第1章-1 ポワソニエール大通り27番地 - フランス革命の余熱
ショパンの希望に満ちたパリでの生活は、ポワソニエール大通り27番地の5階(フランスの5階は日本での6階!)から始まりました。小部屋が二つという慎ましい間取りでしたが、バルコニーからの眺めは最高で、ショパンは旧友、クメルスキ(※)に宛てた1831年11月18日付けの手紙の中で、自宅のアパートのついてこんな風に語っています
僕はポワソニエール大通り27番地に住んでいる─君が信じられないくらい魅力的な部屋に―素敵なマホガニーの家具付きで、並木道の歩道に面したバルコニーからはモンマルトルからパンテオンまでの、パリで一番美しい景色が見渡せる。皆がこの眺めを羨ましがる。5階までの階段は誰も羨ましがらないけれど。
75002 Paris
地下鉄 8・9号線 Grands Boulevards
Sortie 4番出口
1831年10月初め-1832年2月
- クメルスキ
ノルベルト=アルフォンス・クメルスキNorbert-Alphonse Kumelskiウィーンからパリ へ旅立った際、ミュンヘンまで同行し、ポーランドに帰国途中ベルリンに滞在してい た博物学者
ポワソニエール大通りは2区から9区に伸びる、全長351m、巾35mのブルヴァールと呼ばれる大通り。現在でも劇場や映画館の密集する賑やかなエリアです!
+33 (0)1 47 70 25 55 / +33 (0)1 42 46 65 70
reception@hiopera.com
年中無休/ 24時間受付
地下鉄 8・9号線 Grands Boulevards
ポワソニエール大通りを挟んで、ショパンがパリで最初に住んだアパートの門のはす向かいに位置するホテル。
5階に宿泊して、ショパンと同じ目線で窓からポワソニエール大通りを眺めては如何でしょう?
作品のほとんどがロマンチックなピアノ独奏曲であることから「ピアノの詩人」と称される、ポーランド出身のフランスで活躍した作曲家。
クラシック音楽の分野で最も大衆に親しまれ、彼のピアノ曲は今日に至るまで、コンサートやピアノ学習者の重要なレパートリーとなっている。
ワルシャワ郊外で、フランス人の父とポーランド人の母との間に生まれ、生後数か月で家族と共にワルシャワへ移住し、1830年11月、国際的キャリアを積むため、ウィーンへ出発するが恵まれず、一年後の秋にパリへ移住。以後、パリを拠点に活躍し、美しい旋律、斬新な半音階進行と和声によって、ピアノ音楽の新境地を開いた。