インタビュー:第1回 三善晃さん
「ピアノ曲MADE IN JAPAN」は、多くが現代に生きる作曲家の作品です。「インタビュー!」ページでは、作曲家の方々へのインタビューを通して、その肉声を皆さまにお届けしたいと思います。
第1回は、日本を代表する作曲家・三善晃さん。ロングセラー「海の日記帳(子どものピアノ小品集)」で、そのお名前を記憶されている方も多いと思います。近年では、初心者からのピアノ教本「Miyoshiピアノメソード」の開発や、「三善晃ピアノコンクール」の開催など、教育の分野にも益々力を注いでいらっしゃる三善さん。その三善さんに、ピアノやピアノ教育への想い、またご自身の作曲意識や作曲風景など、様々なお話を伺いました。
(筆者)先生は「Miyoshiピアノメソード」の序文で、「ひとつの音からでも音楽がうまれる」と書かれていますが、そのことについてご自身のピアノ学習経験に照らして詳しく教えてください。
(三善さん)同じ一つのC(ド)がCEG(ドミソ)、ACE(ラドミ)、FAC(ファラド)、そしてCEsG(ド♭ミソ)、AsCEs(♭ラド♭ミ)、FAsC(ファ♭ラド)のC(ド)でもあるなんて!その度に、世界が変わる、世界の色が変わる!感触が、感情が、物語が、仕掛けが。それに一つ一つ自分で気付くこと。どこにも書いていなく、誰も教えてくれないこと。大袈裟に言えば、世界の秘密を自分で発見すること。その手掛かり、聴かせてあげたかったんです。
子どものための作品を作られる際、子どものどのような部分を育みたいと考えていらっしゃいますか。
驚き、目を見張り、嬉しがり、泣きべそかき、得意がり、しょげる能力。そんな、予定調和しない、規則に囚われない、自由な想像力。
様々な楽器を使われる中で、ピアノという楽器について感じていらっしゃることはございますか。
すごく感性豊かで扱いにくく、敏感なともだち。頼りになるが、甘えてはいけない。ほんとの姿は上品。
先生の創作の現場について、ざっくばらんに教えてください。
大みそかの夜中、ピアノ即興が作曲に変じたこともある。朝4時に子守唄で泣いたこともある。満員電車で立ったまま校歌を仕上げたこともある。一つの曲に十年以上かかったこともしばしば。
クラシックピアノ曲のレパートリーが数多く存在する中、新しい作品を生み出される際、現代に生きる日本人として意識されていることはございますか。
私は私にしかなれない。その私は日本人。日本人は人類。人類はグローバル。グローバルであることはローカルであることから。だから、まず私は現代日本人たることを意識します。ドビュッシーがフランス人を意識したように。
一般的に、現代の作品=難しいというイメージが先行しがちに思われますが、何かメッセージはございますか。
いつの時代も「現代」だった。同じように難しく、同じように優しかった。イマという「現代」、それはどんな難しさ、どんな優しさをもっているのだろう?それをみんなで考え、凝視め、感じて、共時代人として共感しよう。
日本のピアノ学習者やピアニストが、日本のピアノ作品を学び演奏することについて、どのようにお考えですか。
当たり前。だけど、外国人の方が深いこともある。油断禁物。
筆者は、子どもの頃に弾いた三善さんの「海の日記帳」が大好きでした。1曲ごとに違う海の風景、そこに自分がいるかのような感覚。自分にぴったり寄り添ってくれる優しさを、子どもながらに感じていたのでしょう。今回伺った様々なお話から、その優しさの理由が垣間見れたように思います。日本人が日本の作品を演奏することに対するお答えからは、「当たり前」に弾くことの難しさを、改めて実感しました。