モンソー公園
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入園門:boulevard de Courcelles, avenue Vélasquez, avenue Van Dyck, avenue Ruysdaël
M② Monceau
開園時間 : 冬期 7:00~20:00、夏期 7:00~22:00
www.paris.fr/equipements/parc-monceau-1804
www.parisinfo.com/musee-monument-paris/71356/Parc-Monceau
ピアノを弾くショパンの白く美しい彫像で、ショパン・ファンにはおなじみのモンソー公園。凱旋門のあるエトワール広場から地下鉄で3駅、閑静な高級住宅街に位置する。8ヘクタールほどの英国風観賞用庭園。シャルトル公爵、後のフイリップ平等公こと、オルレアン公ルイ・フィリップ2世(1747-1793)が私邸の為に購入し、1773年から1779年にかけて造園。ピラミッドやパゴダ、オランダの風車など、フォリー(装飾用建物)の配置によって独自の理想郷を演出した。大革命時に接収され、1793年に国営化された後、フランス復古王政を経て再びオルレアン家の所有となり、1860年にパリ市が庭園を買収。その一部は新興住宅地建設のため、ユダヤ系資産家・ペレール兄弟Frères Pereireに売却された。周辺には大使館や美術館、高級ホテルが軒を連ね、通りにはベラスケス、レンブラント、ヴァン・ダイク等、17世紀の巨匠の名が付けられている。公園入口のロトンド(ドーム付き円形建物)は、フランス革命期の建築家クロード・ニコラ・ルドゥー Claude-Nicolas Ledoux(1736-1806)による関税徴収所。楕円形の池 Naumachieを囲んでいるコロネード(コリント式の列柱)は1559 年に逝去したアンリ2世への追悼を込めて、妻のカトリーヌ・ド・メディシスがサン=ドニ大聖堂に隣接していたヴァロワ家の埋葬堂、ノートルダム・ド・ラ・ロトンド(ノートルダム・ラ・ブランシュ)に建て加えた記念碑。1719年に破壊されたものが回収され、池の周りに配された。その近くには1871年5月、パリ・コミューンの際に焼失した旧パリ市庁舎のルネサンス式アーケードの一部が設置されている。園内にはフランスを代表する作家ギ・ド・モーパッサンやアルフレッド・ミュッセの彫像があり、モーパッサンを崇拝していた永井荷風も横浜正金銀行リヨン支店員として渡仏した1907(明治40)年に此処を訪れている。また、1786年に徳川家治によって造られ、上野の寛永寺に置かれていた石灯篭が1982年にパリと東京の間で結ばれた友好協定の証としてこの公園内に移送された。
ジャン=ジャック・ルソーが植物採取に訪れ、『失われた時を求めて』で知られるフランス作家マルセル・プルーストが毎週木曜日に散歩した公園としても有名。
徒歩圏内には18世紀の家具やタペストリー、美術工芸品を展示したニシム・ド・カモンド美術館 Musée Nissim de Camondo、東洋美術のコレクションで有名なチェルヌスキ美術館 Musée Cernuschiが有る。
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シャルトル館。
公園入口に立つ、16本の柱の柱廊に囲まれた古典的なドーリア式神殿の円形搭。かつてのパリは密輸防止のため城壁に囲まれ、所々に税金徴収所が設置されていた。このロトンドもその一環として1787年に建てられ、1 階は税関、2 階は公爵専用の庭園を臨む住まいとして機能していた。現在は公園の管理事務所。
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ノマシ― Naumachieと名付けられた楕円形の池。
古代ローマの円形闘技場に水を張り、歴史上の有名な海戦を再現したナウマキア (naumachia) と呼ばれる興行の水盤を模したもの。
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コロネード(コリント式の列柱)。
カトリーヌ・ド・メディシスが亡くなった夫、アンリ2世の為に創らせたメモリアル・モニュメントの遺構。
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パリ・コミューンで倒壊した旧パリ市庁舎のルネサンス式アーケードの名残り。
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古代エジプト様式のミニチュア・ピラミッドはシャルトル公によって造園当初(1778)から置かれていた貴重な建物。
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<ピアノを弾くショパンと彼のミューズ Chopin au piano et sa muse>(1906)
ジャック・フロマン・ムーリス Jacques Froment-Meurice (1864-1948) 作。
ハーモニーと夜の寓話的空間の中で、ピアノに向かって葬送行進曲を演奏するショパンと傍らの嘆きのミューズ、上方には花を携えて飛翔している天使が描かれている。
オリジナルの石膏模型はパリのロマンチック美術館に保管されている。
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アレクサンドル・ファルギエールAlexandre Falguière (1831-1900) が着手し、アントナン・メルシエ Antonin Mercié(1845―1916)が完成させたアルフレッド・ド・ミュッセAlfred de Musset(1810-1857)の大理石像(1906)。
完成時にはコメディ・フランセーズの角に置かれていたが、1964年に撤去され、1981年にモンソー公園内のコンテス・ド・セギュール散歩道の西側に置かれた。
憂える詩人に苦悩と絶望こそ詩の源と説くミューズの姿は、1835年に詩われた『5月の夜』からインスピレーション得て制作された。
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ラウル・ヴェルレ Raoul Verlet(1857-1923)によるギ・ド・モーパッサンGuy de Maupassant(1850-1893)の胸像。1897年に園内に設置された。本を手にしたモニュメントの女性は、1889年に出版された小説『死の如く強し』のヒロインと、この作品に描かれた人生と運命に想いを馳せる女性読者が重ねて表現されている。
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アントナン・メルシエ Antonin Mercié(1845-1916)によって1902年に完成したシャルル・グノー Charles Gounod(1818-1893)の記念碑。
台座には楽器、胸像を囲んでいるのはグノーのオペラのヒロインたち。
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当時のパリ市長、ジャック・シラクと鈴木俊一都知事の間で結ばれた両首都の友好を祈念し、1986年に園内に移築された石灯篭。
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1797年10月22日、発明家アンドレ=ジャック・ガルヌランAndré Jacques GARNERIN (1769-1823)が史上初のパラシュート降下を庭内で成功させた事を記すプレート。
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『モンソー公園 Parc Monceau』(1876)
画家、クロード・モネ(1840–1926)によっても描かれたモンソー公園。
モネはこの公園を題材に1876年に3作品、1878年に2作品を描いている。
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作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。
クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。
ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。