前書き
ピアノを愛する人なら、誰もが一度は憧れる作曲家、ショパン~ところが、ショパンの魅惑的な調べを実際の音にしてみると・・・!そのあまりの気難しさに途方に暮れ てしまった方も多いのではないでしょうか? かくいう私自身もその例に漏れず―長い間、私にとってのショパンは、追いかければ追いかけるほど遠ざかってしまう"片想いの作曲家"でした。
革命の狭間で急速に変貌していくパリを舞台に、時代の流れに身を任せながらも
それに翻弄されることなく、独自の美学を貫いて数々の傑作を生み出したショパン―病弱 で体調も思わしくなかったというのに、ショパンはパリで暮らした 18 年間の間に、8 回も 引越しをしています! (勿論、ウィーンで 80 回以上引っ越したというベートーヴェンの比ではありませんが...)
こうして、パリでのショパンの住まいを年代順に辿りながら、ショパンゆかりの地を訪ね、ピアノ界のアイドルとして活躍したショパンを通して、その背景となったロマン派の時代を考える『パリ発:ショパンを廻る音楽散歩』の連載を始めました。
その後、10年の月日が流れ、ショパンに関係したスポットも、それを取り巻く環境も、少しずつ変化していきました。
そこで、今日からスタートする新しい季節と共に、改めて、19世紀というヨーロッパの変革期に、芸術の都として世界で最も輝いていたパリという国際都市で、独自のスタイルを追求していったショパンの軌跡を辿りながら、再び、当時の音楽事情に想いを馳せていきたいと思います。
中野真帆子
作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。
クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。
ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。