ピティナ調査・研究

インタビュー第12回:湯山 昭先生「満足できるピアノ曲を」

ピアノ曲 MADE IN JAPAN

日本の作曲家にあまり馴染みがない方でも、子どものときに一度は弾いたことがあるのが、 湯山 昭先生の作品ではないでしょうか。『お菓子の世界』『子どもの国』といった楽譜は、その鮮やかな表紙とともに、子ども心に大きなインパクトを与えます。「シュー・クリーム」に「ポップ・コーン」、「いいことがありそう!」に「レーシングカー」...。それまで真面目に教本に取り組んできた私にとっては、「こんなに面白い音楽が!」と目から鱗の体験だったことを覚えています。今日は、そんな楽しい世界を提供し続けていらっしゃる 湯山 昭 先生に、その創作の秘密を伺いました。スパーンと竹を割ったような、明るく気持ち良い先生のお話を、存分にお楽しみください!

超ロングセラー『お菓子の世界』と、その続編?!

湯山先生:『お菓子の世界』は、NHKの「ピアノのおけいこ」という番組が発端でね。「番組のテーマ曲を」と依頼を受けて、第1曲目を作曲しました。即興的にあっという間に出来てね、それもかなり良い曲が(笑)。ただ、いつもはすぐに浮かぶ曲名がなかなか浮かばない。何度も弾き直すうちに、まず「ベルト・コンベヤー」という言葉が浮かんで、結局それに「お菓子の」と付けてみたのが、この「お菓子のベルト・コンベヤー」の成り立ちです。

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確かに、思いがけない転調の連続が、次から次とお菓子が運ばれてくる様子を連想させますね。

湯山先生:そうでしょ。そしてそれが全国放送されて反響を呼んだわけですが、その後、それを見ていた全音楽譜出版社の出版部長から、「お菓子ばかりのピアノ組曲を書く気はありませんか」とお話をいただいてね。「それは面白い!」と、引き受けました。

そうして、21曲のお菓子の曲と3曲の間奏曲、そして序曲と終曲から成る名作『お菓子の世界』が誕生したのですね!

湯山先生:そう、「チョコ・バー」とか「シュー・クリーム」とか、洋物ばかりだとまずいから、「柿の種」とか「鬼あられ」とか、日本のお菓子を入れたんです。あれから35年経ちましたが、これがいまなんと129刷のベストセラーですよ。こんな楽譜は、他にないんじゃないかな。

ものすごいですね!邦人作品の中では、きっと異例中の異例でしょうね!

湯山先生:そしてこれは最新のニュース!あれから34年経った昨秋、『お菓子の世界』の続編を、というお話を全音からいただいてね。なんとこの10月15日に、全音から楽譜が、同じ日にキングレコードからCD(演奏:堀江真理子さん&デュエットゥ)が発売されることになったんです!

えーっ!!!本当ですか!!!それは、嬉しいですね!!!

湯山先生:楽譜のタイトルはピアノ曲集『音の星座』

(...あっ、『お菓子』ではないのですね...。)

湯山先生:中には、「レモンスカッシュに浮かぶ月」とか「星の噴水」、「蜂蜜はあまいレガート」なんて曲が入っています。

(でもやっぱり食べ物系の曲名が、入っているのですね...!)

湯山先生:人々はみな心の中に広い宇宙を持っている、と僕は思っていてね。ピアノを打鍵すると、心の宇宙に次々と音の星が生まれて、それが集まって星座が出来ていく、というイメージから名付けました。このタイトル、僕はちょっと気に入っているんだよね(笑)。

楽しみですね!

子どものための作品について

先生の作品には、素敵な曲名のものが多いですよね。

湯山先生:特に子どもの曲の場合、童謡にしてもピアノ曲にしても、演奏するときにはイメージがとても大切になるので、曲名はとても大事です。

先生は、曲名をどのようにして発想されるのですか?

湯山先生:うーん...。僕は子どもの頃、一人で孤独に過す時間が多かったからね。父親は僕が2歳の時に亡くなり、母親は小学校の教員をしていました。だから、学校から帰ってから夜まで一人ぼっちで、自分で遊びを考えながら、色々なことを感じていましたね。その頃の色々な記憶が、今でも全部頭に残っているんですよ。だから、タイトルを考えるのは全然難しくない。子どもの頃の自分に戻れば、すぐに思い浮かぶんです。

なるほど、子ども心にズキンとくる曲名の数々は、先生のご経験から生み出されていたのですね。

湯山先生:当時は戦争中だったから、男の子がピアノをやるなんて、迫害視されていました。悪ガキがレッスンの帰り道で待ち伏せをして、僕を襲ってくるんです。命がけのピアノレッスン(笑)。当時うちにはピアノがなかったので、レッスンから帰っても練習ができず、ピアノを借り歩いていましたね。そんな環境でしたから、音楽は大好きでしたが、音楽家になるとは思いもしませんでした。でももしも音楽をやるなるば、曲を作る人になろうと思っていましたね、生意気にも(笑)。与えられた曲を弾くだけじゃつまらないなと。

ご自分で色々な遊びを考えられていたことと、何か関連があるのかもしれませんね。

湯山先生:そうね。そしてその後音楽への道を開いてくれたのは、高校の音楽の先生でした。進学校だったのですが、僕はピアノが弾きたいがために、合唱部に入って音楽をやっていました。その姿を見て、先生が母親を説得してくれたのです。

相当熱心に、音楽をやっていらっしゃったのでしょうね。

湯山先生:その後、池内友次郎先生の作曲のレッスンに通うようになって、運良く現役で芸大にパス!敗戦後6年目、世の中はまだまだ落ち着きがありませんでした。

現役というのは、素晴らしいですね!先生はその後、大学3年生の時には日本音楽コンクールでも入賞され、まさにエリートの道を進まれますね。

湯山先生:大学3年の春、10年間欲しくてたまらなかったピアノをやっと手に入れました。「シェーンベルク」という、恐ろしい名前のピアノでね(笑)。モーツァルトなど弾くと、鍵盤が重くて手首が熱くなってしまうようなピアノでした。そして初めて書いたのが、歌曲『子供のために』。作曲科の後輩が、歌人のお母様の詩集「青い煙」をプレゼントしてくれて、これはいいなと歌曲にしたのがこの曲です。同じ年の夏に、『ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ』を書いて、この曲が三善晃さんの曲と一緒にコンクールで入賞したんです。初めて書いた器楽曲でした。

すごい!!!

湯山先生:歌曲『子供のために』は、芸大の奏楽堂で初演したのですが、それを声楽の畑中良輔先生が聴いていて、数年後に出版して下さったんです。それがきっかけになって、「コンクールに入賞した若い作曲家が、子どもの領域にも興味を持っている」とNHKの耳に入り、「遊びましょう」という幼児番組の音楽作曲の仕事に結びついていきました。5年間続いたこの仕事は、その後の僕のピアノ曲と童謡のベースになっていますね。

エリート作曲家が子どもの作品に興味を持たれる、というのは珍しいですよね。

湯山先生:やっぱり一人っ子で寂しく育った幼児体験が、子どもの曲への興味に結びついたんでしょうね。

日本のピアノ曲について

湯山先生:僕は日本人作曲家の中でも、ピアノ曲をたくさん書いた方じゃないかな。ピアノがなくて芸大に入ったので、ピアノに対する憧れは人一倍強かったですね。でも、こんなにピアノ曲を書くようになるとは、思っていませんでしたけどね。

たしかに日本の作曲家で、これだけたくさんピアノ曲集を出版されているのは、湯山先生お一人ではないでしょうか。

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湯山先生:音楽之友社からは、大人のための『ピアノ・ソナタ』と『ピアノ三重奏曲』、子どもと大人共有の『日曜日のソナチネ』、子どものための『こどもの国』。カワイ出版からは、大人用の連弾曲集『妖精の森』、子どもと大人共有の『小鳥になったモーツァルト』、子どものための『こどものせかい』。そして全音からは、例の『お菓子の世界』。これは、実は子どもだけのためではなく大人にもちゃんと弾いて欲しい、と思って作ったんですよ。今度出版される近刊『音の星座』は、『お菓子の世界』と同じレベル。だから両方とも、子どもと大人共有かな。それから僕は、三善晃さんがピアノメソードを作る10年前に、『こどもの宇宙ステップ1・2・3』と『こどもの宇宙ステーション』というメソードを作っているんです。そしてこれを、中学生以上の大人のために編集し直したのが、『ピアノの宇宙123巻』。出版楽譜は、こんなところかな。

邦人作品はすぐに絶版になってしまうイメージがありますが、先生の楽譜は全て、現在でも手に入る楽譜ですね。

湯山先生:そうね。

ところで先生は、ご著書『人生はロンド』の中で、「合唱や声楽に比べてピアノ界では、日本の作品が取り上げられることが圧倒的に少ない」と嘆いていらっしゃいますね。

湯山先生:色々なリサイタルのチラシを見ても、作曲家は全部外国人でしょ。これは日本の恥だね。

確かに、バッハベートーヴェンショパンドビュッシー...と、お馴染みの作曲家が並ぶ場合が多いですね。

湯山先生:安川加寿子さんが、あの時代にちゃんと日本の作曲家も取り上げていらしたことを思うと、今の日本のピアニストは、非常に怠慢ですね。大学のピアノ教育でも、日本の作品を意識的に学生に紹介するということを、やらなくてはいけませんよ。そういう意味では、ピティナさんの邦人作品に対する活動はとても貴重ですね。

これから日本人ピアニストが世界に出る機会が増えれば、外国で日本の作品をリクエストされることも多くなりますしね。ただ、だからといって、これまでクラシックを勉強してきたピアニストが、急に今の日本の複雑な無調の音楽を弾くのは、難しい...。そういう意味では、調性音楽をベースにした湯山先生の作品は、今の日本のピアノ界にとって、とても貴重な存在だと思います。

湯山先生:僕が芸大の学生だった当時も、「12音音楽(※無調音楽の一種)こそが音楽」という風潮は、確かにありました。その中で調性音楽を書いていたというのは、度胸があったのかもしれない(笑)。でも僕は僕が信じる音楽で書いていたから、そんなの気にしなかったね。自分の信じる音を書き連ねること、そして弾く人が満足できる曲を与えること。満足し切れない曲でピアノを弾かせるのは、これは罪ですよ(笑)。

なるほど、確かに先生の作品には、満足感たっぷりです!


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心から音楽を愛し、実直に音楽に向かわれてきた湯山 昭先生。卓越したその作曲の 技が、ご自身の幼児期のご経験から、子どもの作品に向かれたという点で、それを演奏できる私たちはハッピーだったのかもしれません。今、大人のためのピアノ曲を作曲されるなら「6楽章ぐらいから成る自由奔放な嬉遊曲を」とおっしゃる湯山先生。そんな新曲を夢見つつも、『お菓子の世界』や『こどもの国』、また近刊『音の星座』など、先生のこれまでの作品を今もう一度弾き直してみることから、日本のピアニストたちに日本の作品と向き合っていただきたい、と感じる今日この頃です。

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