大人のためのJAPAN2:山田耕筰『スクリャービンに捧ぐる曲』(1910's「ヨーロッパを体感!」)
前回連載から早1ヶ月。8月から9月にかけての日本の季節の変化は、1年で一番大きい気がします。真夏の日差しから秋の風へ。時間は確実に流れているのですね。さて、今回の主役は山田耕筰。『赤とんぼ』や『この道』など歌曲で有名な作曲家です。彼が60曲以上のピアノ曲を残していたことを、みなさんご存知でしたか?
山田耕筰(1886~1965)は滝廉太郎(1879~1903)の7歳年下。滝と同じく、東京音楽学校卒業後ドイツに留学しました。病に倒れた滝はライプツィヒでの留学生活を実質2ヶ月ほどしか過ごせませんでしたが、山田は3年間のベルリン生活を謳歌します。現ベルリン芸術大学にてヴォルフに作曲を師事し、日本人として初めて交響曲(『かちどきと平和』)を書くなど勉学に勤しむ一方、同時代の刺激溢れるヨーロッパ音楽をその耳で直に体験し、大きな影響を受けました。
山田が留学したのは約100年前。当時のヨーロッパでは、マーラーやリヒャルト・シュトラウスら後期ロマン派、そしてドビュッシーやラヴェルなど印象派が活躍し、傍らバルトークやコダーイが民謡採集を始め、またストラヴィンスキーやシェーンベルクが過激な音楽を試みていました。今回アップした「年表」にも、その様子がご覧いただけます。山田はこれら当時の前衛音楽を生で聴き、様々な芸術体験を重ねる中で、大きな刺激と広い視野を得ていきました。
本場ヨーロッパの音楽をいかに日本的なものと融合させていくか。新たな課題を胸に帰国した山田は、猛烈な勢いでピアノ曲を書き始めます。そのほとんどは「ポエム」と称される実験的小品で、『春の夜の夢』『月光に悼さして』など叙情的な題名が付けられました。今回の音源「夜の詩曲」(『スクリャービンに捧ぐる曲』より)もその一つです。ドイツからの帰り道、ロシアで聴いたスクリャービンのピアノ曲へ想いを馳せて書かれたこの曲には、絶妙な「響き」と独特の「間」が共存しているように感じられます。
山田耕筰『スクリャービンに捧ぐる曲』より
第1曲「夜の詩曲」
山田のピアノ曲の多くには、作曲者自身による詩的な解説文が付けられています。例えば先の「夜の詩曲」には、「夜の静けさと、その深くに燃ゆる情熱と、その呻きと、また消えてゆく悲しみと、その奥にただよふ祈りの心」(音楽之友社「山田耕筰全集」参照)。他にも例えば『みのりの涙』や『牧場の静夜』には、詩や演劇を彷彿とさせるような情景描写が付されています。このような言葉と音楽との結びつきは、後に日本歌曲やオペラへと発展し、山田の創作の中心を成すようになります。
今回の山田耕筰「夜の詩曲」(1917)と、前回の滝廉太郎『メヌエット』(1901)。雰囲気が随分異なるこの2つの作品には、同時代のヨーロッパを存分に体感した山田と、それを果たせず逝った滝との違いが現れているのかもしれません。日本の作曲界は、山田耕筰を通して西洋音楽の現代を認識し、世界を舞台にした創作のスタート地点に立ちました。この後、どのようなピアノ曲が生まれてくるのでしょうか。続きはまた来月、お楽しみに!