ピティナ調査・研究

大人のためのJAPAN14: 近藤譲『視覚リズム法』 (1970's-2「ポスト・モダン」)

ピアノ曲 MADE IN JAPAN

今日ご紹介するのは、世界的にも熱烈なファンを得ている作曲家・近藤譲氏のピアノ曲『視覚リズム法』Peters社刊)です。この曲は、「線の音楽」という、近藤氏ならではの音楽思想がよく現われた作品ですが・・・。さて一体、「線の音楽」とはどんな音楽なのでしょうか。まずは動画で、お楽しみください!

 
Jo KONDO / SIGHT RHYTHMICS (近藤譲 / 視覚リズム法 / 演奏:須藤英子)
 
『視覚リズム法』とは

お聴きいただいたとおり、短い6曲から成るこの作品は、シンプルな音が、一音ずつ淡々と連なり、まるで線のように紡がれていく作品です。もともとこの作品は、ヴァイオリン、バンジョー、スティールドラム、電気ピアノ、チューバの5楽器によるアンサンブル作品でした。あるパートが一音発し、他のパートが次の一音を発し...、それらが連なって1本のメロディーとなっていきます。1曲ごとに、1パートずつゆるやかに変化していくので、各曲は似たようでいて少しずつ異なるメロディーに...。最終曲のみ、2パートが同時に変化するので、全く違ったメロディーが出現するように聴こえます。 5楽器を大譜表にまとめたピアノ譜では、各パートの微妙な重なり合いを正確に弾くのが難しく、音を発するタイミングより切るタイミングへの意識の向け方が大切になります。また、近藤氏独自の音の表記(4分音符の2/3の長さの音を、鍵型の棒で表すetc...)もあり、現代作品ならではの譜読みの難しさも、多少あるかもしれません。

「線の音楽」とは

この作品は1975年に作曲されたものですが、近藤氏はその2年ほど前に「線の音楽」という独自の思想を編み出し、その思想に沿って作曲を進めていました。著書「線の音楽」(朝日出版社、1974年刊)の冒頭は、次のような文章で始まります。

「聴こえない音を夢見ることは出来ても、聴こえない音で出来た音楽を見付けることは出来ない」

この禅問答のような文章の背景には、「音というものと音楽というものはどこが違うだろうか」、「ある音を聴いたとき、それが音楽だと感じるのはどこからだろうか」という、作曲家としての真摯な問いがありました。

作曲家・近藤譲とは

近藤譲氏は、東京芸大1年生の頃から既に新進気鋭の作曲家として注目され、その後世界的にも熱烈なファンを得ている、日本を代表する作曲家の一人です。音楽史や音楽思想に関する著書も多く、現代音楽の諸傾向を全て踏まえた上で個性ある作曲法を打ち立てた、頭脳派作曲家と言えましょう。「線の音楽」以前は、アメリカ実験音楽の影響を強く受け、「音楽を作るというのは音を組み立てることではなくて、演奏者同士の行為のネットワークを作ること」といった考えを中心にしていましたが、その後、より聴衆の立場から考えるようになり、「線の音楽」に到達しました。偶発的な音の連続から成る実験音楽とは異なり、考え抜かれた音の連鎖を耳で追うことで、聴き手はそれまでの音楽とは異なる極度の集中を体験することになります。

ポスト・モダンの先駆者として

1970年代の現代音楽界では、ドル・ショックやオイルショックといった社会的ショックの影響で、それまで主流だったアメリカやヨーロッパの前衛音楽が影をひそめ、代わって各地の独自の価値観を重視するポスト・モダンの雰囲気が広がっていました。近藤氏の音楽は、その頃アメリカに現れたミニマルミュージック(反復を主とする調性的音楽)から、「聴き手に新たな'聴き方'を求める」といった思想的な影響は受けたものの、根本的にそれらとは違う独自の作曲法により、どこか東洋的な音色を持つ個性的な音楽となりました。私は、ソルフェージュ的に決して易しくはない近藤氏の作品を演奏していると、そのシンプルで洗練された音響とも相俟って、茶道や華道、あるいは禅の修業をしているような気分になります。近藤氏は、最先端の作曲思想を持ちつつ、そうした独特な空気感を持つ音楽に成功した点で、世界のポスト・モダン音楽の先駆者的作曲家といえましょう。

参考文献
日本戦後音楽史研究会編「日本戦後音楽史(上)」 平凡社 2007
「日本の作曲20世紀」 音楽之友社 1999
「はじめての音楽史」 音楽之友社 1996
石田一志「モダニズム変奏曲」 2005
西村朗編「西村朗対話集?作曲家がゆく」 春秋社 2007
近藤譲「線の音楽」朝日出版社 1974