ピティナ調査・研究

第2回 キリスト教史における鐘の使用について

 前回は教会の鐘の由来について、聖書の言葉を引用しながらお話ししました。今回は、鐘がいかなる経緯をたどってロシアにもたらさることになったか、キリスト教の歴史を追いながら見て行きましょう。

2. キリスト教史における鐘の使用について

キリスト教教会は4世紀から10世紀まで、ローマ(西方教会:ラテン)とコンスタンチノープル(東方教会:ギリシアを中心とする正教会)を中心に栄え、それぞれ独自の発展を遂げました。11世紀に東西教会の大分裂(大シスマ)が起こり、西方教会と東方教会は袂を分かち、カトリック教会と正教会の二大教会が誕生しました。鐘を大切にすることにおいては、両教会に変わりはありません。教会大分裂以前から、鐘もしくは鐘に類するものが、教会での祭儀の際に使用されていましたが、西方教会と東方教会では、鐘の形態や奏法に違いが見られます。

1)西方(ラテン)教会における鐘の受け入れと発展

西方教会における鐘に関する最も古い記録は、3~4世紀に見られます。300年頃、エジプトの聖大アントニオス(251-356)が、キリスト者としての生き方を布教するために世界初となる修道院を建設しました。この際、修道士を祭儀に呼び出すために鐘(もしくは鈴)が使用され、これが教会の鐘のはじまりであるとされます。聖アントニオスのイコンや肖像画には、通常、小さな鐘と豚が描かれます(画像)。鐘は悪霊を追い払う効果があり、豚の脂は疫病を癒すとの言説に由来します。
同時期にイタリアにおいて、ノラの大司教聖パウリヌスが教会で鐘を使用しており、この例がキリスト教教会における初の鐘の使用として記述されることもあります。
鐘はその後、アイルランド、北アフリカ(アレクサンドリア、カルタゴなど)などの修道院で用いられるようになりました。5世紀にアイルランドの聖パトリックが使用した鐘は現在も保存されています。
この頃まで、鐘は専ら修道院において修道士を祈祷に呼び出す合図として用いられていました。
7世紀以降、布教活動の活発化に伴い、修道院の外でも、ミサの開始を告げる合図として鐘が鳴らされるようになりました。イギリスでは葬儀に際して鐘が鳴らされたとの記録もあり、鐘は礼拝への呼び出しのみならず、弔いや葬送など、聖書に基づき、多様な意味付けがなされていったことがわかります。

2)東方(ギリシア)教会における鐘:セマントロン

東方教会圏すなわちビザンツ帝国内では従来、鐘ではなく「セマントロン(シマンドロン、ロシア語:било)」が用いられました。セマントロンは木製の板であり、ハンマーで打ち鳴らして音を立てます。木の板を叩くと言っても、単調にただ打ち鳴らすのではなく、強弱や速度、打刻の間隔など、様々な技術が必要とされます。
セマントロンの初出については諸説がありますが、6世紀にエジプト、パレスチナの修道院で用いられていたとの記録があります。後にギリシアにもたらされました。アトス山の修道院内では現代に至って尚、当時の伝統を保持し、決まった時刻にセマントロンが打ち鳴らされています。
9世紀以降、東方教会のスラヴ地域への伝道活動に伴い、セマントロンは西スラヴ地域(チェコ、モラヴィア、ブルガリア、セルビア)においても広く使用されるようになりました。
13世紀まで、東方教会ではセマントロンが専ら使用されており、鐘はラテン教会でのみ使用されていたとの記録もあります。886年にベネツィアよりコンスタンチノープルの教会に12セットの鐘が贈られましたが、これらは時報として用いられ、教会において使用されることはなかったとのことです。

その鳴らし方についても相違があり、西方教会では鐘自体を揺らす、もしくは振ることで音を出したのに対し、東方教会では板を片手で抱え、それを撥で叩くことで音を立てます。ロシアではつり下げた板を叩いて音を鳴らすセマントロンや、金属製のセマントロンなどが作られました。揺らすのではなく、叩くことによって音色豊かな音を立てるという奏法は、ロシアの教会の鐘の発展に大きな影響を与えることになります。ロシアにおける鐘の受容と発展については次回のテーマとします。
ここに西方教会の鐘と東方教会のセマントロンの音を紹介しますので、聞いてみてください。

西方教会の鐘の例
ノートルダム大聖堂
ウエストミンスター寺院の鐘
東方教会(ギリシア正教会)のセマントロン

 朝、晩の祈りの時刻を告げる教会の鐘の音は、キリスト教社会における日常の音として定着し、西欧においても鐘の音に基づく多くの楽曲が生み出されました。例えば、フランスの作曲家ルイ・ヴィエルヌは1929年に《ウエストミンスターの鐘》Op. 54-6と題するオルガン作品をノートルダム大聖堂で初演しています。この作品では、ロンドンのウエストミンスター宮殿の時計台の鐘の音が模倣されています。この鐘の旋律は、日本では学校のチャイムとして使用されています。
ニコロ・パガニーニは、《ヴァイオリン協奏曲第2番》Op. 7(1826頃作曲)の3楽章に鐘の音を模倣した旋律を取り入れています。超絶技巧で彩られたこの作品は、初演当時、多くの作曲家を魅了しました。フランツ・リストもその一人であり、後にリストはパガニーニの旋律を引用して複数の作品を作曲しました。《パガニーニによる大練習曲》第3番 <ラ・カンパネラ>もその一つです。難技巧を駆使したリストの作品は、感動の連鎖を呼び起こし、同時代、後世の作曲家に影響を与えました。ロシアの作曲家セルゲイ・リャプノフはリストに敬意を払い、《12の超絶技巧練習曲》Op. 11を1897年に作曲しています。<カリヨン>とのタイトルが付された第3曲は大小様々な鐘の模倣で構成されています。ロシア版の楽譜のタイトルは<トレズヴォン>であり、これは正教会の鐘の奏法の一つを意味します。この鐘の奏法や意味については、後に詳しくお話しいたします。

リスト《パガニーニによる大練習曲》第3番 嬰ト短調

主要参考文献
  • Lukianov, Roman, A Brief History of Russian Bells, Printed in the ABA's official publication, The Bell Tower (vol. 57, no. 4: Jul-Aug 1999).
  • Williams, Edward V., The Bells of Russia: History and Technology, Collana: Princeton Legacy Library, 2014.
  • 『聖書辞典 新共同訳聖書』東京:新教出版社、2001年。