ピティナ調査・研究

インタビュー第9回:〔NYレポート1〕 塩谷陽子さん 「日本菌とは」

ピアノ曲 MADE IN JAPAN
ジャパンソサエティー芸術監督 塩谷陽子さん 「日本菌とは」

私が塩谷陽子さんを知ったのは、ご著書『ニューヨーク~芸術家と共存する街』(丸善ライブラリー・新書/98年)を読ませていただいた8年前。当時、東京芸大大学院でアートマネジメントを勉強していた私にとって、同じ楽理科卒の先輩が書かれたその本は、多くの点で衝撃的でした。芸術家が集う街ニューヨークへの憧れも、思い返してみればその頃からあったように思います。今回そのニューヨークにて、その塩谷さんに直接お話を伺うことができました!ニューヨークご在住20年、日本文化を紹介するアメリカの民間非営利団体「ジャパン・ソサエティー」にて、10年前よりアートマネージメントのお仕事を、2年前からは芸術監督として舞台芸術部門の統括をされている塩谷さん。ニューヨークのキャリアウーマンらしい厳しい方かと想像していたのですが、実際にはお洒落で素敵でとても温かい方でした。日本人の中に確実に存在する「日本菌」。私たち日本人演奏家にとっても、より良い演奏を目指す上で自覚すべきこの菌について、以下、塩谷さんから伺ったお話を私なりにまとめさせていただきます。

ニューヨークの魅力

お話を伺ったのは、私がニューヨークに来てちょうど2週間目。様々な肌の色の人々が混在する日常と、それを可能にする都会的な街のシステムに、日々感動していた頃でした。が、塩谷さんは、1988年にいらした当初、東京の方がよっぽど都会だと思われたそうです。当時の東京は、バブル期初頭。流行り廃れのサイクルが速く、ビルの建て変わりも激しかった時代。それに比べてニューヨークは、のんびりした「つまらない街」に感じられたとのこと...。ですが、その「つまらない街」のイメージが一転したのは、それから2年後。物理的な物の変化ではなく、集う人々の変化に気付かれた頃からでした。ビルの建て変わりなど目に見える異変がないにも関わらず、そこに集う人々の構成(仕事や年齢、趣味や主義による集合体)が素早く変化する...。人と人とのつながり、それこそがこの街のバイタリティにつながっている、と言えましょう。

外から見た日本

バイタリティ溢れるニューヨークから見ると、私にとって日本はいかにも閉鎖的な島国...。でも、「日本も捨てたもんじゃないですよ」と塩谷さん!今でも大多数(マジョリティー)の意見が絶対的な力を持つ風潮は変わらないとしても、少数派(マイノリティ)もそれなりの立場を保障されるようになってきた、とおっしゃいます。例えば20年前は「転職」など一大事で、長年勤めた銀行を辞めて外資系に転職するなど、なかなか考えられなかった時代。でも今は、「転職」自体に偏見はなく、フリーターという生き方さえ増えてきました。色々な考え方、生き方が、少しずつ尊重されるようになってきた、という意味では、ある意味健全な社会になってきたのかもしれません。日本もニューヨーク化してきた、とも言えるでしょうか。

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塩谷陽子さん
1960年東京生まれ。東京芸術大学音楽学部楽理科卒。88年の渡米を機に、朝日新聞、産経新聞、AERA等多くの活字メディアでの文化欄・芸術コラムの執筆を開始。また、米国社会の芸術支援に関する調査研究を、日本の各種財団・企業・地方行政局等に向けて行うと共に、シンポジウムや学会発表を通じて、日本社会に芸術支援のありかたを問い続けている。97年よりジャパン・ソサエティー(在NY)舞台公演部勤務、03年より同部長、06年より舞台部門と映画部門を統括する芸術監督に就任。主な著書に、『ニューヨーク:芸術家と共存する街』(丸善ライブラリー新書/98年)『なぜ、企業はメセナをするのか?』(共著、企業メセナ協議会/01年)など。

日本のアート

そのような社会的変化にともなって、日本から生まれてくる芸術にも変化は出てきたのでしょうか。ニューヨーク化しつつある社会の中で、日本らしさが薄まってきているということはないのでしょうか...。「そういう傾向は確かにあるかもしれませんが、それでもどうしても残ってしまう日本菌というものは、確実にあります」と塩谷さん。同じ'日本菌'を持つ作品にも、菌を意識して作った作品と、無意識のうちに菌が現れているような作品とがありますが、塩谷さんが選ばれるのは、圧倒的に後者とのこと。「意図的な日本菌は臭いますから」と。残念ながらアメリカ人にはその見分けはつきにくいそうですが、「だからこそ、今日の日本でしか生まれないような作品を発掘し、提示していく必要があるのです。」来年辺り、その無意識的な日本菌に焦点を当てるべく、ヨーロッパ特集を計画されているという塩谷さん。ヨーロッパで活動しているインターナショナルな日系カンパニーの公演を集めて、それでもどうしても現れてくる'日本らしさ'を、シリーズ全体から浮かび上がらせたい、とおっしゃいます。

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日本菌とは

それにしても'日本菌'...すごい言葉です...。ではその日本菌とは、一言で言うと...「うーーーん、何かが好きだとして、それを全面に出して主張しなくても平気でいられる思考サイクルのこと...!」自分の意思を通せなくても、周りと協調できるならそれでいい、と流せる考え方そのもの...。狭い島国でこその国民性かもしれません。自由で開放的なニューヨークにいると、そういう菌でいっぱいの日本に帰るのは、ちょっと窮屈な気がします、と私が申し上げたところ、「大丈夫。日本菌は、ある一定量を超えてしまえば、自分が菌に感染している意識もなくなるような良性のものだから」と塩谷さん。「時々日本に帰ると、ここはぬるま湯だなぁと私も思います。でもそのぬるま湯があるからこそ、常に戦いが求められるここニューヨークでやっていけるんです。今ではむしろ、日本菌にまみれられるというポテンシャルを持っていること自体が、私自身のアイデンティティかもしれません。ただ健康なうちは、やっぱりぬるま湯ではなく、厳しい世界で勝負していきたいですね。」インタビュー後にご招待いただいた、ジャパン・ソサエティー主催公演「KIOSK」。色々な意味で、塩谷さんの哲学が手に取るように分かる素晴らしい舞台公演でしたが、ご自身は「もっとお客さん呼ばなければ!!!」と...。実際に戦っていらっしゃるそのお姿に、改めて感動しました。

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例えば国際コンクールなどで、私たち日本人演奏家について昔から評される言葉に、「流暢に弾くけど主張がない」、「テクニックは最高だけど音楽性が...」など、自己主張の欠如に対する指摘がよくあります。まさにそれこそが、演奏家版「日本菌」ではないでしょうか。日本にどっぷり浸かっていると気付きにくいこの「日本菌」...。ただ「流暢さ」や「テクニック」は、この「日本菌」ならではの産物かもしれませんし、尊重すべき部分もあるでしょう。でももう一歩上を目指すならば、やはり強い意志や自己主張が大切になってくる気がします。「'私'はどう感じるのか?」「'あなた'はどう表現したいのか?」...。日々の練習やレッスンにおいて、このような問いかけが日常的に行われる必要性を、私は強く感じます。そしてもしかしたらこのような問いかけこそが、音楽をやる醍醐味なのでは...、という気さえ今はしています。