ピティナ調査・研究

リュクサンブール公園

パリ発~ショパンを廻る音楽散歩2019
リュクサンブール公園
リュクサンブール公園
Jardin du Luxembourg
75006 Paris
(RER) (B) Luxembourg M④&⑩ Odéon
M⑫ Notre-Dame-des-Champs
M④ Vavin
M④ Saint-Sulpice

リュクサンブール宮殿は、フィレンツェからフランス王家に嫁いできた、アンリ4世の王妃でルイ13世の母、マリー・ド・メディチ Marie de Médicis(1575 - 1642)が、フランソワ・リュクサンブール公爵の屋敷を買い取り、イタリア風に改装した宮殿。リュクサンブール公園はこの宮殿の庭として1612年に開園。フランス大革命以降、元老院(上院)の議場がチュイルリー宮殿からリュクサンブール宮殿へと移転した為、22.45 ヘクタールの庭は元老院の所属となった。四季折々の花に彩られた園内には歴代のフランス王妃や女聖人、ショパン、ジョルジュ・サンド、ドラクロワ等の彫像、自由の女神の原型像が点在し、ロング・ポームのコートやペタンク場、チェス・テーブルの並ぶ一画も。人形劇場やポニーに騎乗しての散歩など、子供の遊び場も充実している。暖かい季節にはミニ帆船をレンタルして水に浮かべるのが大人気。世代を超えたパリ市民から "都会のオアシス" として愛されている公園。

それぞれの像の位置確認は下記のサイトで
www.senat.fr/visite/jardin/statues.html

ヴァヴァンVavin 出入口

出入口は複数あるが、ショパンの像はvavin で下車し、リュクサンブール公園に向けて伸びる Vavin 通りの突き当たりから入って、クロケット場を通り過ぎた辺りの木陰にひっそりと佇んでいる。さらに直進すると、自由の女神像。サンド像は宮殿に向かって右側の、Luxembourg 側から入って直ぐ。

Vavin口から入って看板を左に折れると、フレデリック・ショパンの胸像 (1900)がひっそりと佇む。1900 年に設置されたポール・デュボア Paul Dubois (1829-1905)作のショパン像は1942 年に盗まれ、1942年に撤去されたが、ショパン没後150年を記念して、この記念碑がポーランド政府より寄贈された。このブロンズ製のショパン像は1872年にボレスワフ・サイレウィッチBoleslaw Syrewicz(1835〜1899)によって制作された大理石像のレプリカ。オリジナルは1929年からワルシャワの国立博物館に所蔵されている。

フランスがアメリカ建国100周年を祝って1886年に寄贈したニューヨークにある自由の女神の原型(「白鳥の散歩道」に設置されている女神像はパリのアメリカ人会がお返しにフランスに贈ったもの)。
ウジェーヌ・ドラクロワの絵『民衆を導く自由の女神』とバルトルディの母親をモデルにデザインされたこのモデルは、1889年、フレデリック・オーギュスト・バルトルディ自身の発注で制作され、1900年のパリ万博に出展。その後、バルトルディはこの像をリュクサンブール美術館に収めることを望んだが果たされず、彼の死後、未亡人の提案によって1906年から2011年までの115年間、庭園に置かれた。2012年7月、像は修復のために取り外され、修復後はオルセー美術館に収蔵。現在の像はその複製である。

フランソワ=レオン・シカ―ルFrançois-Léon Sicard (1862-1934)作 サンド像。
ジョルジュ・サンド George Sand (1804-76) 生誕100周年を記念して1904年に設置されたもの。男装のイメージとはかけ離れた、フェミニンな姿が印象的。

1840年から1846年にかけてリュクサンブール宮殿 (上院) 図書室の天井画を描いたウジェ ーヌ・ドラクロワのモニュメント。
ヴィクトル・ユーゴーの義理の弟で、ドラクロワを敬愛していたオーギュスト・ヴァキュリーAuguste Vacquerie (1819 - 1895)が彫刻家のジュール・ダルー Jules Dalou (1838-1902)に依頼した作品(1884 - 1885)。
記念碑に組み込まれている天使は「時」「栄光」「天性の芸術的才能」を意味する。

Palais du Luxembourg
15 rue de Vaugirard
マリー・ド・メディシスが幼い頃過ごしたメディチ家の居城、ピッティ宮殿Palazzo Pittiを模して改装した宮殿。革命中は監獄として使用され、その後、権力を掌握したナポレオンの居住地となり、第二次世界大戦中はドイツ占領軍の空軍司令部が置かれる等、歴史的変遷を経て、現在、元老院本部。ヨーロッパ文化遺産の日 (9 月の第3土/日)に一般公開されている。
元老院議場
L'hémicycle la salle des Séances
アルフォンス・ド・ジゾルAlphonse de Gisors(1796-1866)の設計に基づき、1836年から1841年にかけて作られた会議場。小さな半円の中にはテュルゴー、コルベール、マルゼルブ等、フランスを代表する政治家や法律家の7体の像が置かれている。
ナポレオン1世の玉座(1804)
シャルグランChalgrin (1739-1811)のデザインをもとに、ヤコブ=デマルテJacob-Desmalterが金箔を施したもので、両脇には帝政様式の典型である2頭のスフィンクスが施されている。
書庫別館
マリー・ド・メディチの死後、ヨーロッパ初の絵画美術館として一般公開されたギャラリー。その後、開閉を繰り返し、美術館のヴォジラール通りに沿った棟への移転に伴い、図書室別館として再構築された。アーチ形の天井には12星座をモチーフにした天井画が美しい。
リュクサンブール美術館を訪れたルイ=フィリップ王とマリー=アメリー (1838)
Louis-Philippe et Marie-Amélie visitant le musée du Luxembourg
オーギュスト・ルー Auguste Roux 作
書庫閲覧室
ダンテの神曲をモチーフにしたドラクロワの天井画で有名な書庫。 全長65メートル、幅7メートル。19世紀には、高踏派詩人ルコント・ド・リルLeconte de Lisle (1818-1894)やアナトール・フランス Anatole France(1844-1924)らが司書として在職していた。
ドラクロワ作
『黄金の手箱に入れられたホメロスの詩を語り聞かせるアレクサンドロス大王』
ペルシャ軍との戦いの後、戦利品の黄金の箱にホメロスの詩を入れるように命じるアレキサンダー大王が描かれている(1847年完成)。
Le Petit Luxembourg
hôtel de la Présidence
17–17 bis, rue de Vaugirard
リュクサンブール宮殿の西側に隣接するフランス上院議長の公邸。右翼には執務室、スタッフ・オフィス、プライベート・ラウンジ、ダイニングルーム、マリー・ド・メディシス・チャぺルと呼ばれる美しい装飾が施された王女の礼拝堂が有り、上階は上院議長の住居になっている。サロン・ド・ボフランと呼ばれる左翼のダイニングルームとラウンジでは大規模なレセプション・パーティーが開かれる。
ルイ=フィリップ治世下では、フランスの王党派政治家で貴族院の大審判官であったドゥカズ公爵Duc Decazesが駐在し、ショパンは1836 年にここで演奏している。
元老院議長の執務室
第一執政官であったサポレオンは、1799年11月からチュイルリーに移るまで、此処を拠点にしていたと考えられている。家具の殆どは帝政時代のもの。
執務室のタペストリーはシャルル・ル・ブラン(1619 - 1690)の下絵をモチーフにゴブラン工房が製作した12枚のタペストリー「メゾン・ロワイヤル」シリーズの一枚。それぞれがルイ14世の王宮と1年の各月に行われる王の娯楽を表すが、この部屋に掛けられているのは11月のタペストリー。椅子にはボーヴェ織りが張られている。
内部の階段
王妃マリー・ド・メディチのプライベート・チャペル
1625年、マリー・ド・メディチは1617年に創設されたベネディクト派カルワリオ修道女会Fille du Calvaireの尼僧院をプチ・リュクサンブールの近くに設置。王妃のプライベート・チャペルとこの院のチャペルは連絡通路で結ばれていたが、教会と修道院は1844年に破壊された。現在のチャペルはアルフォンス・ド・ジゾルが翌年の1845年から1854 年にかけて、装飾をネオ・バロック様式に改装し、旧教会通路の一角に再現したもの。
葉やリボンの花輪で豪華に装飾された丸天井の中央には、ピエール・ブリッセPierre Brisset(1810-1880)による「聖母被昇天」(1854)。
サロン・ド・ボフラン階段ホール天井画。
H.ベルトー Berteaux(1894)作。
ジェルマン・ボフランGermain Boffrand (1667-1754)は当時の宮殿所有者コンデ公アンリ3世の逝去に伴い、未亡人となったアンヌ・ド・バヴィエール公妃 Anne de Bavière (1648 -1723)に宮殿の近代化と再設計を委託され、中庭に荘厳な階段とそれに続く美しいサロンを造った。
エリー・ルイ・ドゥカズ
Élie Louis Decazes (1780-1860)
フランスの王党派政治家、実業家。
フランス復古王政期の首相(1819年11月-1820年2月)。
ドゥカズ伯爵から昇爵した初代ドゥカズ公爵。
ルイ18世の信頼を得て政界で頭角を現す。七月王政下では1834年9月に貴族院(フランス上院議会) の大審判官に任命され、会議室や図書館の拡張、庭園内の整備等、数多くの改良が彼の就任中に進められた。1848年の二月革命を機に引退。後年は実業家として活躍し、園芸や農業協会にも積極的に貢献した。
プチ・リュクサンブールの中庭
リュクサンブール美術館
Musée du Luxembourg
19, rue de Vaugirard 75006 Paris
Tél. : 01 40 13 62 00
1750年10月14日、リュクサンブール宮殿の東棟内にフランス初の公開美術館としてオープン。1793年にルーヴル美術館が創設される前身となった、当初は、ルーベンス、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、ヴァン・ダイク、レンブラントといった王室コレクションを展示していたが、1818 年、ルイ 18 世に統治下の王政復古期に、ダヴィッド、アングル、ドラクロワといった、生存する芸術家専用の展示場となった。その後、宮殿と庭園の管理が元老院に移り、現在の建物は 1884 年から 1886 年にかけて造られたもの。 2010年より再び Réunion des Musées Nationaux 国立美術館協会の舵取りになり、現在、特別展専用の美術館として利用されている。
アンリ・ルソーHenri Julien Félix Rousseau(1844~1910)
《リュクサンブール公園、ショパン記念碑》
Jardins du Luxembourg. Monument à Chopin(1909)
エルミタージュ美術館
オデオン座
Théâtre de l'Europe
Théâtre de l'Odéon
Place de l'Odéon
75006 Paris
+33 1 44 85 40 40
M④ & ⑩ Odéon
(RER)(B)Luxembourg
リュクサンブール庭園北に隣接する、新古典主義建築の国立劇場。
1782 年 4 月、王立劇団コメディ・フランセーズの劇場として、ルイ16 世の王妃マリー・アントワネット臨席のもとに開場。長らくコメディ・フランセーズのセカンド劇場として使用されたが、1900年にコメディ・フランセーズから離れ、現在は既存の演目の上演と諸外国の劇団や演出家による公演を両立させる、約1000 席のヨーロッパ劇場 Théâtre de l'Europe となっている。1844 年 4 月、ショパンはサンドと共にこの劇場を訪れ、ソポクレスSophocleの『アンティゴネ』Antigoneを観劇している。
フレデリック・フランソワ・ショパン Frédéric François Chopin (1810-1849)

作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。

クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。

ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。