Vol.3 歓成院観音堂
この歓成院観音堂は伽藍に属する建物には珍しく、古来からある木造建築の様式を踏襲していない。奥に屹立する観音像の上には大きな窓の奥には山が覗く。この空間で諷経を戴く機会に恵まれたことがある。ここは寺院であるから称揚と説明すべきであるかどうか私は知らない。ここはコンサートホールではなく仏の空間である。人の人生の始まりと終わりがあり、ここで人々は来世への想いを馳せ現世への憂いや慈しみを喰む。空間の残響は長い。荘厳な音が木霊する。一才の虚飾がざらりと洗い流される真実のための場である。 演奏には始まりがあり終わりがある。ジャズの場合はいつ始まっていつ終わるかは演奏者次第である。クラシックには作曲者が決めた始まりと終わりがある。経典はそのどちらでもあるのだと思う。本日は三つのクラシックがプログラムに入り込んでいた。ショパンの幻想即興曲とベートーヴェンの悲愴それからRINAオリジナルのプレリュード。当然のことながらベートーヴェンやショパンの時代には音楽配信がなかった。すべてライブである。作曲者は演奏者であり、演奏者は作曲者であった。それぞれの曲には幾つものバージョンがある。作曲者の気が変わるからである。クラシックには決められた始まりと終わりがあるというのは嘘である。作者が故人となって久しいから固定したのであって、元々は自由であったのだと思う。全ての音楽は生まれた時はジャズであったのだと思う。その時代を映し常に先端を目指す。それがアーティストである。 本日のタイトルはIn five notesである。和の五音音階のことであるという。ピアノは決められた音階の弦をハンマーで叩く楽器である。無音階の演奏はできない。だからピアノは数学のように定理がある。その一方で定理があるが故に達することができる高みがある。仏教の教えも一つの定理である。仏教とクラシックとジャズ。三つが時空を超えてつながった瞬間が生まれた。
文 手塚貴晴(建築家 東京都市大学教授)
歓成院観音堂
〒222-0037 神奈川県横浜市港北区大倉山2丁目8番7号