番外編 ジョルジュ・サンドの館
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1839年から1846年にかけての夏
ジョルジュ・サンドの館はパリから270キロメートルほど南下したフランス中部、ベリー地方の Indre 県に現存する、サンドが少女時代を過ごした父方の実家です。ショパンは1839年からサンドと別れる1846年まで、7回の夏をこのノアンの館で過ごし、豊かな自然の中でサンドの愛情に包まれ、全体の3分の2に及ぶ作品を残しました。ノアンの館はショパンにとって、社交界での複雑な人間関係から解放される一種の安全地帯であり、パリの喧騒を離れて作曲に没頭できる創造のアトリエでした。ショパンの芸術はこの館で昇華されたといっても過言ではないでしょう。ショパンと共に、サンドはこの館に時を代表するさまざまな芸術家や文化人を迎え、親交を深めていきました。
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7 PL Sainte Anne
36400 Nohant-Vic
11世紀から12 世紀にかけて建てられた、ノアンの館前に位置するロマネスク様式の小さな教会。 11世紀に作られた八角柱の柱頭は12世紀に作られたもの。身廊と翼廊の交差部分に聖歌隊が置かれ、教会の後部端に置かれる屋根組みの壁や聖歌隊の入口には壁画の跡が残る。1943年9月2日に歴史的建造物として登録。2011年10月から改修工事が始まり、2012年7月に教会外観の改修が完了している。

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ショパンとサンドの親しい友人であったドラクロワは、1842年にサンドの館に初めて招かれた際、この小さな教会の傍らで見かけた、サンド家に仕えていた農婦とその娘をモデルに、聖母マリアの母アンナがマリアに旧約聖書の読み方を教えている場面を描いた。キャンバスはサンドがコルセットに使う糸で、絵の具はパリから取り寄せて作成。深い緑を基調とした夜想曲のような油彩画は《聖母の教育》と題され、現在、ドラクロワ美術館に収蔵されている。後に同じ主題で一回り小さく、犬を加えて描かれた改作は、上野公園の国立西洋美術館収蔵。
サンドの息子のモーリスによる模写が、ノアン教区教会に収蔵されている。
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36400 Nohant-Vic
Tél. : 33 / (0)2 54 31 06 04
www.maison-george-sand.fr/
開館時間は季節や状況によって異なるので、事前に確認のこと。
曜日や時刻によって予約が必要:0 800 778 621
Nohant/Vic D943で下車し、進行方向に直進。農道沿いの案内板に従って 80 メートルほど歩いたところが館前の小さな広場。
パリから車で 約 3時間半: Châteauroux まで 高速道路A20 、その後、国道D943をLa Châtre 方向へ南下。
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父親を早く失くしたジョルジュ・サンドが幼少期より祖母と暮らし、72 歳で没するまで生涯の大半を過ごした館。ショパンをはじめ、リスト、デュマ、ドラクロワ、フロベール等が常連として招かれ、生活を共にしながらさらなる友情を育んだ。ショパンが親しい友人たちと過ごした至福の日々は、ショパンに心身の休養と創作意欲を齎し、数多くの傑作を生み出す。サンドはショパンとの別離後、ピアノをはじめ、彼に関わる殆どの物を整理してしまった為、館内でのショパンの面影は稀薄だが、外観や庭からショパンが滞在した当時の様子を偲ぶことは充分に可能。

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台所。中央に構えているニレの木のテーブルの存在感が圧倒的。厚みのあるこの大テーブルは、時にまな板としても使われていたらしい。この館で働く約 10 人の使用人は、この台所で食事をし、上階の彼らの部屋へと続く階段も当時のまま。地元の職人による、食品を収納するオーク材の棚は、どこまでもシンプルで力強く田舎風。
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壁際にはぴかぴかに磨かれた大小の銅鍋がかかり、棚の上にはサンド自らが使ったジャム用の平鍋、ショパンが好んだとショコラをつくるためのポットが残っている。
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台所の鉄竈。当時としては画期的な、煙突を通して蒸気を排出させるオーブンも備えていた

扉の上には連絡のために使用されていた、各部屋に繋がる鈴が取り付けられている
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サンドが館に招いた多くの友人・知人をもてなしたダイニングルーム。バルザックやデュマ、フロベール等、時を代表する文豪や芸術家が訪れた。
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サンド家愛用の食器類によるテーブル・セッティング。苺ベリー柄のお皿が可愛らしい。色のついたグラスはショパンからの贈り物。サンドの席にはジョルジュ・サンドのネームカードが。
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調度品のひとつひとつにサンド家のセンスが光る
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サンド家の肖像画に囲まれたサロン。白樺のテーブルでゲームや読書、音楽などを鑑賞しながら夜の集いを楽しんだ

サロンに置かれているピアノ
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1837年から1839年にかけて制作された、オーギュスト・シャルパンティエ (1813-1880)による サンドの肖像画の模写。本物はパリのロマンチック美術館に展示されている。
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祖母の寝室だった部屋。モーリスとソランジュの幼少期には子供部屋として使われていた
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音楽の間。ルイ16世時代の寄木細工の家具はサンドが祖母から譲り受けたもの
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ショパンの部屋へと続く階段
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二つに仕切られたかつてのショパンの部屋。 サンドはショパンに別れを告げた後、ショパンの身の回りの品を全て処分し、彼の部屋を2つに分割してひとつを仕事部屋にしていた。入口の防音扉がショパンの滞在を偲ばせる。
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映写機の有る、かつてショパンが暮らした部屋の一部

晩年、サンドの寝室となっていた青の間。サンドはこの部屋で息を引きとる。壁紙から天蓋つきのベッドやカーテンまで、青いモチーフで統一された美しい部屋。
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サンドの孫娘、オーロールが寝室として使っていたシノワズリ(東洋風装飾スタイル)の部屋。
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ショパンも演じた(?)館内の小劇場
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サンドの息子、モーリス製作の人形によるマリオネット劇場
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庭から見た館。窓が開いているのがショパンの部屋
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中庭
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ショパンの部屋からの眺め
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裏庭の鳥小屋
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庭の散歩道
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庭の菜園
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サンド家の墓地の見取り図。館の敷地内に小さく囲われたサンド家の墓地が有り、G.サンドと家族が埋葬されている。
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G.サンドの墓
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クレサンジェが制作したジュルジュ・サンドの像
毎年、夏期にピアノ・フェスティヴァルが開催されている。
詳細はこちら
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36400 Nohant Vic
TEL : +33 02 54 31 01 48
FAX : +33 02 54 31 10 19
宿泊料金:75E~160E
ジョルジュ・サンドが 1849 年に発表した田園小説のタイトルを冠したノアンの館のはす向かいに位置するホテル。
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入口に提示されたランチの種類と料金。ショパン・メニューは35ユーロ。
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ホテル内のレストラン
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愛らしいテーブル・セッティング
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ショパン・メニューのアミューズ・ブーシュ(突き出し)
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前菜のホタテ貝のグリルに青豆と野菜の付け合わせ
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メインはノアン名物チキンのバルブイユ風、または白身魚のアニス風味グリル、コリアンダーと人参添え
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ベリー地方のチーズワゴン
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バニラアイスクリーム添えの林檎のタタン
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ホテル内部
男装して葉巻をくゆらせ、子育ての傍ら次々と問題作を発表して世間の物議を醸し出し、妻であり、母である自らの立場を解放しながら恋愛遍歴を重ねたジョルジュ・サンド。ショパンをはじめ、ペンネームのきっかけとなったジャーナリストのジュール・サンド、作家のメリメ、詩人のミュッセと交際を重ねた彼女は、19 世紀前半のヨーロッパにおける、経済的にも精神的にも自立した女性のパイオニア的存在でした。その作品はロシアやイギリスでも愛読され、彼女の行き方を象徴するジョルジュ・サンディズムという言葉さえ生み出します。
サンドはノアンの自然の中で、ショパンに愛情のみならず栄養と休息を与え、作曲に専念できる環境を整えました。彼女の母性溢れる行き届いたサポートがなかったら、ショパンの不朽の名作は生まれなかったでしょう。芸術家として最も輝かしい時期を共に過ごした二人でしたが、実の娘でありながらサンドと折り合いの悪かった娘のソランジュを廻って次第に対立し、1847 年には苦い別離を迎えます・・・
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ロマンチック美術館蔵。
サンドとオーギュスト・シャルパンティエAuguste Charpentier(1813-1880)による合作。
サンドのノアンの別宅を訪れた友人たちを描いた扇。
向かって左から画家のカラマッタ(蛇)、モーリス・サンド、中央でサンドに膝まずいているのがリスト、サンドの手にしている鳥は頭がショパンになっている。その右側には元愛人のフェリシテ・マルフィーユ、その手前にライオン姿のサンドの娘、ソランジュ。
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作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。
クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。
ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。