第7回 祝祭の鐘と音楽 ①
前回はロシア正教会の様々な鐘の音の中で、市民が最も頻繁に耳にする機会の多いブラガヴェスト(もしくは大鐘(ブラガヴェストニク)と関連する音楽についてお話しました。今回は華々しい祝祭の鐘に関する音楽についてお話します。
祝祭の鐘と一言で言っても、その用途や奏法は様々です。春に行われる復活祭はキリスト教教会の最大の祝日であり、この日に鳴らされる鐘は信徒たちにとって特別な意味があります。厳粛な大鐘の音に先行されて、細かな音響を響かせる中・小の鐘の音を耳にするだけで、祭日の喜びに胸を躍らせた信徒も多いことでしょう。イエス・キリストの栄光と教会の勝利を告げる鐘の音は、眩い響きを伴い、町全体を包み込みます。
正教徒にとって一年のうちで最も喜ばしいこの日の鐘の音は、多くの作曲家にインスピレーションを与え、その結果、祝祭の鐘をイメージした作品が書かれました。
ロシアの作曲家にとって、教会の鐘とは果たしていかなる存在であったのでしょうか。これについて、ラフマニノフが興味深い言葉を残しています。
教会の鐘の音は、私がこれまで知っていたロシアのすべての都市(ノヴゴロド、キエフ、モスクワ)を支配していました。すべてのロシア人が子供の頃から墓場まで付き添うのが教会の鐘の音であり、いかなる作曲家もその影響から逃れることはできませんでした。ある日、友人の屋敷でチェーホフと釣りをしていたときのこと――チェーホフは大の釣り好きでした――魚を脅かさないよう会話は厳禁とされていたため、チェーホフは口をつぐんでいましたが、晩課の始まりを告げる鐘が鳴り終わったとき、不意に友人に向かって言いました。「私は鐘の音を聞くのが好きです。それが私に残された宗教のすべてです」。信仰も希望も失ったチェーホフでしたが、鐘の音の美しさは尚も心に響いていました。
私はこれまで、楽しげに鳴る鐘や悲しげに鳴る鐘の、さまざまな雰囲気や音楽を楽しんできました。鐘に対する愛は、すべてのロシア人の心に備わっています。子供の頃の最も楽しい思い出の一つは、ノヴゴロドの聖ソフィア大聖堂の大鐘の4つの音です。鐘つきは芸術家でした。4つの音は何度も繰り返されるテーマであり、銀色の泣き声のような4つの音が、刻々と変化する伴奏に包まれていました。私はこの4つの音から「涙」を連想しました。何年か後に、私は2台のピアノのための組曲[《組曲第1番》「幻想的絵画」Op. 5]を作曲しました。この作品は、4つの楽章で構成され、各楽章に詩句が付されています。チュッチェフの詩「涙」で始まる第3楽章では、すぐに理想的なテーマが浮かび、ノヴゴロドの大聖堂の鐘が再びここで鳴り響きました。オペラ『吝嗇な騎士』では、同テーマを使って、不幸な未亡人が男爵に「私と子供を助けてください」と涙ながらに懇願する姿を表現しました。音楽作品の中で鐘の音を人の心で振動させることに少しでも成功できたとするならば、それは、私が人生のほとんどのときをモスクワの鐘が鳴り響く中で生きていたという事実によるところが大きいでしょう。(Bertenson, Sergei & Leyda, Jay, Sergei Rachmaninoff: A Lifetime in Music, New York: New York University Press. 1956, pp. 315-317.)
ロシア人の人生に欠かせない音こそ教会の鐘であるというラフマニノフの言葉は、ロシア音楽を理解する上で、とても重要です。正教会の鐘の音は、言葉や音楽に先んじてロシアの人々の心に根差し、ロシア的たる音楽語法の下地を作りだしたと言っても過言ではありません。
或いは、チェーホフの言葉に示される通り、鐘の音の再現は、信仰心の表出ととらえることもできます。個人の信仰心に温度差はあったとしても、教会やそこでの祈りが日常生活の一部であることは変えがたく、全てのロシア人が共有していた音こそ教会の鐘の音であったことは事実です。
19世紀から20世紀へと時代が移り、信仰が脅かされる思想が徐々に広まる中で、鐘の音を表現することは、信仰を守り、古き時代のロシアを保存することであったとも言えます。
ロシアの多くの作曲家は、鐘の音から着想を得て、祝祭の華やかなイメージのほか、願望や悲しみなど、様々な心情を表現しました。
ラフマニノフの《組曲第1番》Op. 5-3はその代表的な作品ですが、この作品については次回以降取り上げたいと思います。
今回は祝祭の鐘の音との関連が顕著な《組曲第1番》Op. 5-4を紹介いたします。
ラフマニノフは1792年に歌劇《アレコ》を作曲し、モスクワ音楽院を優秀な成績で卒業しました。ラフマニノフの才能を高く評価したチャイコフスキーは、《アレコ》の初演や出版に協力し、1893年春に同オペラの初演がボリショイ劇場で行われました。その夏、レベジンに滞在したラフマニノフは新たな作品の作曲に取り組みました。1893年6月5日に従妹ナターリャ・スカローン嬢に宛てた手紙に、ラフマニノフは「私は今、一連の「音楽的絵画」である2台のピアノのための幻想曲の作曲に勤しんでいます」と書いています。
この作品は《組曲第1番》「幻想的絵画」 Op. 5として完成し、チャイコフスキーに献呈されました。初演は同年10月30日にパーヴェル・パブストと共に行われましたが、チャイコフスキーはその5日前にサンクト・ペテルブルグで逝去し、演奏会を聞きに行くという約束を果たすことができませんでした。ラフマニノフはチャイコフスキーの死を悼み、その冬、《悲しみの三重曲》Op. 9を完成させました。
《組曲第1番》「幻想的絵画」 Op. 5は4つの楽章より構成され、各楽章の冒頭には短いエピグラフが付されています。1楽章は幻想的な「舟歌」(レールモントフの詩)、2楽章は燃える喜びに満ちた「愛」(バイロンの詩)、3楽章は寂寥とした「涙」(チュッチェフの詩)、4楽章は喜びに満ちた「復活祭」(ホミャコフの詩)と、あたかも人生を語るかのような物語的な展開を示しています。
4楽章の「復活祭」は、復活祭の鐘と正教聖歌《キリストは復活した》の旋律の織りなす短い作品です。
ここではクレムリンの復活祭のトレズヴォンが、再現されます。華やかで動的な鐘の旋律は、突如、力強い不協和音によって中断されます。この和音は、鐘楼の全ての鐘が同時に打ち鳴らされたときの音響を思わせます。[譜例 1]
トレズヴォンを示す音形が終始繰り返される中で、正教聖歌《キリストは復活した》の旋律が織り込まれ[譜例 2]、力強く重厚な和音によって作品全体に終止符が打たれます。
この作品を聴いたリムスキー・コルサコフは、正教聖歌《キリストは復活した》を最初に単独で唱えたらどうかとラフマニノフに提案しました。ラフマニノフはその提案を受け入れず、実際、奉神礼では聖歌と鐘の音は常に同時に聞こえていたと主張したとのことです。
復活祭の鐘の音とこの作品を聴き比べてみると、鐘の音や復活祭の奉神礼の様子がいかにリアリスティックに再現されているか、よくわかります。ラフマニノフは鐘の音という素材をピアノによる表現の可能性を最大限に生かし、芸術性の高い作品へと昇華させています。
祝祭の鐘の音を主題とする作品については、次回も引き続き取り上げたいと思います。
- Bertenson, Sergei & Leyda, Jay, Sergei Rachmaninoff: A Lifetime in Music, New York: New York University Press. 1956.
- Threlfall, Robert & Norris, Geoffrey, A Catalogue of the Compositions of S. Rachmaninoff, London: Scolar Press, 1982.
- Rachmaninoff, Sergei, Suite No.1, Op.5,Moscow: A. Gutheil, 1894.