ピティナ調査・研究

第9章-2 ピアノ・レッスンの普及

パリ発~ショパンを廻る音楽散歩2019
第9章-2
ピアノ・レッスンの普及

社会の変動と共に、上流階級の特権的存在であった音楽は、徐々に都会に住む中産階級のゆとりある生活に欠かせない楽しみのひとつとして浸透していきます。娯楽の限られていた時代において、一台でオーケストラに匹敵する広い音域と音色を合わせ持つピアノは、ロマン主義の時代が要求する多様な表現が可能な唯一の楽器として庶民の人気を集め、ピアノは居間に寛(くつろ)ぎを齎(もたら)す裕福で幸せな家庭の象徴となりました。こうした音楽の大衆化はアマチュア階層が広く形成されていくことをも意味します。ピアノ・レッスンはそれまでの専門家を養成する目的や貴族の子女が教養の一部として嗜(たしな)むものから、一般市民がピアノ演奏に親しむ為の手解きとなる要素が加わり、レッスンの報酬は音楽家が自立していく上での貴重な収入源となりました。市民生活におけるピアノの普及をきっかけに、音楽家の生き方はそれまでの依存的な立場から、経済的に自立した、一個のアーチストとして公に芸術的評価を問う方向へと変化していきます。

「プレリュード」journal des femmes誌に掲載されたリトグラフ(1830)
ファミリ-・コンサート(Eugene Lami画)

ショパンも、パリに着いてまもなく後進の指導にあたります。他のヴィルトウオーゾたちのように頻繁に公に演奏しなかったショパンにとって、定期的に収入を得られるパリでのレッスンは異国での生活を維持していく為の大切な経済的基盤となりました。20フランという当時としては破格の高額なレッスン料にもかかわらず、たくさんの良家の淑女やピアニストの卵がショパンのレッスンを希望していた事実は、パリでのショパンが演奏においてのみならず、教えるという点でも注目されていたことを示しています。さらに、モシュレス、エルツ、カルクブレンナー等、パリ音楽院で指導にあたっていた最高の教授陣たちがショパンの曲を教材として使い始めていました。

ショパンは一日数時間、ひとり45分から数時間レッスンしたと言われています。指の訓練だけで3時間!と主張していたリストに対し、ショパンは日頃、弟子たちに練習しすぎないようにといつも助言していました。練習は指の訓練、練習曲、レパートリーとなる曲を含めて一日3時間で十分と教えています。必要なのは想像力と集中力で、大切なのは自分の出した音に耳を傾けること、それが筋肉の動きとリラックスを生むと考え、自分が聴きたいように演奏するようにといつも生徒に繰り返していました。

未完に終わりましたが、ショパンが1840年代に書き溜めた*『ピアノ奏法』の草稿には興味深い記述がたくさんあります。ショパンは演奏のメカニズムとは自然な手の形に根ざし、手は内側にも外側にも向けずに白鍵の高さにおき、指を親指から順番にミ、ファ#、ソ#、ラ#、シに置くと手が丸くなって柔軟性が得られると書いています。彼は力を入れことなく多くの音色を得るというのが大切で、その基本がこの手の形にあると考えていました。また、手首を緊張させないのはもちろんですが、体を傾けることなく鍵盤の両端に手を伸ばせる位置に座ることも重要だと主張しています。演奏の訓練は鍵盤に手をおいて、前述の「白鍵の高さにおいた」無理のない丸めた手の形でするように、としています。そして、5本の指はそれぞれ異なるのだから、それぞれの指に固有のタッチの可能性を探ることが大切で、効果的な運指法は美しいニュアンスのある演奏に繋がると考えました。

*『ピアノ奏法』(1840-1849)La méthode du piano
ショパン自筆の草稿

ショパンが周囲に促されて1840年代に執筆し初めた未完の著書。ショパンの死後、この草稿は姉のルドウィカが管理し、彼女はこれを写稿して手元に残し、オリジナルをチャルトルィスカ公爵夫人に献呈。1896年、公爵家から譲り受けた女流ピアニストのナタリア・ヤノタによってその一部がクレチヌスキ著ショパンの主な作品Chopin's Greater Works の序文に初公開された。1936年にこの草稿を購入したアルフレッド・コルトーも自著『ショパン』Aspects de Chopinの中でほぼ全文を紹介している。この草稿に関するさまざまな資料を精査・解析したショパン研究家のジャン=ジャック エーゲルディンゲルの考察を加えたEsquisses pour une méthode de pianoが近年、ヨーロッパで出版されたことも記憶に新しい。

このことから、ショパンが技術的な要素と音楽スタイルは密接に関係すると思っていたことが伺い知れます。そして、その考えの下に作られたのがショパンの練習曲集でした。彼の練習曲は指の訓練に役立つばかりか、ひとつひとつが芸術としての価値が十分にある作品です。ショパンはピアノの演奏に必要な運指法、フレージング、デュナーミク、リズム、さらには演奏に不可欠な微妙な音楽的ニュアンスに至るまでのさまざまな要素をこの曲集に集めることに成功しました・・・

フレデリック・フランソワ・ショパン Frédéric François Chopin (1810-1849)

作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。

クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。

ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。