第4章-1 ショセ・ダンタン 38番地
M⑦⑨ Chaussee d'Antin La Fayette
1836年9月~1839年9月
ヤン・マトゥシンスキとショパンの共同生活は 1836年にヤンがフランス女性のクロチルド・ボケ嬢と結婚するまで続き、挙式はサントノレ通りの聖ロック教会で行われ、ショパンも立会人の一人として参列しました。ショパンはこれを機に、1835年の夏に再会し、当時、非公式ながら結婚の約束を交わしていたワルシャワ時代の旧友の妹、ヴォジンスキ家のマリアとの結婚に備えて、ショセ・ダンタン通りの 5 番地から 38 番地のさらに豪奢なアパルトマンに移ります。そして、2部屋で3カ月425フランという破格の家賃を支払いながら、リストやマリー・ダグー伯爵夫人らと自宅に親しい友人たちを招き、度々、内輪の音楽会を開きます。新居への招待客のひとりには、ジュルジュ・サンドの姿もありました・・・
Maria Wodzińska (1819 – 1896)
ショパンのワルシャワ時代の学友の家族であった旧知のポーランド貴族、ヴォジンスキ伯爵 家の長女。 ワルシャワ蜂起の後、家族とジュネーヴに移り住み、ワルシャワを発ったショパンとは一時 期音信が途絶えていたが、 避暑地で再会。美しく成長した 16 歳のマリアにすっかり心を奪 われたショパンは真剣に結婚を考えるようになり、翌年、正式に結婚を申し込む。しかし、シ ョパンの昼夜逆転した生活や家柄、虚弱な体質を理由にこの婚約は一方的に破棄さ れ、傷心 のショパン彼は彼女からの手紙をリボンで束ねて"我が哀しみ"と記し、生涯手放さず にいた。その後、マリ アはショパンの代父の息子、ユーゼフ・スカルベック伯爵と結婚す るが、この結婚生活は 5年で解消され、2年後に小作人のウワディスワフ・オルピシェフス キと再婚してフィレンツェに転居。幸福な生涯を終える。
Eglise St Roch
296 Rue Saint Honoré
75001 Paris
M⑦⑭Pyramides
TEL +33 (0)1 42 44 13 20
FAX +33 (0)1 45 26 76 11
8時30分~19時
1836年12月21日にルーム・メイトであったヤン・マトゥシンスキ、1846年11月28日にポーランドの詩人ザレスキと ショパンの弟子であったゾフィア・ローゼンガルトが結婚式を挙げ、ショパンも立会人のひとりとして参列した教会。二つの結婚式の婚礼証明書には証人として立ち会ったショパン直筆のサインが今も保管されている。
聖ロックはイタリアでペスト患者を助けたと伝えられる14世紀の聖人。1653年、ルーヴルを手がけたル・メルシエの設計で着工されたが、ル・メルシエの死や資金難で工事は中断し、紆余曲折を経て 80 年後に完成。教会内部は建築期間が長かった為、たくさんの礼拝堂が連なる、個性的な作りになっている。 彫像やフレスコ画、天井画には傑作も多く、中でも一番手前のマンサール作の礼拝堂「聖母マリアの祭室」は必見。劇作家コルネイユや宮廷造園師ル・ノートルなど、多くの著名人が埋葬されている。
*autorisation de la paroisse Saint-Roch
~ショパンが住んでいたショセ・ダンタンからサン・ラザール駅へ向かうと、 西側に楽譜専門店の集まるローマ通りがあります~
75008 Paris
TEL +33 (0)1 42 93 47 82
info@laflutedepan.com
M③ Europe
M③⑫⑬⑭ Saint-Lazare
M② Rome
月~土:10時~18時半
19世紀末に創業されたパリの老舗楽譜専門店。 留学生やプロフェッショナルには割引有り。 豊富な品揃えとお洒落な音楽グッズが充実。"フルート・ド・パン"オリジナル製品も。
75008 Paris
TEL +33 (0)1 44 70 91 68
FAX +33 (0)1 44 70 92 57
arioso-01@nerim.net
M③ Europe
M③⑫⑬⑭ Saint-Lazare
M② Rome
月~土:10時~19時
楽譜を気軽に手に取って選べる店。 理論書やソルフェージュの本も有り、フルート・ド・パン同様、音大生やプロフェッショナルには内外を問わず 10 パーセントの割引も。応対も親切です。
作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。
クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。
ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。