容)が記されています。作品には聖歌集《オビホード》よりいくつかの旋律が中心的な主題として使用されるほか、打楽器、ハープなどによって鐘の音が表現されます。
作品は大きく分けて2つの部分(①復活祭前日のキリストの受難、②復活祭当日の喜びを描く部分)によって構成されます。
- 復活前の受難の2日間がテーマとされます。Lento Mystico。ここでは聖歌《願わくば、神おきたまえ》と《天使は嘆く》の二つの旋律を中心に、受難の悲しみ、苦しみ、復活を願う信徒の心情が様々な楽器によって表現されます。
- Allegro Agitatoが指定され、一転して情熱的で激しい曲調へと変化します。そうした中で、聖歌《神を憎むものは御前より逃げ去らんことを》の旋律がオーボエとヴァイオリンで奏でられます。①で扱われた二つの聖歌の旋律が反復される中、主の復活を乞う信徒の切なる心情(もしくは声)が聖歌《キリストは起きてり》によって表現されます。この旋律はニュアンスを変えながら反復され、トランペットによって復活が宣言されます。この後、復活の歌と鐘の音によって神聖な場が描き出され、華々しい音を響かせながら終曲へ向かいます。
リムスキー・コルサコフは教会の鐘をハープ、グロッケン、打楽器などで表現し、金属的な眩い明るさを強調することで、楽曲に華を添えています。《ボリス・ゴドゥノフ》の戴冠式の場の鐘の模倣と対比的に聞き比べてみると、おもしろいでしょう。
この作品は初演後、ベルギーの作曲家ポール・グリソン(Paul Gilson, 1865-1942)によってピアノ版が書かれ、1891年に出版されました。当時、作曲家として修行中であったグリソンはロシア国民楽派の作品に関心を抱き、キュイをはじめロシアの作曲家と親しく文通していました。そうした中で、この作品のピアノ編曲版が書かれました。グリソン編曲の《ロシアの復活祭》は今日に至ってなお、演奏家のレパートリーとして取り上げられることもあります。演奏される際には、復活祭の鐘や聖歌の響き渡る聖堂などを動画などでご覧になることをお勧めします。
- こちらの動画では<賛歌>とのタイトルが付されています。
- Львов, Н., Собрание русских народных песен с их голосамиположенных на музыку Иваном Прачем: Часть вторая, СПб.: С дозволения Санктпетербургского цензурного комитета печатано в тип, Шнора, 1806.
- Rachmaninoff, Sergei, 6 Morceaux, Op.11, Moscow: A. Gutheil, n.d.[1894]
- Medtner, Nikolai, Piano Sonata No. 1, Op. 5, Leipzig: M.P. Belaieff, 1904.
- Martyn, Barrie, Nicolas Medtner: His Life and Music, London: Routledge, 2017.
- Pilip-Siroki, A., Role of the Folk Songs in the Russian Opera of the 18th Century, (2021年9月15日閲覧)
- Swan, Alfred J., Russian Music and its Sources in Chant and Folk-Song, New York: W. W. Norton, 1973.
- 音楽之友社編『ロシア国民楽派』(作曲家別名曲解説ライブラリー)、東京:音楽之友社、2001年。