第4回 鐘の奏法とその意味について
前回は、ロシアにおける教会の鐘の受容について、お話ししました。ロシア正教会の鐘は西方教会と東方教会両者の鐘の伝統を継承し、さらに独自の発展を遂げたものです。教会の鐘と一言で言っても、鐘の種類や奏法、その意味はさまざまです。それらは全て、教会法で定められています。今回は、ロシア正教会の鐘の奏法とその具体的な意味についてお話しします。その上で、鐘の音の楽曲への引用、模倣など、音楽作品における鐘の表現について見ていきましょう。
正教会の鐘の意味や奏法、利用法については宗務院発行の『教会法規』(ティピコンTypikon)に記載されています。ロシア正教会は、ここに記されている規定に従って、鐘を鳴らします。
教会には、ズヴォナールと呼ばれる鐘を鳴らすことを専門とする者がいます。
鐘の鳴らし方は、鐘の「舌(ぜつ)」を紐で揺らし、鐘の内側で音を立てます。鐘自体を揺らせることで音を響かせるカトリック教会の鐘との違いはこの点にあります。正教会では、鐘の音の録音物や電子音を使用することは禁止されており、必ず人の手で鳴らされることとされています。鐘つきは鐘楼に登る前に必ず司祭もしくは典院(高位修道司祭)のもとに行き、祝福を受けます。このことは、鐘を鳴らすこと自体が聖務であり、鐘の音響自体も聖なるものであることを意味します。
通常、大(ブラガヴェストニクBlagovestnik)中(パドズヴォヌィPodzvonny)小(ザズヴォヌィZazvonny)の鐘(各々複数)を1セットとして、教会の規模に応じて複数組掲げられます。
鐘は鐘楼に掛けられる際に、必ず聖油によって聖別されます。
正教会の鐘の音には、様々な意味がありますが、その音が、「信徒に対する礼拝への呼びかけ」であることは、もっとも一般的に知られています。朝、夕に鳴らされる教会の鐘の音は、祈りの場への誘いであり、この音が聞こえてくる時刻は、一日のうちでもっとも重要で、神聖なときであると考えられていました。
このように鐘の音はチャイムとして役割を果たしてきましたが、その音響や打ち鳴らす回数には、とても深い意味があります。ここでは神学的な内容に深入りしませんが、重要な点は、その音は、残響に至るまで極めて神聖なものであり、「教会と神の秘儀の地上における勝利、栄光」を意味するということです。
チャイコフスキーの《荘厳序曲<1812年>》Op.49のフィナーレで実際の鐘が鳴らされますが、これはフランス軍の攻撃を受け、廃墟同然にされたモスクワで民衆が立ち上がり、教会の鐘を鳴らす場面を表現したものです。戦火の中で崩壊を免れた鐘の「聖なる音響」が響き渡る瞬間は、教会の不滅と神からの絶対の勝利宣言を想起させます。教会の鐘が鳴らされるという日常は、奉神礼が今尚、行われていることの証であり、正に、神の栄光を示すものであると言えるでしょう。
教会の鐘はまた、「病などにより奉神礼に参加できない信徒に、奉神礼の進行と聖書朗読箇所を知らせる役割」を担います。鐘を鳴らす個所や回数などについてもまた、『教会法規』に記載されています。
この他、鐘は訃報や火事、洪水などの警報、戦勝の報、司祭や領主ら要人の来訪を告げる役割を担いました。これは世俗社会における鐘の役割であり『教会法規』における記載はありません。
正教会の鐘には厳格な奏法があり、ブラガヴェスト、ペレズヴォン、トレズヴォン、ペレボールの4種類の奏法が『教会法規』に記載されています。各項目に音源のリンクを貼りますので、聞いてみてください。
ブラガヴェスト |
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ペレズヴォン |
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トレズヴォン |
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ペレボール |
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ナバト |
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クラント |
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これらの奏法は一般的なものであり、各教会はこの規範に従って鐘を鳴らします。中には、古来の伝統に基づき、独自のバリエーションを挿入させる例も見られます。これらの鐘の音がどのように音楽家に影響を与えたか知るために、先ずは実際に鐘の音を聞いてみるといいでしょう。
先ほど言及したチャイコフスキーの《荘厳序曲<1812年>》Op.49は、実際の鐘が楽器として取り入れられた代表的な作品です。1881年に作曲され、翌年、全ロシア産業、芸術博覧会において初演されました。1887年にはペテルブルグで演奏されて大成功をおさめ、その後、諸外国においても演奏されて人気を博しました。この作品はオーケストラのために書かれたものですが、ピアノ編曲版がいくつも作られています。1882年には、ピアノ編曲版(独奏)と4手ピアノ版がユルゲンソン社より出版されました。編曲者については異論がありますが、チャイコフスキー自身であるとの説もあります。
《荘厳序曲<1812年>》Op.49は、1812年に行われた、ナポレオン軍(大陸軍)のロシア遠征が主題となっています。この戦争でモスクワは廃墟同然にされましたが、イワン雷帝の鐘楼の18の鐘は奇跡的に無事でした。その後、ナポレオン軍はロシア軍による追撃と寒波に倒れ、ナポレオン戦争は終結に向かいます。
この作品においては、「民衆の祈り」「ロシア軍の進軍」「フランス軍とロシア軍の戦闘」「ロシア軍の勝利」「勝利の行進」の5つの場面が描写されています。このうち「ロシア軍の勝利」「勝利の行進」の場において実際の鐘が指定されています。フィナーレでは破壊を免れた鐘が祝祭のペレズヴォンを響かせる中、祝砲が轟き、ロシア帝国の不滅を祝すかのように、国歌《神よ、皇帝を護り給え》の旋律が低く堂々と奏でられます。鐘の音と国歌の旋律の組み合わせは、天上と地上からの壮大な勝利宣言であり、聞き手の愛国心に強く訴える役割を果たしています。
《荘厳序曲<1812年>》の総譜の一部をご覧ください。
Clch(Cloch)が鐘のパートです。359小節からfffで鐘が打ち鳴らされ、フィナーレへ向かう楽曲を華々しく盛り上げていきます。
チャイコフスキーはオーケストラの総譜の最初の頁に「鐘は大きいものが望ましいが、音調(ピッチやテンポ)について指示はしない。ただし、祝祭のペレズヴォンを模倣して打ち鳴らすこと」と記しています。チャイコフスキーは復活祭など、特別な祝日の鐘の音を意識して、敢えて鐘をこの作品に取り入れました。ロシアの人々にとって、祝祭のイメージと鐘の音がいかに切り離しがたいものであったか、想像に難くありません。
以下は1882年に出版されたピアノ編曲版です。
総譜と照らし合わせると、譜例2の2小節目から22小節目まで鐘が鳴り続けることになります。同時に、この作品の冒頭で提示されるロシア正教聖歌《主よ,爾の民を救い給え》(Спаси Господи люди Твоя)の旋律が再現され、鐘の音と一体化して、神聖な場が壮大に描き出されます。ピアノ版に鐘は指定されていませんが、この箇所に込めた作曲家の意図や心情に変わりはありません。演奏の際にはオーケストラの総譜を見て、鐘の音をイメージしてみるといいでしょう。
- Fr. Roman Lukianov, A Brief History of Russian Bells, Printed in the ABA's official publication, The Bell Tower (vol. 57, no. 4: Jul-Aug 1999).
- Typikon for Church Bell Ringing, Moscow: Editorial Board of the Russian Orthodox Church, 2002.
- Tchaikovsky, Pyotr, 1812 Overture, Op.49, Moscow: P. Jurgenson, 1882.
- Tchaikovsky, Pyotr, 1812 Overture, Op.49, for Piano, Moscow: P. Jurgenson, 1882.
- Tchaikovsky, Pyotr, 1812 Overture, Op.49, for Piano 4 hands, Moscow: P. Jurgenson, 1882.
- Tchaikovsky, Pyotr, 1812 Overture, Op.49, New York: Dover Music Publications, 2003.
- 『チャイコフスキー荘厳序曲<1812年>作品49』東京:全音楽譜出版社、2005年。