ピティナ調査・研究

大人のためのJAPAN3:伊福部昭『日本組曲』(1930's「ザ・ジャパン」)

ピアノ曲 MADE IN JAPAN

滝廉太郎『メヌエット』に始まり、山田耕筰『夜の詩曲』と続いた連載も、今回で3回目。今日は、これまでの曲とは随分雰囲気の違う曲をご紹介します。伊福部昭作曲「盆踊り」(『日本組曲』より)です。

伊福部昭作曲 日本組曲より「盆踊り」(3分53秒)

「これぞ日本」
写真盆踊り

いかがですか?思わず踊り出したくなるような音楽ではありませんか?祭の夜の浮世離れした気分がよみがえってくる、そんな気がします。ヨーロッパの影響色濃いこれまでの作品とは打って変わって、この作品には"これぞ日本"という雰囲気が感じられます。伊福部昭は、ご存知の通り、映画「ゴジラ」の音楽を作った作曲家。惜しくもこの2月に亡くなりましたが、映画音楽を中心に膨大な数の作品を残しました。彼の唯一のピアノ独奏曲が、この『日本組曲(1.盆踊 2.七夕 3.演伶 4.佞武多)』。1933年、19歳のときの作品です。

「アンチ山田派登場」

ドイツ帰りの山田耕筰がリードしてきたそれまでの日本音楽界。ですがこの「盆踊り」の頃になると、若い作曲家たちによるアンチ山田派の様々なグループが出来ていきます。海外へ留学する作曲家が増えたこと、またその行き先がドイツのみならずフランスやその他の国にも広がったこと、さらにラジオやレコード、雑誌を通して情報源が豊かになったこと等が、音楽に対する価値観を多様化させ、様々なグループの登場を招いたと考えられます。

「目指すは脱西洋」

アンチ山田派のグループの一つ「スルヤ」の諸井三郎は、次のように述べています。「現在日本にある音楽の大部分は、外国音楽の模倣か、童謡・民謡の類である。吾等は模倣と伝統とを止揚しなければならない。」(音楽之友社:「日本の作曲20世紀」参照)他にも「新音楽連盟」(伊福部昭、早坂文雄ら)や、「新興作曲家連盟」(=現・日本現代音楽協会、箕作秋吉清瀬保二松平頼則ら)など様々なグループが出来ていましたが、西洋の模倣を脱し独自の新しい音楽を目指す、という意識は一致していました。

「目指すは脱西洋」

西洋音楽輸入約50年。日本の作曲界は、西洋の模倣を脱し日本ならではの創作へと乗り出そうとしていました。「盆踊り」も、その流れの中でこそ作られた音楽と言えましょう。しかし、折しも時代は第二次世界大戦。作曲界の内的欲求とは別に、政治的要請により軍歌や国粋主義的作品が多く書かれるようになります。そして敗戦。「これぞ日本」的音楽は戦争の記憶と相まって避けられるようになっていきます。その意味で「盆踊り」のような作品は、この時代にこそ生まれ得た貴重な音楽であり、「ザ・ジャパン」的音楽として現在でも特に外国人に喜ばれているというのは興味深い事実でしょう。


次回は少し目先を変えて、特別企画、「子どものためのピアノ曲MADE IN JAPAN」を特集したいと思います。こうご期待!

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