ピティナ調査・研究

こどものためのJAPAN6-3: 発表会で弾きたい全音JAPANピース3

ピアノ曲 MADE IN JAPAN

`発表会で弾きたい全音JAPANピース'最終回の今回は、レトロな香り漂う小粋な作品、橋本国彦作曲「小円舞曲」をご紹介いたします!

 
橋本国彦/小円舞曲(下画像をクリックして音源ページへ!)
 
昭和初期の花形作曲家

作曲者・橋本国彦は、昭和初期の日本で大活躍した作曲家です。中学生の頃からヴァイオリンを学び、東京音楽学校(現・東京芸大)でもヴァイオリンを専攻。当時作曲専攻がなかったこともあり、ほぼ独学で作曲を学びました。その後、文部省派遣留学生として3年間ヨーロッパ・アメリカへ遊学。シェーンベルクなど当時の最先端の音楽に触れ、多くの刺激を浴びるように吸収します。帰国後は母校で教鞭を取るとともに、ポピュラーから前衛まであらゆる音楽を作曲し、花形作曲家として大活躍しました。

「小円舞曲」とは

橋本氏40歳の頃に作曲された「小円舞曲」は、まさに昭和の歌謡曲的作品です。ショパンの円舞曲風の始まり方をしますが、すぐに哀愁をおびた歌謡曲が登場。中間部で印象派風の斬新な響きを楽しんだ後、歌謡曲が戻って終わります。誰もが親しめるメロディーと、その一歩先をゆくような斬新な響き...。あらゆる音楽を手掛けた橋本氏ならではの、絶妙な融合と言えるでしょう。ただ、これほどまでに分かりやすいメロディーの背後には、時代の要請もあったように思われます。

時代の流れの中で

この曲が作曲された1944年の日本は、第二次世大戦真っ只中。愛国精神豊かだった橋本氏は、国立の東京音楽学校教授として、戦意高揚のための音楽も多く生み出していました。橋本氏の音楽には「昭和前期の喜怒哀楽、栄光と悲惨の全て」(音楽之友社「日本の作曲20世紀」より)があると言われますが、「小円舞曲」の歌謡曲性にも、多少なりともそのご時勢が影響しているかもしれませんね。その後橋本氏は、敗戦とともに戦時中の責任をとって教授を辞任、直後に癌を発症し44歳の若さで亡くなりました。

「小円舞曲」活用法

全音ピアノピースには、他にも橋本国彦の作品が4曲ありますが、「おどり」(242番、難易度C)と「踊子の稽古帰り」(243番、難易度D)は品薄状態、「夜曲」(266番、難易度D)と「雨の道」(267番、難易度C)は、在庫があるようです。どちらも素敵な作品ではありますが、やはり分かり易さの点では「小円舞曲」がピカイチでしょう。発表会では、こどもさんに限らずシルバー世代の方々にもお楽しみいただけること間違いなしですし、また例えば、ショパンやブラームスなどの「円舞曲(ワルツ)」と比べて弾いて、各々の味わいを楽しむという使い方もありますね!歴史あるピースならではの、このレトロで小粋な作品。良い機会を見つけて、ぜひお楽しみください。